一般的にエニドの全盛期といえば、やはりデビュー作から第4作目ということになると思う。もちろんその後も「ザ・スペル」とか「ホワイト・ゴッデス」といった傑作と呼べるアルバムも少なからず発表はしているのだけれど、それらの作品に対して「何かが足りない」と思ってしまうのも確かなのである。では、第4作目以降のエニドが失ってしまったものとは何か?。もちろん、いろいろな考え方があるとは思うが、その大きなものはやはりフランシス・リカーリッシュなのではないだろうか。彼が初期のエニドで何をやっていたのか、実はよくわからないところもあるのだが、ある種の退廃的で耽美的な文学性だとか、マーラーからほとんど引用といいたいような影響(これはゴドフリーにもあるが)、謎解きのような仕掛け、そしてある種のコンセプチュアルやムード的な部分(第1作の「最後の審判」、第2作の裏ジャケに掲載された詩)といったものは、実はリカーリッシュに負うところが大きかったではないかと、私は思ったりしているのだ。さて、このアルバムはそんなリカーリッシュがリーダーとなって結成されたシークレット・グリーンのアルバムである。
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