風塵社的業務日誌

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吾野へ(2)

2018年09月22日 | 出版
食堂から出ると駅の前には、もう山から降りてきた4、5人のおじさんたちがいる。みなさん、汗びっしょりだ。小生が駅舎の隣りのトイレに入ると、あるおじさんは上半身裸になってタオルで水ぶきをしている。いくら暑いとはいえ、なんだかすごいなあとその人の靴を見ると、登山靴ではなくトレイルラン用のシューズのようだ。ああ、この人たち山中を走ってきたところなんだとわかったら、その汗の量が腑に落ちた。それにしても、みなさん、小生よりも少しばかり年齢が上のご様子である。それでトレイルランニングしているんだから、すごいなあと感心する。
小生も適当に歩き回ることにしてみよう。しかし、どこに行こうかという当てもないところに、「岩殿観音」なる表示が目に入る。埼玉県の指定史跡とある。いくら県指定とはいえ、そんなに立派なはずもなかろうとは思いつつも、そこにも行ってみることにした。これでも一応は、史跡とか民衆信仰の世界には関心がある方なのだ(だれと比較して?)。中世史なり近世史なりを勉強したことなどないけれど(そのほかも、であった)、脈々と続いてきた日本の民俗的信仰のあり方にはなにかそそられるものがある。一方で、信仰心などかけらもない人間なので、その信仰を押し付けられたら反発する。それでも、民衆がなにかを信仰するなり、しきたりを維持したりしていることには、畏敬の念を抱いてしまう。その畏敬から、観察という人類学的な気分を生じさせるのかもしれない(ただし、小生のしていることが、人類学的な手法での観察という意ではない)。
駅舎を背に左手に下っていくと、法光寺という曹洞宗のお寺がある。その脇を線路沿いに歩き始めたら、大きな梵鐘が目に留まる。3・11時に被災したお寺から復興するまで預かっているものだ、と立て札にあった。それはそれで結構な話ではあるが、自慢するようなことでもないだろ、とも感じる。しかし落ち着いて考えてみるに、その梵鐘が法光寺所有のものだと勘違いされたら、檀家からはじまりめんどうなことも起きかねない。ならば、預かり物だと大きく表明しておいた方がいいのだろう。
そこで踏み切りを渡り山中へと向かう。踏み切りの脇では、撮りテツちゃんが三脚を立ててシャッターチャンスを待ち構えているところだ。電車の写真ってそんなに面白いのかと、門外漢の小生は感じるところではあるけれど、その彼にしてみればいい写真が撮れるかどうかで一喜一憂することだろう。それはそれで、愉しみの多い人生であるとは思う。
山道に入ろうとするところに、岩殿観音関連の案内板が立っていた。少しばかりペンキがはげかかっているのはご愛嬌だろう。小生は、その岩殿観音なるものの存在をまったく知らなかった。しかし、爪書き不動、弘法大師の硯石、畠山重忠の馬蹄跡など、なんだかおどろおどろしげなポイントが目白押しだ。そもそも、畠山重忠ってだれやねん、とツッコミのひとつも入れたくなる。先ほども述べたが、学生のころ小生は一応日本史学科に在籍していたことになるのだけれども、ほとんど学校には行ったことがないので、中世史なんてお勉強したことがない。一方、小生が籍を置いていた大学からすると、畠山重忠という人物名に触れることがあったのかどうかは微妙なところではあったのかもしれない。
そこで小生の場合、大学とは別の場所で近世・現代史、民俗学、美学などについて学ぶ(学ぶというよりも、その語源どおりにマネル)機会をいただき、本当にありがたく思っており、そのご恩は忘れてはいないということは、改めて述べておきたい。嗚呼、懐かしいなあ、みなさん元気かなあ。
そこでくどいようだが、ここで中世史をバカにしているわけではないのだ。中世史を専攻していた先輩に聞いたところでは、「荘園史の研究って、当時の人間のあからさまな欲望に向き合うことになるわけで、本当に面白いんだよ」と語っていた。さらに「近世史になると、まさにきみの好きな階級闘争の歴史だ」と先輩は続けた。したがって学問領域は面白いのだから、おまえも学校に来いよ、なることをその先輩は示唆されていたのだろう。しかし、そうした言葉に耳を傾ける気持ちはまったく起きなかったし、起きなくてよかったと現在になっても思う。
べらぼうに単純な話で、小生が籍を置いていたそのくだらねえ大学の環境がまったく合わなかったからだ。そこで無理して環境順応に努めようものならば、小生の精神がどこかで破綻していたことだろう。そのゆえに、小生にしてみれば、学校に行かないという選択肢を模索せざるをえなかったわけであり、しかもその模索の結果として、若いころ豊かな人間関係に甘えることができた。それをもって幸せといわなければ、ほかにどういう幸せがあるというのだろうか。人間関係の貧困ほど不幸せなものはないはずだ。
ありゃ、回想モードに入ってしまい、話が前に進んでいない。未知の岩殿観音なるところに行ってみようという、それだけのことであった。坂道をタラタラ歩いていけば、進むべき箇所だけは草刈がされていることに気がつく。とはいえ、刈られた箇所の草もそこそこ伸びているので、草刈がなされたのは数週間くらい前のことなのだろう。それでも、さすがは県指定という雰囲気は感じられる。埼玉県として、そこまで維持・管理には気を配っているということなのだ。

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