ピカソ・マニマニア

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精進潔斎のことなど  『吾妻鏡』 より

2011-02-24 23:58:14 | 吾妻鏡


昨日(2月23日)は 月に一回の『吾妻鏡』 講読の日でした。


天皇のおわします京都では 血を忌み嫌い 参殿する者は少なくとも一週間は 精進潔斎をする慣わしでした。

平安400年間は 京で死刑が行われなかったくらいです。


頼朝もそれに習い 常に精進潔斎をしていたようです。
魚肉が必要な時は なるべく干したものを食していた。
 (そうか それで 地獄谷と呼ばれる刑場は 切り通しの外なのか)


余談ですが 室町以降の 武士の裃は 精進潔斎をした者だけが着用できました。 


文治4年 11月18日の 吾妻鏡 の記述に 大庭景能(おおばかげよし)宅に 狐が死んでいた。 怪異たるによって 閉門す とあります。

けがらわしいので 自宅蟄居です。 ずる休みの口実に使われるので その事実を確かめに行く役もあったそうです。

27日に 大庭景能の父親の墓が 荒らされます。 狐の死との係わりが詮索されます。


1180年 平重衡(当ブログ 2010年9月22日 ”恋わずらいと 天然痘” 参照) による兵火で 東大寺は徹底的に破壊されます。

能・歌舞伎で有名な 『勧進帳』 にもあるように 頼朝も東大寺再建に 多大な資金援助をします。

源氏の影響が大きくなるのを恐れる 東大寺の僧兵との いざこざなども記述されています。 悪いのはひとり二人の僧だけなのだから 首領格だけ罰すればいい と 頼朝はなかなか太っ腹です。


奥州に匿われている 義経について 後白河法皇との駆け引きも ますますです。

つまり 頼朝の東国における勢力拡大を恐れる 後白河法皇は 義経を差し出せば 藤原氏を不問にすると言うのですが 頼朝は 藤原氏を潰しにかかりたい。


そんなこんなの 『吾妻鏡』 巻八です。


     風呼r  でした


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