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ブラームス セレナード第2番 他/アバド&ベルリンPO

2006年11月21日 00時09分43秒 | ブラームス
 よくよく考えみたら、2番の入っているディスク2の方は未だ聴いていなかったようだったので、良い機会とばかり今聴いているところです。第1番の方は大家になりかけていた頃の83年の録音でしたが、こちらはまだ新進指揮者として売り出し中だった68年の収録でになっています。両者の録音がどうしてこんなに間があいてしまったのか、私は知る由もありませんが、そうまでして両曲を録音したところを見ると、やはりこの2曲には愛着があったんでしょうね。

 ブラームスのセレナードという曲は、習作という観念が強かったのか、往年の巨匠にはあまり見向きもされず、団塊の世代から下の指揮者になると、その特有な形式や情緒が掘り出し物的に受けるのか、何故か録音も多くなるというプラームスとして近年例外的に評価を上げている曲ともいえますが、この演奏あたりが実はその先駆だったのかもしれません。
 さて、演奏です。これまで同曲を私はケルテスとボールトを聴いてきた訳ですが、こちらは非常にアバドらしいといってはミもフタもないですが、要は良く謡うが甘く流れず、骨太だが柔軟さにも不足しないというあの感じです。68年のベルリンといえばカラヤン全盛期だった訳ですが、その時既にこのオーケストラからこのくらいクリアーでタイトな演奏を引き出していたアバドは、当時から遠くない未来を嘱望されていたとはいえ、やはりさすがというべきでしょう。

 ただ、どうでしょう。この曲にはとりとめない分、いろいろな解釈ができる余地があって、前にも書いたとおり、この曲のリラックスした側面をとるのか、交響的面をクローズアップしたいのか、それによって演奏もかなりかわってくると思うのですが、アバドの場合、おそらく意図としては前者だったと思われるものの、やや生真面目すぎてこの曲のセレナードという感じがどこかにいってしまっているような気もします。このあたりモーツァルトなんかだと、アバドも実に絶妙なんですがねぇ。
コメント (1)
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