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バーバー 管弦楽のためのエッセイ/スラトキン&セントルイスSO

2010年03月14日 22時05分43秒 | クラシック(20世紀~)
 昨日はヴァイオリン協奏曲だけしか聴くことができなかったが、先ほどの休日の午後のリラックス・タイムを利用してEMIのバーバー作品集(2枚組)の全てをじっくりき聴いてみた。クラシックで、しかも初めて聴く曲ばかりのアルバムとなると、途中で注意力が散漫になったりするのだが、今回は1曲聴いてはTwitter上にメモ替わりにツイートしていくことが励み(?)になったのか、最後までしっかりと聴き通すことができた。
 もちろんバーバーという、過渡にシリアスな方向に傾かない作曲家のキャラクターも幸いしているだろう。これらの作品の中でまず印象に残ったのは「管弦楽のためのエッセイ(全3曲)」である。「エッセイ」という楽曲スタイルははバーバー独自のもののようで、交響詩のように標題がある訳はないが、ソナタ形式によるきっちりとした管弦楽曲とも違う、まさに管弦楽による散文のようなものを意図しているのだろう。

 まず第1番だが、冒頭から繰り広げられる暗い情緒が印象的だ。チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」の4楽章風の如き趣きもある曲だが、バーバーのそれはもっと瑞々しい瑞々しいリリシズムがあり、なにか既視感に訴えるような懐かしさがあるのが特徴といえるかもしれない。また、聴いていると、どういう訳か、50年代イタリア映画のサントラを思い出したもする。途中、ブラスが咆哮を伴って一時嵐のようになる部分があり、すぐに冒頭の主題が回帰すると、今度はちょっとプロコフィエフのスケルツォを思わせる動的な部分が登場して、展開部のように発展してそのハイライトでメインの主題が回帰するという流れになっている。構成的にはよく分からない部分があるが、とにかく冒頭で広がる暗い抒情に引き込まれる作品だ。
 続く、第2番も冒頭はほとんど1番と同じ世界が展開されるが、こちらはもう少し山あり谷あり構成で、全体にメリハリとダイナミズムが増した印象を受ける(1番同様にスケルツォ風な音楽がここでも登場する)。また、ハリウッド映画音楽的なある種俗っぽい壮麗さとモダンな響きがダイナミックに交錯するのがおもしろい。アメリカの雄大の自然のもと、つつましく暮らしている人間が大自然に翻弄されるような映画に使えそうな音楽である。

 最後の第3番は作品番号がかなり離れてる、調べて見るとバーバー最後の作品で初演はズビン・メータとニューヨーク・フィルが1978年に行っているというから、かなり最近の作品である(先行した2曲は1940年代前半に書かれている)。そのせいもあってか、叙情的な雰囲気の勝った1や2番と比べると、新古典派風な乾いた響き、打楽器が繰り出す鋭角的なリズムがかなりモダンな雰囲気を醸し出している。従来のバーバー的な抒情も、途中ここぞというところで登場するけれど、全体としてはやや神経症的にぴりぴりとしたところがあり、このあたり作曲家が晩年に抱いた現代を見つめる視点だったのかもしれない。
 という訳で、全3曲、どれもさほど難解でもなく、比較的とっつきやすい曲ばかりなので、とても楽しめた。特に第1番のひんやりとしたリリシズムは印象的だった。あと、それと同じ線で、久しぶりに聴いた「弦楽のためのアダージョ」がことのほか堪能できたことも付け加えておきたい。通俗名曲の類かと思ってたけど、実に素晴らしい曲であったことを再認識した。

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