ピカソ・マニマニア

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建長寺法堂(はっとう)の 天井画

2011-08-17 17:29:05 | 詩作

この天井画は 今月の日経新聞の 私の履歴書 を執筆なさっている 日本画家の 小泉淳作氏が 2003年に描かれました。  

中国でもあまりない 五本爪の竜です。  普通は3本だそう。  

竜は男性を 蝶や鳥は女性を現すそうです。

優れた僧を 竜僧(りゅうぞう)とも呼びます。

 

建長寺は 1253年 中国の蘭渓道隆(らんけいりゅうどう)によって 開山されました。

度々の火災にあい 何度も再建されましたが 応永21年(1414年)の大火災で丸焼けになってからは 寺は衰退してゆきます。

 

禅宗では 僧は托鉢に出ますが 私は建長寺を 居ながらの 托鉢寺と呼びたい。 貰い物だらけです。

まず総門です。 巨福門(こふくもん)とも呼ばれるこの門は 1783年に京都 槃舟三昧院(はんしゅうざんまいいん) に建てられた物を 1940年に移築。

仏殿は 1647年 東京芝の増上寺より移築。  この仏殿は 徳川二代将軍秀忠夫人のお江の方(現在NHKで放映中) を供養して建てられたもの。 19年ごとに建て替えられるので お下がりを貰った。  増上寺は 浄土宗なので 本来は豪華絢爛の装飾でしたが 禅宗には似つかわしくないので 削り取った跡があります。

方丈前の 唐門も 同じく お江の方の霊廟門のお下がりです。 仏殿と同様1647年の建て替え時に 貰い受けました。  2009年より保存大修理をしていましたが 本年5月に完成、 昨日は絢爛豪華な姿を見せていました。  はて、ここは禅寺だったよな。

 

 

   臨済宗

 

振り向くな

胸を張れ

 

前進あるのみ

天分をまっとうするのみ

 

為すべきを

為したら

 

決して

後悔するな

 

 

臨済宗の教えは 殺生がなりわいの 武士を救いました。  北条氏の再三の招きにもかかわらず 曹洞宗の道元は これを嫌い 鎌倉を後にします。

阿弥陀如来信仰の 浄土宗も 武士を救う。  全く正反対に思える 両宗が こんな形で混ざってしまったのは そういうわけなのです。

 

炎天下 どこにいたって暑いものは暑い、 開き直った 昨日の鎌倉紀行です。

        風呼r   でした         

 

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