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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

MAHAVISHNU ORCHESTRA / Inner Mounting Flame

2005年10月04日 23時01分15秒 | JAZZ-Fusion
先日、レビュウした「火の鳥」に先行する71年にリリースされたマハビシュヌ・オーケストラの第一作です。前回知ったかぶりしてあれこれ書いたものの、恥ずかしながらこの作品を聴くのは、多分これが初めてです。これまでも購入する機会はいくらもあったでしょうに、そうしなかったところを見ると、前回書いた中学時代のマハビシュヌ恐怖症が意外と影響していたのかもしれませんね(笑)。ともあれ、初めて聴くにしては、何か聴いたことあるようなないようなフレーズやリフが頻出するのは、おそらくここに収められた音楽のエピゴーネンがその後続々と現れて、似たようなフレーズを連打して、私がそっちを先に聴いちゃってるからでしょう。それだけパイオニア的な音楽だったワケですね。

 音楽的には「火の鳥」に先行する作品ということで、ほぼ同一線上の音楽といってもいいよう感じですが、この作品では「マイルス・バンドに入ったエレクトリック・ギタリスト」というイメージを自ら敷衍したのか、ロック的な歪んだ音色、フレーズ満載で、1曲目の「Meeting of the Spirits」からソロからいきなりジミ・ヘンを思わずギラギラフレーズを臆面もなく披露しているあたりなかなかおもしろいですし、ファンキーな3曲目「Noonward Race」はイントロからけっこうロック的ダイナミズムが炸裂して痛快そのもの。8曲目「Awakening」の圧倒的なスピード感の中、レアード、ハマーに続いてやにわに登場するマクラフリンのソロの切れぐあいなどもう極めてロック的世界で、聴きながら中学の時、「火の鳥」じゃなくて、こっちを聴いていたらもう少しマクラフリンに対するイメージも違っていたかも....などと思わないでもなかったです。


 ついでに書けば、その後の作品に比べればではありますが、この作品ではいかにもマハビシュヌっぽいインド音楽的なテイストがまだそれほど濃厚でなく、比較的オーソドックスなジャズ・ロックのパターンで進んでいくあたりが散見するのもいかにもデビュウ作という感じがして初々しさがあります。2曲目のイントロなんかいかにも70年代初頭のオーソドックスなAOR的雰囲気です(AORという言葉は当時まだありませんでしたが)。ヤン・ハマーはこの時点では普通のエレピを弾くキーボード奏者で、その後の異種交配的音楽バトルに突き進んでいく獰猛さがあまり感じられませんし、リック・レアードもマクラフリンが持ってきた曲とアレンジに大人しくしたがっていると言う感じ。総体的にはこのアルバムではマクラフリンとビリー・コブハムの尋常ならざるテンションが全体の水準を大きく引き上げているものの、バンドとしての密度感のようなものや、オリジナリティという点ではその後のアルバムにちと劣るという感じでしょうか。 
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MAHAVISHNU ORCHESTRA / Birds of Fire

2005年09月17日 15時58分29秒 | JAZZ-Fusion
 私がロックを聴き始めた1972年頃、この「火の鳥」というアルバムは、ほとんど完全にロックのアルバムとして売られていた、ジャズの方ではどう見られていたのかは知らないが、当時、このアルバムはディープ・パープルやレッド・ツェッペリンを聴くようなロック・リスナーにも売れていたことは確かだと思う。これは当時、これを発売していたCBSソニーの割と戦略的なプロモーションもあったと思うが、マクラフリンというマイルスによって発見されたギタリストが、英国出身で割とロック絡みの人脈とも通じていた点や本家マイルス以上にロック的音楽をマハビシュヌ・オーケストラでやっていたこともその理由だと思う。

 実際、マハビシュヌ関係のアルバムは当時良く売れたんではないだろうか、このアルバムの後、当時人気絶頂のサンタナと共演した「魂の兄弟達」なんかは、ほとんどベストセラーだったような気がする。私もそれに煽られ当時いくつかのアルバムを購入したクチだが、正直に告白すると、これらのアルバムは当時の私にはまったく理解不能な作品だった。錯綜するリズム、複雑なキメ、狂おしいようなテンションで舞い上がるソロ群に彩られたその音楽は、当時、私が聴いていたロックの枠からは完全にはみだしていたのである。これはまったくの想像だけど、ベストセラーを記録したとはいえ、当時いた多くのはロック・リスナーにとってもそうだったのではないだろうか。何故かといえば、これだけ売れたというのに、もっと親しみやすく、ある意味ロック的といえた中期リターン・トゥ・フォーエバーなんかは、ほとんどのロック・リスナーからは無視されていたからだ。

 客観的にみて、このアルバムの音楽の凄さをロック・ファンは本当に実感するのは、AORやフュージョンが一般的な人気を得、このアルバムで使われているフュージョン的な音楽ボキャブラリが多少水増しされて定着した70年代終盤の頃だったと思う。つまり早すぎたアルバムだったのだ。一般的にこの手のフュージョンはマイルスの「ビッチズ・ブリュウ」が始祖と呼ばれているが、このアルバムの音楽は、リターン・トゥ・フォーエバーやウェザー・リポートと並ぶ、あの作品から生まれた第一世代の音楽ともいえる。ただし、実際のところロックとは、あまり縁があったとはいえない....と私は思う。
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FOURPLAY(DVD-A)

2005年09月15日 23時46分18秒 | JAZZ-Fusion
 フォープレイは、ご存知の通りボブ・ジェームス、リー・リトナー、ネーザン・イースト、ハービー・メイソンを擁したフュージョン界のスーパー・バンドだ。1991年のデビュウ以来、途中、リトナーがラリー・カールトンにスウィッチしたものの、もう10年プレイしているワケだ。この手のバンドとしてはかなり息の長い部類になるのではないだろうか。

 さて、このアルバムは彼らをデビュウ作のDVD-A化したものである。オリジナルの2チャンネルも入っているが、注目なのは5+1チャンネル・ヴァージョン。豊富な残響を取り入れた広大な音場の中、左右に振られた各種パーカス類が両端に位置して、その間を各楽器がピンポイントのように配列されたオリジナルとはかなり趣きの異なった仕上がりとなっているのだ。もともとスカスカな音(とはいえその少ない音がどれももの凄い存在感があったワケだけど)が特徴だったフォープレイのサウンドが、このヴァージョンではますます拡散し、音が軽くなったような印象になっている。CDが典型的なハイファイ・フュージョン・サウンドだったとすると、こっちはスーバー・クリアなアンビエント・サウンドににじり寄ったようなサウンドといえるかもしれない。

 あと、今回のリミックスで変わったのは、その驚異的なSN比の向上で、これがなかったら、本作のアンビエント・サウンド的なリミックスもおそらくは絵に描いた餅になっていたと思う。そのくらい音楽の狭間における静寂が意識できる音なのだ。もちろん、DVD-Aの器を大きく物を言っていることに違いない。アルバム冒頭、アコピとシンセのユニゾンに、かすかに絡むパーカスの微妙な色合いなど、まさに耳の悦楽である。(02/12/21)
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松岡直也/JUNE JULY AUGUST - Summer Pieces

2005年08月26日 21時32分38秒 | JAZZ-Fusion
松岡直也の1990年の作品。松岡はこの作品に前後してシンプルなピアノ・トリオ+パーカスのアルバムを出したり様々なフォーマットの作品を出していて、この作品は久方ぶりの通常フォーマットによる「日本人による日本人のためのラテン音楽」作品だったような気がする。ただし、さすがに80年代に哀愁の松岡節は目一杯開花してしまったのか、この作品、6月,7月,8月をテーマに夏の音楽を集めたというコンセプトの割に、やや生彩に欠くというか、ちょいと疲れたが目立つような感じがした。こちらは少し彼の音楽に飽きてしまったいたこともあるとは思うが。

 ただ、このアルバム7曲目の「哀しみマドリッド」だけは突出して強烈な印象を残す。デジタル・シンセのエキゾチックな響きとストリングスのヨーロッパ的ムードをバックにピアノが情緒面々たる哀愁の旋律を奏でる松岡節なんだけど、涙堪えて気丈に歩くようなテーマから、サビには何故かジョン・バリーの「ロシアより愛をこめて」の部分に酷似した展開(引用かもね-笑)になって、感極まるように高ぶっていくあたりは、「ロシアより愛をこめて」のロマンティックなあの世界を彷彿とさせつつ、なんだかヨーロッパの哀しい映画のラスト・シーンのようでもあり、オッサンの世代にはなんとも憎い記号満載な音楽になっているという訳である。

 という訳で、この「哀しみマドリッド」は、毎年今の時期になると、決まって聴きたくなる1曲である。
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BIRELI LAGRENE / My Favorite Django

2005年08月21日 14時05分30秒 | JAZZ-Fusion
ビレリ・ラグレーンという人は好きなギタリストだ。もっとも、この人が「ジャンゴ・ラインハルトの再来」とか絶賛されたとかいう10代の頃、アコスティック・ギターでジプシー風な音楽をやっていた頃のことはあまり知らないのだが、エレクトリックに持ち替えてからの作品は、その歌心満載のフレージングと驚異的なテクニックがほどよくバランスした緩急自在のギター・ワークが楽しくて、90年代の後半頃か、数枚購入した。

 このアルバムもそんな一枚で、タイトルからも分かるとおり、ビレリ・ラグレーンによるジャンゴ・ラインハルトのカバー集である。私は浅学なので彼の音楽についてはベスト盤一枚をつまみぐいした程度なので、オリジナル演奏をどう解釈しているかということはほとんどわからないが、このアルバムの場合、ジャンゴとは関係なしに夏向きのフュージョンとして楽しんでいる。

 メンバーは、ドラムはデニス・チェンバース、ベースはアンソニー・ジャクソンという超絶リズム隊に、KOONOというキーボード奏者を加えた4人編成のシンプルなもの。音楽的にはシンコペしまくったいかにもフュージョンな快適リズム+KOONOが作る非常にカラフルで色彩的なシンセ・サウンドが、いかにも夏っぽい雰囲気を演出していて、スムーズ・ジャズというほどには甘くないが、ゴリゴリなハードコア・フュージョンというにはとち耳に心地よすぎるという、微妙なバランスが特徴ともいえるかもしれない。こうしたサウンドにのるビレリにギターはまさにそういうポジションにぴったりプレイで、良く歌いリラクゼーションを誘いつつ、そこに時折超絶的な早弾き織り込んではっとさせるという、なかなか知能犯的なプレイだと思う。

 曲としては、3曲目の「Babik」や8曲目「Blues for Ike」あたりがアップ・テンポぐいぐい押していくハード路線でビレリもテクニカルなフレーズを連打して実にカッコいい。一方、2曲目「Moppin' the Bridge」や4曲目「Melodie au Crepuscule」あたり良く歌うフレーズを織り込んだバラードっ路線という感じで、アルバムではこのあたりを音楽的な両端にして緩急をつけているというところだ。それにしてもこのアルバムの快適さというか、夏っぽさみたいなところは、多分ビレリではなくて、KOONOというキーボード奏者がもっているものだと思うのだが、なかなかいいセンスだと思う。5曲目の「Place de Brouckere」で聴けるシンセ・オーケストレーションなどもうまいものだ。

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松岡直也/夏の旅

2005年07月20日 00時03分27秒 | JAZZ-Fusion
 早いものでこのアルバムが出てもう21年になる。松岡直也というどちらかといえば通受けするラテン・フュージョンの人の音楽が、わたせせいぞうとコラボという相乗効果もあって、日頃こういう音楽に縁のない若いまで巻き込んで大ブレイクするのはもう少し後だけれど、従来のラテンのリズムを使って外国への憧憬を表現するというパターンではなく、そこからむしろ日本的な風景を表現してしまうという、「日本人による日本人のためのラテン音楽」を確立したのは、多分、このアルバムあたりだったのではないだろうか。

 このアルバムのジャケットには、青空、入道雲、まっすぐな道、浴衣に日傘の女性、ローカルバスという、私ぐらいの世代の人間には既視感を誘うような夏の風景が描かれているが、このアルバムの音楽とはまさにそういうものなのだったのである。ラテンのヴォキャブリーを使って、サマー・ビーチだのリゾードといったものを表現するのではなく、こうした純日本的な風景を表現してみせたところが、当時としてはけっこう新しかった。実際、このアルバムにはバスのSEとかセミのSEなんかもちらっと入っていたりするのだが、それが奇妙にラテンと合っていたにのは、当の松岡直也自身が一番驚いたんじゃないだろうか。

 さて、どうしてこのようなことが可能だったのだろうか。その理由のひとつは松岡直也の作り出す旋律である。彼の作る旋律はウェットで情緒綿々、時に哀感に満ち満ちたものまで作ったりするが、これが日本人には非常にぴったりくるのだろう。2曲目のストリングスで奏でられる「田園詩」など、さながらイタリア的旋律を日本的情緒で表現したという感じのものだし、3曲目のタイトル・トラックなどもかなりハードなサウンドだが、旋律はむしろ哀感を感じさせるものだ。

 後、もうひとつの理由として、それまでの松岡直也がちらほら見せていたテクノ&ロック・サウンド指向をこのアルバムでもって大胆に導入したことによって、音楽がコンテンポラリーなものになったということも上げられるだろう。1曲目「田舎の貴婦人」はYMOの風なシーケンス・パターンとシンセの音色、5曲目の「虹のしずく」ではピアノと組み合わされたカラフルなシンセの音色と単調なリズムが否応なくテクノ的なものを感じさせるし、前述のタイトル・トラックや8曲目「虚栄の街」、ハード・ドライビングなギターがロック的ムードを濃厚に漂わせたりしているのである。

 つまりに松岡直也はラテンという日本人の感性からするとかなり異質な音楽ボキャブラリーを使って、日本的な風景を表現するためにこうした様々な要素を混ぜ合わせた訳である。前述のとおり、この後、松岡はわたせせいぞうのイラストをイメージ・キャラクター的に使い、「ハート・カクテル」の音楽など、さらにこうした「日本人による日本人のためのラテン音楽」的表現を洗練されたものにさせていく訳だが、思えば、それもこれもこの作品が出発点だったのである。
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井上鑑~アコースティック・ミーティング/Dolphin

2005年07月19日 00時05分12秒 | JAZZ-Fusion
 日本人は四季に敏感なだけあって、邦人アーティストの作品には夏をテーマにした作品が多い。もっとも夏と云ってもイメージするところは様々で、湘南みたいな定番路線はもちろんだけど、世界各地のリゾートをイメージするようなものも多くある。このアルバムは、表だってそういうテーマは喧伝してないものの、音楽からイメージするのは紛れもなく南仏あたりのリッチな避暑地で過ごす感傷的な夏だ。ある意味、とってもバブリーなサマー・ミュージックでもある。

 さて、このアルバムの主人公である井上鑑はアレンジャーとして知られている人で、そちらの方面のお仕事としては、かの寺尾聰の「ルビーの指輪」なんかが有名だけど、80年代はソロ・ミュージシャンとして数枚のソロ・アルバムも出していた。「CRYPTGRAM」や「架空庭園論」といった凝りに凝ったロック系アルバムの他、個人的に好きだったのは「Splash」というアルバム。湘南、軽井沢といった下世話な夏のイメージとは決別し(そういうものはアレンジで死ぬほどやっただろうから-笑)、南仏あたりの避暑地のイメージが横溢させたこのアルバムは、当時かなり斬新だったし、この人特有なスノッブ趣味も良い具合に作用していて、個人的は夏物の定番アルバムとして愛聴していたものだ。

 この「Dplphin」というアルバムは、云ってしまえば、「Splash」のニュー・エイジ・ヴァージョンである。「Splash」というアルバムはヴォーカルやドラムがきちんと入った、ロック系ポップスだったけれど、こちらは基本的にキーボード+Aギター+Aベーのアンサンブルで作られた、ジャズとかフュージョンと呼ぶにはあまりに透明で淡いニュー・エイジ・ミュージックになっている。1曲目の「The Last Dolphin」はシンセ+アコギのアルペジオが、まるで絵はがきのような雲一つないヨーロッパの夏の空を描き出し、2曲目の「Peace」はその青空に入道雲が出てきたようなムードを漂わせる....という具合に、アルバムは時にボサ・ノヴァやタンゴ、ブルージーなムードも漂わせつつ、そこはかとない感傷的を滲ませつつ表むき淡々とクールに進んでいくのである。

 ちなみにこのアルバムは一応アコスティック・ミーティングというバンド(プロジェクト?)名が付けられているが、メンツはギターに松原正樹と今剛、ベースは高水健司という名手が揃っている。一見、ニュー・エイジ風のさりげないノリながら、しっかりとした味わいがあるはこのメンツだからこそだろう。
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ザ・ドルフィンズ/マラヤン・ブリーズ

2005年07月15日 00時09分16秒 | JAZZ-Fusion
 一昨日、DMPから出たマンフレッド・フェストのアルバムを聴いたのがきっかけで、夏向きフュージョンのこんなのも思い出して聴いてます。ザ・ドルフィンズはデイブ・ブルーベックの息子でドラマーのダン・ブルーベックがリーダーとなって結成されたニュー・ヨークのフュージョン・バンドです。基本的にはキーボードとギターをフィーチャーした4人組ということになろうかと思いますが、スムースでメロウ、快適なサマー・フュージョンみたいな趣があるのと同時に、けっこうシリアスなテクニック指向のようなものが見え隠れしているのが、おもしろいバンドといえます。

 収録されている曲はキーボート&ギターでテーマを演奏し、その後、各種ソロを展開というパターンで進んでいくデイブ・グルーシン風というかウェスト・コースト風なフュージョン色がちらほらする曲が多いのですが、ヴィニー・マルトゥイッチのキーボードの音色はいかにもDX-7全盛期を思わせるデジタルっぽい音色が満載、マイク・デミッコのギターはクリアなトーンで割と弾力的なフレーズを多用しているあたりから、パット・メセニーを思わせたりする部分があったり、スティーブ・カーンっぽったりととにかくいろいろやっているという印象。一方、ダン・ブルーベックのドラムは一口にいえば、アグレッシブな手数系。この人がタイコをドカスカ叩いているせいで、類型的なサマー・フュージョンから脱した音楽になったともいえるし、スムース・フュージョンなのか、ハードコアなジャズ・ロックなのかどっちつかずになってしまったようなところもあると思います。ともあれ、この個性はけっこう強烈というか、下品(笑)。

 夏向きフュージョンとしてはタイトル曲である7曲目が、リゾード・ミュージック風な清涼感のなかにちょっとミステリアスな感じもあってなかなか良い感じ。9曲目の「セブン・ポンズ」もそんな感じ。一方、割とシリアスな路線としてはラストの「デジタル・ドルフィンズ」はジャコ風なテクニカルなベースをフィーチャーしたテーマから、ハードなジャズ・ロック風な演奏を展開。ダンの父親のオハコとして、あまりにも有名な「ブルー・ロンド・ア・ラ・ターク」を4曲目でやってますが、これもその路線ですね。

 そんな訳で、聴いていておもしろいことはおもしろいんですけど、やっぱりどっちつかずかなぁ。優秀なバンドであることに違いはなかったんでしょうが、要するにプロデューサーが不在なんでしょうね。なんでもできる、こなせるバーサタイルなバンドはレコーディングに当たって、バンドの音をきちんと解釈できる耳の良いプロデューサーがいないとあれもこれもとこういう音楽になってしまうのかな思ったりするんですけど....どうなんだろう?。
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ジョー・サンプル/インビテイション

2005年06月02日 11時27分49秒 | JAZZ-Fusion
  ジョー・サンプルの1993年の作品です。私は彼が在籍していたクルセイダーズの作品はほとんど聴いていませんし、ソロ作品も同様で、このアルバムもジョー・サンプルというよりは、トミー・リュピーマのプロデュース作品の線で購入してきたような記憶があります。結果的に私はこの作品を大いに気に入り、彼の作品もさかのぼって「Spellbound」や「Ahses To Ashes」を購入したり、その後出た新作をぼちぼち購入したりするようになった訳ですから、私の「ジョー・サンプル発見の一枚」ということになるかもしれません。

 さて、この作品、ジャズ的形容をすると「ウィズ・オーケストラ物」ということになるんでしょう。サンプルにベースにセシル・マクビー、ドラムスにヴィクター・ルイス、そしてパーカスにレニー・カストロを加えた、ビアノ・トリオ+1のフォーマットに、オケがバックに陣取るという内容で、選曲は大半がスタンダード・ナンバーであり、後でわかったことではあるのですが、前後の諸作に比べ、こりアルバムはほとんど例外的に「正統派ジャズ」を狙ったものだったようです。とはいえ、リビューマのプロデュースですから、通り一遍の物量作戦による「ウィズ・オーケストラ物」ではなく、いかにも彼のブロデュースらしい、よく作り込まれ、オシャレで、センスの良い、GRP的な瀟洒さに満ち満ちた仕上がりになっています。

 曲はどれも非常に完成度の高いアレンジがなされていますが、私の好きな「マイ・ワン・アンド・オンリー・ラブ」などピアノとオケの絡み具合に実にセンスが良く、まさに、極上のイージー・リスニング・ジャズというか、今風にいえばスムース・ジャズを楽しませてくれますし、バカラックの「ア・ハウス・イズ・ノット・ア・ホーム」では往年のシアリング・サウンドをモダンに再現、「降っても晴れても」ではちょっとギル・エヴァンス風なアレンジに接近したりと、編曲も多彩です。ちなみに担当したのはディル・オーヘラーという人ですが、なかなか作品のコンセプトをわきまえたセンスのよいオーケストラ編曲をしています。

 それにしても、ジョー・サンプルって人、聴く前はあの風貌からして、かなりアーシーで、精力的なピアノ弾く人なのかなとも思ってたんですが、まるでイメージが異なりました。極めてメロディックで洗練されたフレーズ、特に高域で転がすようにフレーズを繰り出すあたりや、フレーズのしめくくりをコードでおさえていくあたりは独特なポップさすら感じます。これ以降、彼の作品は数枚聴いてますが、アルバムの企画は違っても、このキャラは基本的に不変なようで、その後作品も同じように楽しませてもらってます。そろそろ「ウィズ・オーケストラ物」も、もう一枚どうでしょうかね~。

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MIKE STERN / Jigsaw

2005年05月27日 20時42分36秒 | JAZZ-Fusion
 マイク・スターンの89年の作品。私は彼のことを特別に好きだとか、出る作品は必ず買うという程のファンではないし、作品もあまり系統的に聴いている方ではないと思うのだが、このアルバムは私が聴いた彼の作品の中でも最も好きな一枚であり、最もよく聴いた作品だと思う。

 このアルバムの音楽は一口にいって、80年代後半のニューヨーク・フュージョンそのものだと思う。なにしろ、参加しているメンバーが、マイケル・ブレッカー、ボブ・バーグ、ジム・ベアード、ピーター・アースキン、デニス・チェンバースなのだから、大体音の方はつくと思うが、要するに込み入ったシンコペだらけのリズムとキメ、通向きなコード進行で作られた難易度の高そうな曲を、すーすー聴ける都会的なBGMとして演奏したというようなのといえば、まぁ、当たらずとも遠からずといったところだと思う。

 ただ、似たようなメンツによる似たようなニューヨーク・フュージョンでも、例えば先日書いたマクラフリンの「プロミス」に入っている曲とはやはり趣が違うのは確かだ。何が違うかといえばギターがマイク・スターンだからだ。何を書くのかといえば、そんなことか怒られるかもしれないが、マイク・スターンのギターはこの手のフュージョンにありがちなギターの早弾きを表だって披露せず、どちらかといえば、伸びやかなで、ある意味ロック的ともいえるブルーでエモーショナルなフレーズで曲のハイライトを作っていくことが多いし、自分の見せ場で早弾きをやってしまい、結局体育会系であることがバレてしまう他のギタリストとはある意味、一線を画しているにように聴こえるのである。1曲目の打ち込みのリズムにのって切れ切れに現れるギター・フレーズなど、アレンジも良いのだろうが独特な心地よさがあるし、後半の独特な官能性もロック的なカッコの付け方というかエモーションが感じられて、なんかメチャクチャ、ギターの巧くなったサンタナみたいな感じすらするほどだ。

 ともあれ、このアルバム、バブルの末期の頃、車のBGMでほんとうによく聴いたものだ。前述のムーディーな1曲目から急緩急緩とメリハリをつけた構成でアルバムを進行させ、オーラスではホットに盛り上げるあたりも絶妙だった。このアルバムを聴くと、退屈なひとりのドライブでも45分を快適に過ごせ、時間があっという間に過ぎていったような記憶が多い。さすがに十数年経った今では、この音楽は少々まっとう過ぎ、直球過ぎる気がしないでもないが、今度、車にCDを持ち込んで、夜のドライブにでも試したらどう感じるだろうかと興味がなくもない。今度、ぜひ試してみよう。



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JOHN MCLAUGHLIN / Promise

2005年05月11日 00時11分24秒 | JAZZ-Fusion
 1989年に発表されたジョン・マクラフリンの大傑作です。この作品、80年代以降のマクラフリンが行ってきた活動の総決算であると同時に、その後の活動をも予見させた極上の「マクラフリン幕の内弁当」ともいえる内容ですが、とにかく豪華なゲスト陣と音楽の充実度という点で、これに前後する諸々の作品が、ほとんど霞んでしまうほどの作品です。こういうアルバムの場合、代表的な曲をレビュウする方が、内容が伝わると思いますので少しだけ。

 注目されるのはまずなんといっても1曲目の「ジュンゴ」のジェフ・ベックとの共演。いくら相手がロックの分野といえども、御大ジェフ・ベックを呼んできたのは、大物の共演が日常茶飯事のジャズといえどもさすがに絶句です。しかも前半ではベックに華を持たせつつ、途中からしっかりソロの主導権を握るあたりは知能犯的な狡さを感じさせますし、ラストの転調部分以降で見せる「おとなのギター・バトル」は、「おぉ、ジャズだなぁ~」と思うことしきり。

 お次は6曲目の「ジャズ・ジャングル」。マイケル・ブレッカー、ジム・ベアード、ジェームス・ジュネス、デニス・チェンバース、ドン・アライアスを擁した14分にも渡るNYフュージョン風な作品で、音の方はおおよそこのメンツから想像した音がそのまま出てくるという感じでなのですが、それにしてもこのテンションの高さは尋常ではありません。特にデニス・チェンバースのテンションがレッド・ゾーンに入って来たとおぼしき6分以降のバンド全体が取り憑かれたように進んでいく怒濤の勢いは、筆舌に尽くしがたい凄まじさものがあります。げっ、凄ぇ!。ついでにこのメンツのブレッカーがデビッド・サンボーンにスウィッチした10曲目「新人類」も、テンションという点では多少落ちますが、ほぼ同等の出来。

 後、なんでFOしちまうんだよ~と曲が短いのか欠点ですが、8曲目の「イングリッシュ・ジャム」は、前述の「ジャズ・ジャングル」の英国版ともいえるスティング(おいおい、ここで出てきますか!)+ヴィニー・カリウタからなるギター・トリオで演奏されたアブストラト色満載のアグレッシブなジャムで、これは個人的なお気に入り。それにしても、なんで2分でFOしちまうんだ!。

 そんな訳で、この他にもお懐かしやシャクティ、そしてスパー・ギター・トリオの再現、ジョーイ・デフランコとの共演等々語るべき内容はまだまだあれど、このくらいにしときましょう。個人的には「これを聴かずに死ねるか」の1枚です。
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渡辺香津美/Mo' Bop II (SACD)

2005年05月06日 17時59分00秒 | JAZZ-Fusion
  渡辺香津美のニュー・エレクトリック・トリオ第2作です。ジャズの場合、こうしたスーパー・グループ的な組み合わせというのは、大体1作目は非常に斬新かつ新鮮だが、2作目以降は洗練やまとまりは出てきても、マンネリズムに陥ることが多いのは周知の事実。今回の作品の場合、例えば、かつての「スパイス・オブ・ライフ」とその続編に比べれば、格闘技的なスリルと緊張感のようなものは依然として健在ですから、まぁ、あれほどの落差はありませんけど、インパクトという点では、やはりちと落ちるというのが正直なところです。ただ、例の不気味なくらいヘビーな重量感のようなものは、1作目以上かもしれませんし、完成度は当たり前のように高めてますから、どっちをとるかは、まぁ、人それぞれだとは思いますが....。

 で、今回の作品いきなり「クレオパトラの夢」から始まるの意表をついてます。この曲、もちろんバド・パウエルの作ったジャズ・スタンダードな訳ですが、これをメカニカルなファンクで料理しているあたり、最初からこのトリオのヴァーサタイルさ全開という感じで楽しいです。
 3曲目「Mystic Sand」は4ビートを複雑なキメが交錯しつつ、徐々にトリオ全体がテンションを上げていくという、いかにも渡辺香津美が仕掛けそうな曲でスリリングさではアルバム随一ですかね。5曲目は隙間だらけで、時に弛緩しそうになるすれすれなところで緊張感を誘う、調度「MOBO」をコンセプト再現したような音。「MOBO」といえば、アルバム・ラストは「遠州つばめ返し」の再演で、これは前作の「ROBO」並に強烈なテンションを楽しませます。
 あと、6曲目「Cry Me A River」はお馴染みの大スタンダードで、こっちは同じスタンダートでも「クレオパトラの夢」のような仕掛けはなく、ストレートにこの大バラードを情感深く歌い上げてるあたり、しばらく続いたアコスティック路線の成果なんでしょうね。

 という訳で、前作の「ROBO」みたいな、圧倒的スピード感でぶっち切るような曲が、オーラスの「遠州つばめ返し」まで出てこないため、アルバム全体の印象としては、疾走感のようなものはちと控え目、そのあたりがちょいと残念でした。あと、前作に比べると全般的にジャズ的なオーソドックスさに回帰しているような印象もあり、まぁ、そのあたりでこのアルバム、多少落ち着いた雰囲気を醸成しているのかもしれません。
 ちなみに今回もSACDで、音質的にはほぼ前作を踏襲している感じですが、低音の量感が大分アップして、前作にも増して重量感ある音になっているという感じです。低音がきちんと再生できるシステムでこれを鳴らすと、このアルバムのヘビーさは、確かにただごとではありません。 
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渡辺香津美/Mo' Bop (SACD)

2005年05月03日 16時22分07秒 | JAZZ-Fusion
 レゾナンス・ヴォックス以降の渡辺香津美の作品って、どうもコレっていうのがなくて、頻発するアコスティック物、企画物には、まぁ、アーティスト側にはいろいろな言い分があるとは思うんですが、少々食傷していたキライがないでもなかったというのが正直なところ。なので、オールスターによるライブ盤「ワン・フォー・オール」あたりをきっかけに、この作品が登場したのは実に溜飲ものでした。

 さて、このアルバム、リチャード・ボナとオラシオ・エルネグロ・エルナンデスを擁したトリオによって収録された訳ですけど、スパイス・オブ・ライフやレゾナンス・ヴォックスあたりのソリッドでハードコアな渡辺香津美が復活してます。音楽はまさに充電期間で溜まりに溜まったパワーを一気に解放しているかの如き様相を呈していて、多くの演奏は極めてハイテンション、曲展開は壮絶そのもの。

 これが一番出ているが、2曲目の「Dada」と3曲目の「Robo」であたりですかね。とにかく渡辺は演奏しているミュージシャンが思わず奮起、発奮してしまうような仕掛けを満載した曲をつくるのがうまくて、前者ではコードによるテーマと高速な16ビートの組み合わせにエルナンデスが手数を全開してますし、後者でハードエッジなリフを持ったテーマと先行する渡辺のぐにょぐにょギターに、煽られてボナが見事にのせられてます(笑)。うーん、凄ぇ!。

 他の曲だと5曲目「Backdrop」のNYの変態フュージョンみたいな、とっ散らかった感じだとか、80年代に回帰したような8曲目「Neo」も良い感じ。回帰といえばオーラスのは「Tricorn」には、最後の方にちらっと「Unicorn」が登場しますが、このメンツで全部やってくれとか思うのは私だけでしょうか。
 ちなみに、こうした曲に混ざって収録された「Ring of Life」「Momo」といったバラード系の曲は、こうしたハイテンションな楽曲目白押しの中で聴くと、絶妙なリラクゼーションを発揮してくれて、とてもいい感じでした(なにしろここ数年、こういうのが冒頭から一時間も続くアルバムばっかりでしたからね-笑)。

 なお、本作品はSACDとCDのハイブリッド盤として出ましたので、当然私はSACD層を聴いた訳ですが、こういうハードな作品でも高域がキレイに伸びているせいか、突き刺さしてくるような切り込み感だとか、鋭角的なキレみたいなものがあまりなく、むしろアコースティックな音に聴こえてしまうのは、SACD故なんでしょうね。まぁ、中には、それ故にこの音つまんないという人もいるかもしれませんけど。

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FOURPLAY/Journey

2005年04月26日 00時01分31秒 | JAZZ-Fusion
 昨年出たフォープレイの8作目で、目下の最新作です。このバンド、当初もう一枚つくればめっけものくらいに思ってたくらいですが、ギターがリー・リトナーからラリー・カールトンへスウィッチしてからでさえ、5作目となる訳ですから、このスーパー・バンドは、よほどメンバー間の相性が、音楽同様スムースで相性が良いんでしょうね。
 大体、大物と呼ばれてるミュージシャンは、時が流れるにつれ、音楽的な自我が肥大化してしまい。なにをやっても自分の刻印をベタベタと刻みこむようなタイプになってしまいがちですよね。例えば、ビートルズの「フリー・アズ・ザ・バード」なんて、往年のビートルズっていうより、明らかに「ジョン+ポール+ジョージ+リンゴの音楽」にしか聴こえなかった....。しかし、このフォープレイの凄いところは、これだけのメンツが揃いつつ、個々のメンバーは完璧に4分1に徹し、フォープレイの音楽に奉仕している点です。

 この8作目でもそうしたバンド・ポリシーは不変です。とにかく、ワンパターンといわれようと、スカスカといわれようと(笑)、彼らが90年代にめっけたフォープレイというバンドの音楽に向かって黙々と奉仕しているのは、けっこう希有な例だと思うんですが、どうでしょうか。私のひいき目かな。
 とはいえ、そんな不変な彼らも3作目から6作目あたりは、もはや音楽的に完成しつくしてしまい、なんか袋小路に入ってしまったような飽和感を感じさせたのも事実で、かくいう私自身も、かつてほどこのバンドに熱意を持てなくなったしまっていたのですが、前作ではレーベルを移籍して心機一転したのが幸いしたのか、1~2作頃を思わせる活気というか、新鮮さのようなものが甦ったような気がします。

 とりあえず、本作はここ数作の中では一番良い出来ではないでしょうか。このバンドに常々使われる形容ですが、まさに極上です。ただ、ここまでアンサンブルの洗練度を上げ、フレーズを磨き込んでいくと、その音楽はもはやジャズともフュージョンとも呼べないような気もしますが(笑)、ともあれ、極上のBGMであることは間違いないところです。
 もうちょっと具体的なことも書いておきましょう。今回は随所に現れるボブ・ジェームスのストリング・シンセと最高に気持ちよいです。また、ネイザン・イーストのスキャット・ヴォーカルは初期の頃はお遊びでしたが、最近はすっかりフォープレイのメルクマールになっていて、これまた本作では絶妙なタイミングで、現れては消えるのが実にいい感じ。曲としては、冒頭のスティングの曲はいわずもがなで、打ち込みリズムとフォープレイの共演ってな感じの「Play Around It」は実に新鮮でしたし、ホブ・ジェームスらしい仕掛けをラリー・カールトンが心地よく裏切る「From Day One」とかおもしろかったです。ついでに、「Rozil」はフォープレイ流のマリン・ミュージックで、これもとても良い感触でした。

 そんな訳で、フォープレイまだまだイケます。
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チック・コリア・トリオ・ライブ・イン・ヨーロッパ/夜も昼も

2005年03月09日 00時01分23秒 | JAZZ-Fusion
 ライナーにも書いてあるけれど、アルバム1曲目の「ループ」という曲は、同時期にスタートしたキース・ジャレットのスタンダーズをけっこう意識していると思う。憂いを含んだ旋律をちょいとラブソディックな感じで、徐々に熱くなっていくかのように進行させ、熟したあたりでベースにバトンタッチってあたり、意識しているというより、「オレ達はスタンダーズみたいにだってなれる」ってことを証明したがっているような演奏だと思うんだよなぁ。

 まっ、そんな訳でこのアルバムの1曲目は、「ザ・トリオ」としてはちょいと毛色の違った楽しさを味合わせてくれるんだけど、続く3曲のスタンダードはチック・コリア流の解釈によるスタンダーズで、「キースがスタンダードをああ処理するなら、うちはこうだ」的な感じおもしろい(まっ、そんなに意識はしてないと思いますが)。チック・コリアらしい敏捷さや、明晰なタッチ等で、ソロはもちろんだけど、「アイ・ヒア・ア・ラプソディ」のヴィトゥスのソロの裏で軽く合いの手のように入れるフレーズなんか、いかにも彼らしくてゴキゲンです。「サマーナイト」から「夜も昼も」へ移行するメドレーも、やや沈んだトーンの前者と明るいオプティミズム全開ってな感じ後者が、いい意味で対照的に配列されていて流れとして変化に富んでいるがおもしろい。
 それにしても、いつも思うんだけど、この人のテーマの解釈って、なんていうかトリックスター的な軽やかさがあるというか、いたずらっぽく微笑んで、曲をねじ伏せてるみたいなところがいいよね。センスもいいし。

 とはいえ、このアルバムでおもしろいのはここまでかな。まっ、譲って5曲目のスクリャービンの「前奏曲第2番」まで(チックにはちと荷が重いのではないか、コレ-笑)....あとのヘインズとビトゥウスのソロは、ちょっと付き合いきれんという感じ。前作にあたる2枚組もフリー・インプロのディスクの方でも割とそういうところがあったけど、このトリオって、各人の自意識が過剰過ぎるのか(笑)、時に単なる練習用フレーズの公開練習みたいな感じになっちゃうのが、つまらない。まっ、会場にいれば、これはこれで盛り上がるのかもしれないんだろうけど。
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