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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

佐藤勝/用心棒

2009年08月18日 23時01分50秒 | サウンドトラック
 このお盆休み中に、「用心棒」と「椿三十郎」を観た。多分、どちらも7回目か、8回目である。私は黒澤明の作品はちと説教臭いところがあるのが災いしているのか、それほど入れ込んでいる訳ではないけれど、この2作品ばかりは、1年か2年に一度は必ず観たくなるし、その度とんでもなくおもしろい、そして新たな発見がある....というくらいに好きな作品である。どちらも、「映画作家としての黒澤」というよりは、むしろ「映画職人としてお仕事」みたいな作品であり、黒澤自身のメッセージだの信条だのからいささか離れて成立しているのが、私にとっては敷居が低いのかもしれない。某巨大匿名掲示板群にもその手の書き込みがあったけれど(※)、この2本などかろうじてそれに近い作品なのではないか。

 などと、このまま映画本編のことを書きそうになってしまうが、それについてはまたいずれ書くこともあるだろう。今夜の主題はサントラである。この2本のサントラは佐藤勝が担当しているのだが、どちらも早坂文夫の後を継いだ佐藤のおそらく彼の代表作といっていいだろう。彼の音楽は例えば伊福部先生のようなオーケストラをガンガン鳴らすタイプではなく、どちらかというと小編成のコンボのようなスタイルで(彼は万能なので、フルオーケストラでもジャズでも平気でやってしまうのだが)、全般にジャンル横断的なフットワークの軽さと妙に記憶に残る音響、そして苦みの効いた旋律....といったあたりに特徴があると思うのだけれど、この両作品にはしばらく前にとりあげた「美女と液体人間」のようなジャズ風味はないけれど、彼の美点をフルに発揮した傑作中の傑作という気がする。

 特に「用心棒」は傑作中の傑作だ。打楽器のドロドロ、チェンバロの切れ込み、ブラスと低弦の不穏な動きに導かれて始まるメインテーマのずる賢そうな調子良さはまさに「桑畑三十郎」そのものである。ついでに書けば、こうした響きは当時としては、かなりモダンなものだったのではないだろうか。馬目の清兵衛のテーマの剽軽さなどもそうだが、時にストラヴィンスキーの新古典派的な音響に近づきもするこの音楽は、少なくともチャンバラ劇としては相当に破格だった気がする。とりわけ、ラストの対決のシーンの緊張感など、音楽だけ聴いていても実に素晴らしい。ついでに書けば、それらとは対照的に百姓小平(土屋嘉男ね)とその女房ぬい(司葉子、もうどうしようもなく美しい)のところで流れる悲劇的なテーマも、全編荒涼とした音響に彩られた音楽の中にあって、その叙情性が光っている....。


※ とても良くできた脚本を入手したプロデューサーが/「一字一句変えずに撮れ!」と黒澤に厳命した作品を見てみたかった。/職人監督・雇われ監督に徹した作品みたいなの。/きっとすごいテクニックの集大成が見られたと思う。
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石井歓/妖星ゴラス

2009年08月11日 00時05分23秒 | サウンドトラック
 毎年、今ぐらいの時期になると、仕事が終わって帰宅、風呂に入った後、好きな音楽かなにか映像作品でも観ながら、よく冷やした缶ビールを一本か二本飲むのが、私の「ささやかな楽しみ」である。今年は梅雨が明けたと思ったのもつかの間で、関東は未だに梅雨が続いているような毎日が続いていている(今朝など一足飛びに台風シーズンに突入という感じなのだったし)。なので、夜もジトジトしているのは間違いないが、さりとて、熱帯夜でもないというなんだかすっきりしない状態が続いているせいで、今年の「夜のビール」にイマイチ旨くない(笑)。

 などと、いきなり脱線してしまったが、先月の後半だったか、前述の「ビール・タイム」に、久々に「妖星ゴラス」を観た、多分、10年振りくらいである。この作品は「地球防衛軍」「宇宙大戦争」と並ぶSF三部作といってもいいと思うが、この作品はその奇想天外なストーリーもさることながら、「音楽を伊福部先生が担当しなかった」という点でも実に印象深い。担当したのは石井歓という人で、CDのライナーなど読むと直接の門下ではないとしても、少なからず縁があった人らしいし、そもそもこの作品の音楽を石井歓が担当することを推薦したのも伊福部先生だったというから、直接先生が担当していなかったとしても、ある意味お墨付きをもらった上での担当だったといことになるだが....。

 で、出来上がった音楽だが、これが伊福部ファンにとっても、ほとんど違和感のない音楽になっているのが凄いのだ。「石井歓は伊福部先生のピンチヒッターが出来てしまうのか?」という感じである。もちろん石井自身がカール・オルフ門下ということで、シンプルな動機のリフレインで音楽の原初的な迫力を表現することに関して、伊福部先生と共通するところがあったとしても、相手は伊福部先生である。たぶん、ここで石井は先生の映画音楽を十二分に研究したのだろう。「ゴジラのテーマ」と相通じる、迫力満点のメインタイトルなど、そうした成果が無意識に出てしまったのかもしれない。また、ハリウッドのミクロス・ローザあたりのドラマチックさも隠し味にもっているような気がする。

 という訳で、この作品、伊福部先生とほぼ同じ映画音楽の土俵で勝負して、なおかつ、かなりいい線で先生の音楽に拮抗した音楽を作り得たという点で非常に印象が深い。映画を観ながら、ほとんど伊福部先生だったら、きっとこう音楽をつけるるんじゃ....などと、ほとんど思わせないところが凄いのである。ついでにいえば、「オイラ、宇宙のパイロット」という、「ゴジラ伝説3」で一躍有名になった挿入歌のオリジナル版が聴けるのも、好き者にはお楽しみの一瞬である。
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海賊ブラッドとスクリーンの豪傑たち/various artists

2009年03月29日 17時55分42秒 | サウンドトラック
 ナクソスから出た映画音楽のコンピレーション、収録されているのはミクロス・ローザの「The King's Thief(55年)」、ヴィクター・ヤングの 「血闘(52年)」 コルンゴルトの「海賊ブラッド(35年)」、マックス・スタイナーの「三銃士(35年)」の4本。原題は「Captain Blood and other Swashbucklers」、Swashbucklersというのは「暴れん坊」みたいな意味らしいので、こんなタイトルに意訳してみたが、多分「スクリーン狭しと暴れまくるヒーローがする登場する映画」ばかりを集めたコンピレーションということなのだと思う。この手の映画音楽コンピレーションは日本にもあるが、アメリカではけっこう盛んなようで、私自身もハリウッド暗黒映画、エピック映画、シャーロック・ホームズ、エイリアン三部作、バック・トゥ・ザ・フューチャー三部作、歴代スーパーマン、しばらく前にレヴュウしたハマー・ホラーなどなどけっこう所有している。

 さて、収録曲だが、ミクロス・ローザの「The King's Thief」は7分半の小組曲で、冒頭から金管が咆哮するいかにも英雄冒険譚らしいムードで始まる(録音はナクソスなので、抉るようなシャープさはないが、まずまずのHiFi録音)。ローザは初期は「白い恐怖」あたりのニューロティック&メロディアス路線、後期は「ベンハー」に代表されるダイナミックなエピック映画路線という、ふたつのイメージがあるけれど、この作品はそのどちらにも属さない、妙に明るい快活なムードが珍しいかもしれない。組曲中2つ目のバロック調のセクションの伸びやかな開放感、3つ目に収録されたラブ・テーマ風の美しさなど印象に残った。

 2曲目の「血闘」はヴィクター・ヤング作曲だが、この人は映画音楽の大家の割にはサントラの復刻、あるいはスコア演奏などでも不遇気味なので、この作品はけっこう貴重かもしれない。私も映画内では彼の音楽をきっといろいろ聴いているはずだが、こうして聴くのとほぼ初めてである。この作品の音楽は、映画の性格上仕方ないかもしれないが、ほぼコルンゴルトの後塵を拝した、典型的なハリウッド・スタイルである。元々クラシックのヴァイオリニストだったというから、ストリングスを全面に出したやや甘目の音楽なのが特徴になっていると思う。きっと恋愛映画などでは本領が発揮したのだろうと思う。

 コルンゴルトの「海賊ブラッド」は、彼のハリウッドのデビュー作である。前述の「決闘」のほとんど始祖ともいえる作品だと思う。ここでは計6曲、約20分の組曲が収録されているが、この作品の全曲版はサントラでもスコア盤でもみたことが、とりあえずこれだけ収録されていれば、ほぼおいしいところは楽しめるのではないか。
 メイン・タイトルは説明を要しないといってもいい、金管が咆哮する典型的なコルンゴルト節だ。2曲目のハイライト部分はリヒャルト・シュトラウス直系のオーケストレーションでもって、ウィーン風な甘さが出た、これまたコルンゴルトらしい夢見るように美しい音楽になっている。3曲目は瀟洒なウィンナ・ワルツ風な小品。4曲目は「ヘリアーネの奇跡」を思い出せる幻想的な音楽。ラストの2曲は眩いばかりのオーケストレーションでつくられたダイナミックな活劇音楽である。

 最後の「三銃士」はマックス・スタイナー。この人はなんといっても、「風と共に去りぬ」の音楽が有名だから、いかにもハリウッド通俗映画の大家といったイメージだが、コルンゴルトほど破格ではないとしても、この人も名付け親はリヒャルト・シュトラウス、ブラームスに薫陶を受け、15歳で入ったウィーン国立音楽大学ではマーラーから教えを受けながら、約1年でその修了したというから、ウィーンではかなりのアカデミックな神童だったことは間違いない。
 この音楽は1935年に作曲されたようだし、コルンゴルトの影響はほとんどなかったのだろう、これまでの3曲と比べられると、メロディックで旋律主体のたおやかさがあり、オーケストレーションもある意味地味というか、オーソドックスさにあふれている。2曲目の「愛のテーマ」あたりはスタイナーらしさ全開の旋律だが、こうして聴いてみると、スタイナーの少しばかり翳りのある甘さってのも、実はウィーン的なものだったことがよくわかる。
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HERRMANN / Obsession (愛のメモリー)

2008年11月10日 23時55分57秒 | サウンドトラック
 60年代中盤、ヒッチコックとの痛恨の決別の後、しばらく英国で指揮や作曲活動をしていたハーマンだが、それから約10年後最晩年の日々を再びサウンド・トラックに力を傾注することになる。彼が最晩年に残した作品はどれも傑作だが、私が好きな作品は一般的に知名度も評価も高い「タクシー・ドライバー」ももちろん素晴らしいが、それ以上に愛着を感じるのがこの「愛のメモリー」である。この作品は自他共に認めるヒッチコックの後継者ブライアン・デパルマが、「キャリー」でブレイクする直前に撮った作品で、妻娘を誘拐され、死なせてしまった主人公が、十数年後、旅行先のイタリアに死んだ妻と瓜二つの女性と出会う....ストーリーからして、もろにヒッチコックの「めまい」を思わせる作品なのだが、なにしろそこに「めまい」の音楽を作った本家ハーマンをつれてきたのだから、音楽的には悪くなりようがないともいえる作品であった。

 愛している人を失い、やがてそれに瓜二つの女性に遭遇したことで、失った巨大な欠落感を埋めようとする....ストーリーは、現実的にはなかなかないだろうが(笑)、ハーマンの場合、そうしたやや不安定な精神状態をロマン派最終ステージの音楽のように表現して、ちょっとありえない物語の推移にある種のリアリティを与えることに成功している。壮絶さや緊張感といった点では「めまい」に一歩譲るが、全編を通じてその幻想的なムードは忘れがたい印象を残す。
 なので、この作品の場合、音楽的ポイントは、主人公の愛していた女性(この場合妻)の幻影が、まるで幻のように現れては消える主人公の心情を、それこそシレーヌのようなコーラスを伴った独特なテーマでもって表現して、それが度々劇中に現れることによって、映画全体にある種幻想的な雰囲気を与えているところにあるのだろう。逆にいえば、その分「めまい」ほど痛切な情感はなく、ある種達観したような雰囲気になっているともいえるが、このあたりはやはりハーマンの晩年ということも関係あるだろう。

 また、前半に現れる「ワルツ」も傑作、これはハーマンが作った名旋律のひとつだろうと思う。流れるように優美で、しかもその怒る悲劇をも予感させる雰囲気もおりまぜて、ワーグナーよろしく半音階で上り詰めて行く様はまさに陶酔的であるし、そのままつながる誘拐のシーンでの音楽はまさに「めまい」的なスリリングさがある動のハーマンを感じさせる仕上がりで、これまた素晴らしい。
 ちなみにこの作品、映画的にみると実は大したことない。私は大昔TVで見たきりだが、ストーリーがいくらなんでも....的に無理があったことがやはり大きい。ただ「千日のアン」ですっかりファンになったジュヌヴィエーヴ・ビジョルドが美しかったことと、ラストのぐるぐる回るシーンのデパルマらしいシーンだけはよく覚えている。
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Stephan Oliva / Ghosts Of Bernard Herrmann

2008年10月07日 23時44分41秒 | サウンドトラック
 それまで単なる娯楽映画だと思われていたヒッチコックの諸作品に様々な芸術的価値を最初に見いだしたのは、1950年代カイエ・デュ・シネマというフランス映画批評誌に集った人達で、その中にはその後ヌーヴェルヴァーグの旗手となるトリュフォーとかシャブロルみたいな人もいた。そうした人達が当時書いた文章(とはいっても日本に翻訳されたものしか読んでいないが)は、時にあまり文学的なキーワードだの、象徴だのを深読みしすぎていて、思わず失笑するようなものあったけれど、多くは示唆に富んでいて、明晰なものものだった。ヒッチコックとトリュフォーによる対談集、映画術など20代の頃むさぼり読んだものだ。

 このアルバムはフランスのジャズ・ピアニスト、ステファン・オリヴァによるヒッチコック作品を中心としたバーナード・ハーマンの映画音楽作品集だ。ジャズ・ピアノといってもトリオではなく、すべてピアノ・ソロで演奏されていて、インプロビゼーションもおそらく皆無、全体としてはかなりクラシカルなたたずまいが強く、雰囲気的にはヨーロッパ系のジャズピアニストがやりがちな静謐で瞑想的なソロスタイルとも重なる。また、単にハーマンの有名スコアをピアノにトランスクリプションしたのではなく、数ある楽曲をおそらく入念に検討した上で、実に考え抜いた選曲、編曲したことが歴然とした内容になっている。
 なにしろ、アルバム冒頭は「サイコ」でも「めまい」でも「華氏451」でもなく、「幽霊と未亡人」なのである。「幽霊と未亡人」の音楽はハーマンのベスト集みたいなものにもなかなか収められない地味な作品だが、実はハーマンの傑作のひとつである。しかも、弾いているのは、かろうじてファンには有名なあのメイン・テーマではなく、「夜想曲」というもっと地味な印象派風の曲なのだ。まぁ、その選曲がすべてを物語っていると思う。

 いや、もちろん前述の三作品をはじめ有名作品も出てくることは出てくるが、組曲にせよ、単体にせよ映画からセレクションされた曲が地味なものが多く、ピアノという楽器で演奏されて、改めてその美しさを知るみたいなものが多い仕掛けになっている。まぁ、それこそこのピアニストがこのアルバムで狙ったものなのだろうが、これを聴きながら、「これって、大昔カイエ・デュ・シネマの連中がやったことのある意味音楽版だよな」と思ったのものだ、フランスの伝統おそるべしである。
 という訳で、近年出たハーマン関連の作品では出色の出来だと思う。「愛のメモリー」~「めまい:組曲」~「悪魔のシスター」~「サイコ:組曲」へと続く流れ(作品の相関関係をごらんあれ-笑)は圧巻、ハーマン・ファンは必聴だ。

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宮内國郎/ガス人間第一号

2008年01月17日 03時48分39秒 | サウンドトラック
 こちらは「ガス人間第一号」のサントラ盤。担当したのは宮内國郎だが、彼の名前を聞いても音楽をその即座に浮かばない人でも、好き者ならこのサントラを聞けばあっと驚くこと請け合いである。何故かといえば、ここでの音楽のかなり部分がその後のテレビ・シリーズ「ウルトラQ」や「ウルトラマン」で流用されるからだ。なにしろメインタイトルは「ウルトラQ」の例えば「ゴメスを倒せ」その他て゜主に怪獣が誕生するシーンで数多く使用され、「藤千代とガス人間」も怪獣の末路で表現するシーンで多用されたものであり、ともかくテレビで「ウルトラQ」に親しんだ人は、オリジナルのこちらの方に違和感を覚えるほどに、テレビで慣れしたんでしまっているはずだからだ。実際、私も昭和40年代の中盤頃だったか、はじめてこれを観た時は「えっ、なんでここにウルトラQの音楽が出てくるの?」と驚愕したものだった。もっとも「ビルマの竪琴」を観た時も、「なんでここにゴジラの死ぬシーンの音楽が出てくるんだ」と思ったものだけど(笑)。

 ちなみに音楽そのものの仕上がりだが、宮内という人はどちらかというとクラシック系ではなく、ポピュラー系の人らしく、この作品も比較的小規模なオーケストラ(金管の咆哮や木管のグロテスクな表情、弦のミステリアスな動きなどはストラヴィンスキー的である)、キャバレー・シーンでかかるジャズ風なもの(イージー・リスニング風ではあるが)、能楽と様々な音楽をそつなくまとめている。まぁ、そういう意味で変身人間シリーズとして佐藤勝の音楽に近い感触がある。ちなみに佐藤勝が怪奇ムードを盛り上げるためにミュージック・ソウを使ったように、宮内はここで電気アコーディオンのモジュレーションがかかった音色を多用して、尋常ならざるドラマの雰囲気を演出しているが、劇中の「情鬼」の音楽は完全な能楽作品のように聴こえるが、これは映画のためにわざわざ作ったオリジナル作品なのだろうか?、ともあれ一種独特のスタティックな風情があって、これまた印象深い。
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佐藤勝/美女と液体人間

2008年01月08日 22時12分47秒 | サウンドトラック
 この年末年始はいろいろなDVDを観たが、けっこう立て続けに観てしまったのが、東宝特撮映画でも異彩を放つ変身人間シリーズである。子供向けのゴジラ・シリースなどと違って怪獣は登場せず、なかなか正体を現さない変身人間、怪奇なムード、どろどろとした人間関係から起こるドラマ等々、完全に大人向けの特撮映画なのだが、東宝はこれを昭和30年代中盤くらい数本、つまり「美女と液体人間」「電送人間」「ガス人間第一号」「マタンゴ」を作っていて(これに昭和29年の「透明人間」を付け加えてもいいのだが、あれはまるで戦前映画の雰囲からして、ちと違うと思う)それを立て続けに観たという訳だ。

 中でも私が好きな作品は、この「美女と液体人間」である。液体人間がゼリー状のようなほとんど意志を持たない攻撃的な生物として出てくるという「怖さ」もいいし、主役のジャズ歌手を演じた白川由美の、まるでパラマウントの女優さんのようなクールな美しさも惚れ惚れとさせる。また、随所に現れる昭和30年代の築地だの、お台場などが風景が出てくるのも観ていてとても楽しいところで(私がレンタルしたDVDは、マスターからリマスタリングした新ヴァージョンらしく、VHS時代とは比較にならないくらい画面が非常に綺麗だったのも幸いだった)、とにかく私はこのシリーズでは、ダントツでこれが好きなのだが、この作品でもうひとつ忘れられないのは音楽の魅力である。

 このシリーズの音楽は、ゴジラ・シリーズでの伊副部先生のようにほぼ固定で誰かが担当するのではなく、結果的にそうだっただけかもしれないが、作品毎に作曲家を替えていったのもひとつ特徴なのだが、この作品は佐藤勝が担当している。佐藤勝といえばゴジラもやれば黒沢作品もやる、フルオーケストラを囂々鳴らしたかと思えば、奇妙な音響で画面にユニークなアクセントをつける、小さなアンサンブルで小粋な音楽を画面につけたりと、ある意味で万能というか、早い話が「日本のエンニオ・モルリコーネ」的人だと思うのだが、この作品ではこうした彼の魅力が良く出ていると思うのである。

 例えばメインタイトルはオーケストラがパワフルに鳴る豪快なマーチ風、液体人間が現れる怪奇ムード一杯のシーンではミュージック・ソウの奇妙に怖い色+バルトークみたいなオーケストラ・サウンドを使って雰囲気を盛り上げ、舞台となるナイト・クラブではそれこそコンポ・スタイルでノリノリにスウィンギーな曲をやったかと思えば、エラ・フィッツジェラルドばりのヴォーカル曲(若き日のマーサ三宅が歌っているらしい)を聴かせるという具合に、実にヴァーサタイルな音楽を展開していて、これがどの曲も実に佐藤勝らしい斜に構えたようなドライな個性が良く出ていているのだ。

 特に傑作なのはラスト近くに流れる「液体人間の最期」で、気怠くなにやら退廃的なムードすら漂うサックスをモチーフを中心にうごめくように進んでいく様は、なんともいえない魅力があって、個人的には数ある東宝特撮映画の音楽で、もっとも印象的なもののひとつなっているのだ。ついでながら、13曲目のパップ調の曲だけど、たぶん昭和30年代の日本のジャズ・ミュージシャン使ったのだろうけど、けっこう豪快にスウィングしている様もさることにがら、この時期の日本のキャバレーってこんなの生で流れていたか?とちょっと意外な気もした。
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B.HERRMANN / Jane Eyre

2007年12月25日 22時11分50秒 | サウンドトラック
 という訳で、ハーマンが作った「ジェーン・エア」のサントラである。オリジナル・サウンド・トラック盤については、以前レビュウしたので今回はスコア盤を聴いてみた。ナクソスの傍系レーベルであるマルコポーロから1994年に出たもので、同レーベルの裏看板となった感もある「Film Music Classics」のごく初期発売分である。演奏はアドリアノ指揮のスローヴァーク放送響で、おそらくほぼ全曲に近い形で収録されている。先のサントラは30分程度の抜粋、その後にハーマン自身が振ったのは10分程度の組曲版だったから、デジタル録音でこうした全曲盤があるのはありがたい(そろそろヴァレーズ・サラバンデが再録するような気もするが)。

 さて、映像を観ながら聴いたハーマンの音楽の感想だが、あまり傑作とはいえないあの映画をとにもかくにも最後まで観客を惹きつけ続けたのは、やはり出演者の貫禄や熱演振りにあったのは当然だとしても、やはりハーマンの音楽の魅力というのもかなり大きな部分があったように思った。この映画はゴシック・ロマン的なムードや館物特有の謎めいたムードが横溢しているが、その重厚さ、格調高さ、そしてミステリアスさを、一気に高めたのがハーマンの音楽といってもおかしくないと思う。「市民ケーン」でもお馴染みの木管を組み合わせた鬱蒼とした音使いや霧の中で初めてウェルズと遭遇するシーンやふたりが結婚を約束する落雷のシーンなど衝撃的な不協和音を伴っていて特に印象的だ。おそらく当時としてはかなり思い切った音の選び方だったはずだ。また、フォンテーンとウェルズの二人が秘めた癒しがたい恋愛感情を表現しているのが、劇中何度もリピートされるメイン・テーマであり、すぐに手の届くところにいながら、なかなか手の届かず、切ないまでに高まり続ける主人公たちの悲劇的な感情を絶妙に表現している。

 ともあれ、以前のサントラのところでも書いたけれど、ハーマンはこの手のニューロティックな愛の音楽を得意としていて、これは、その後作り出す大傑作「めまい」「マーニー」「愛のメモリー」といった系列の作品群の一番最初に位置する傑作ということでも忘れられない作品だ。映画そのものは何度も観るようなものではないと思うが、やはりこの音楽だけはこれからも何度も聴くことになると思う。ちなみにアドリアノ指揮のスローヴァーク放送響のバフォーマンスだが、基本的に今どきなシェイプしたリズムとあっさりとした表情で最後まで演奏している。映画の雰囲気を味わうならもう少し濃厚な表情をつけるべきだろうが、独立した音楽として楽しむならこれはこれでありだと思う。
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ルイス・バカロフ/イル・ポスティーノ

2007年12月23日 13時02分18秒 | サウンドトラック
 「オーケストレーションはユニークだし、イタリア的なところとエキゾチックなところが妙に入り交じった旋律もおもしろいし、けっこう看過できない存在かなぁ....と思い始めました。とりあえずオスカーを受賞したという「イル・ポスティーノ」でも聴いてみようかな。」と書いたのが、このゴールデンウィーク前のことで、すぐにオークションで購入したはいいが、例によってけっこう時間が経ってしまいました。これはアルゼンチン出身、主にイタリア映画(それもB級作品ばかり)で活躍したルイス・バカロフが、なんと1995年にオスカーを受賞したという作品です。ナポリ沖合の小さな島を舞台にした、青年と詩人の友情を描いた作品らしく、映画のそのものいろいろなオスカーその他、いろいろな賞にノミネートされたりしていますがら、けっこう名作だったようですが、実際、受賞までこぎつけているのはなんといって音楽が多いですから、それだけこの音楽は高く評価されたんでしょう。

 音楽はなんといってもアルバム中、数回リピートされるメインテーマが印象的です。タンゴで使うバンドネオンの鄙びた音色が、壮麗に響き渡る弦と交錯して不思議な調和を見せています。私はこの映画を観ていないので、なんともいえませんが、なにしろ青い海と空が印象的な作品らしいので、こうした風景の元で展開されるドラマを音楽では弦とバンドネオンという構成で表現したんでしょう。なにしろ、冒頭でフェイドインするように入ってくる弦の既視感を誘うような響きと、そこにのっかるバンドネオンの懐かしい音色はそれだけで映像を喚起するような不思議な力があり、そこからイタリアらしい哀しくなるほどに美しい旋律がゆったりと展開していくあたり一聴して魅了されます。゜ちなみに4つヴァージョンですが、メインタイトルの他はピアノ+バンドネオン+ヴァイオリンで構成されたトリオ、バンドネオンのソロ、メインタイトルにチェンバロが加わった短いブリッジのようなもの、そしてたぶんエンドタイトルとなるアコスティック・ギターとバンドネオンのアンサンブルで演奏されたものとなりますが、どれも心が浄化されるような美しさがあり、アカデミー賞もかくやという感じでしょうか。

 その他、印象に残った曲をメモっておくと、2曲目の「自転車ののって」はおそらく主人公を現すテーマで、音楽的には重要なモチーフとして映画の中では何度かリピートされているようで、このディスクでは14曲目「郵便配達の詩」で再現されています。ユーモラスではあるがどこか哀しげなところはいかにもイタリアという感じ。ついでに5曲目「ベアトリーチェ」は、弦とバンドネオンにチェンバロが加わり、なんだか60年代にイタリア映画にタイムスリップしたような趣がある曲、主人公の漂泊する魂を表現したような6曲目「メタフォーレ」、あと4曲目「ポスティーノ・バンビーノ」ではヴィブラフォンを配し、10曲目の「郵便配達の夢」はパンフルートをともなったメイン・タイトルのリピートでとなっています。いや、何度聴いてもいいです、このテーマ。
 という訳で、久々にイタリアらしい映画音楽を聴いたという感じ、こういう伝統がイタリアにまだ残っていたというのはある種驚きでもありますが。ちなみにこの作品、大貫妙子さんあたりきっと大好きなんじゃないかな。
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HENRY MANCINI / Music from Mr. Lucky

2007年11月14日 22時16分36秒 | サウンドトラック
 こちらは1959年のテレビ・シリーズのサウンド・トラック。私はマンシーニのフィルモグラフィをあまり正確に把握していなのだが、おそらく「ピーター・ガン」と先日レビュウした「ティファニーで朝食を」の間くらいの作品ではないかと思う。ちなみにこれは映画ではなく、「ピーター・ガン」同様、ブレーク・エドワーズの制作によるTVシリーズのサウンド・トラックで、一種の探偵ものらしく、「ついてる男」として日本でも放映されていたようだ。当時の私はこの作品をテレビでひょっとすると見ていたかもしれないが、なにしろ小学校に入ってもいなかった時期なので、当然のことながら全く記憶にない。

 音楽はなかなか魅力的だ。優雅さとちょいとばかりやくざなところが奇妙に入り交じったテーマ曲は、そもそもマンシーニズ・スタンダーズのひとつだろうし、その独特な風情は忘れがたい印象を残す。なんでもこのTVシリーズの主人公であるミスター・ラッキーは、豪華ヨットにのったリッチなカジノのオーナーという設定らしく、この雰囲気はそのあたりをきっとうまく表現していたのだろうと思う。また、3曲目り「ソフトリー」ではマンシーニのもうひとつのメルクマールである、イタリア的な哀愁の旋律を流麗なストリングスとアコピで演奏する黄金のパターンが早くも登場しているのも興味深いし、「マーチ・オブ・キュー・ボールス」は「子象の行進」でお馴染みのユーモラスなマンシーニ調行進曲。「ピーター・ガン」でも聴かせたジャジーでムーディーなセンスが心地よい「ナイト・フラワー」、「ブルー・サテン」といった曲もあるし、カリプソ風なラテン風味もあって、全体にバラエティに富んでいる印象だ。

 また、ほぼ全編に渡ってストリングスが鳴っていて、「ピーター・ガン」的なオシャレでジャジーなセンスを引き継ぎつつも、全体に明るさが増し、優雅な趣が強いのは、もちろんドラマの性格もあったのだろうが、マンシーニ自身がアレンジャー的なお仕事としてではなく、いよいよ映画音楽家として、一本立ちというかいよいよ独自の主張を始めたスタンスの変化も伺わせるに十分であろう。
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水田直志/Final Fatntasy XI ジラートの幻影

2007年09月26日 23時46分01秒 | サウンドトラック
 「ファイナル・ファンタジーXI」本編の翌年、つまり2003年に発売された拡張ディスク第1弾のサントラである。昨日も書いたとおり、これ以降の音楽はほぼ全面的に水田直志が担当することになるため、このサントラもクレジットは水田ひとりになっているが、一年が経過して音楽的にもこのゲームのツボを掴むことに成功したのか、音楽自体の起伏、鏤められた楽曲のヴァリエーション、ゲーム画面との相乗効果などなど、前作より数段上を行く充実した仕上がりになっている。私はこのゲームを拡張ディスク第2弾である「プロマシアの呪縛」すらリアルタイムで体験していないクチなので、音楽的には最初から本編も拡張ディスクもシームレスに聴いてきたのだが、こうしてくっきりとディスクで分けられると、はっきりとこの「ジラートの幻影」の方が充実していることがわかるのだ。

 印象的な曲は数々あれど、まず筆頭にくるべきは「ユタンガ大森林」の音楽だろう。ジャングルっぽい鬱蒼としたムードに、バラライカみたいなエキゾチックな響きのする弦楽器が絡み、異境的な雰囲気を漂わせつつ、ベースとなっているリズムは意外にもファンクっぽいリズムのテクノ的翻案だったりしているのが、まさに「架空世界の風景の箱庭化」に相応しい仕上がりだと思う。またリズムが次第に錯綜しサウンドが分厚くなって、次第に混沌としたムードになっていくあたりの構成もよく、一個のジャングル・テクノ的な作品としても楽しめてしまいそうな出来である。あと、日本人のプレイヤーに非常に受けがいいのが「聖地ジタ」の音楽、外人の場合この曲は「聴いていて眠くなる」という人が多いのだが(笑)、この曲に漂うそこはかなとない哀感のようなものが、日本人の好みにあっているのだろう。この音楽はその後拡張ディスク「アトルガン」でエジワの洞窟の場面で、これの続編のような音楽を聴かせることになる。

 あと「空」関係の音楽は、私自身がゲーム内で「空」に到達したばかりなので、あまり馴染みがない、つまりそれほど聴き込んでいないのだが、どれもエキゾチックなスケールを使い、奇妙な遠近感が寂寥感を演出するサウンドを持った曲が多く、上手に異世界的な雰囲気をかもしだしているとおもった。いくつか用意されたバトル・シーンの音楽は概ね、スケール感がアップして、前作で担当した谷岡のキャラをフォロウしたようなクラシカルな面も見せて器用なところをみせている。
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植松伸夫,水田直志&谷岡久美/Final Fatntasy XI

2007年09月25日 23時47分36秒 | サウンドトラック
 当ブログは一応音楽ブログで、それもかなり包括的に音楽を扱っているせいで、私自身様々な音楽を聴いているつもりなのだが、ここ2年くらい一番聴いた音楽というと、実はこのFFXIのサウンドトラックなのではないかと思う。なにしろここ2年ほどこのゲームやりつづけ、様々なシチュエーションでサウンド・トラックを否応なく聴いてきた訳だから、単に聴いた頻度でいうならけならダントツでトップなのは間違いない。まぁ、逆にいうと、そうした音楽であるが故に、サントラなど買って聴くまでもないと思っていたのもまた事実だし、そもそもゲームのサントラを購入するのは、私の場合決まってゲームをクリアした後なのである。ところが、本日仕事帰り某中古書店に立ち寄ったところ、これと「ジラートの幻影」が一枚1000円くらいで売りにだされていたので、ちと気紛れを起こして購入してきてみた。

 今まで全く知らなかったのだが、これのサントラはメインとなる楽曲のほとんどは水田直志が作曲し、補助的に谷岡久美、FF音楽の元祖、植松伸夫は数曲提供しているものの、ほとんど監修という立場で参加しているようだ。音楽的には毎日聴いているものが多いので特になんということもない、特段の発見も新鮮さも特には感じなかったが、あえていえば、ゲームディスクに収録された圧縮音源はなく、無圧縮で収録されたリニアな音を高級ハイファイ装置で聴くと、細部までくっきりと見渡せ、「へぇ、あそこのエリアの音楽ではこういう音が鳴ってたのねぇ」とは思った(とはいえ、私はPS2をAVアンプを繋げて5.1chで再生しているので、画面はともかく音的にはかなりリッチな環境で聴いてはいるだが)、どの楽曲も日本人らしくかなり強力に作り込まれていて、音楽の情報量、密度はかなり高いのである。しかも、どの楽曲もあまり強烈に個性を自己主張するようなことなく、ゲームの効果音の一種として、更にはオンラインゲームという性格を考慮したのか、比較的地味でかつ機能性を重視した飽きのこない仕上がりになっているのは、ある意味でさすがといえる。つまり、すぎやまこういちの「ドラクエ」とは対照的なのである。

 音楽的には、ドラマの象徴的、情念的、ドラマチックな部分は植松、このゲームで組み立てられた「世界の風景を音楽で箱庭化」する作業はもっぱら水田、そのヴァリエーションを広げるために谷岡が色を添えているというところだろうか。水田はもともとロック系のギタリストなのだろうか、アーシーでブルージーなアコスティック・サウンドをテクノ的サウンドにのっけるというような試みを随所で行っていて(「バタリアのテーマ」など)、これはこのゲームの冒険者というイメージを上手く表現していると思う。一方、谷岡は非常にクラシカルなオーケストレーションでもって壮麗なサウンドをつくっていて(「バストゥークのテーマ」など)、全般に-良い意味で-緩い水田の音楽に対して、いいスパイスになっていたと感じ、個人的に彼女の音楽はとてもいいなぁと思った。これ以降のサントラはもっぱら水田が担当しているようで、彼女の出番は目下のところないようなのだが、次のディスクでは彼女の壮麗な音楽も復活してくれたらな....などとこれを聴きながらふと感じてしまった。
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ヘンリー・マンシーニ/ティファニーで朝食を

2007年09月08日 21時33分01秒 | サウンドトラック
 半年くらい前にマンシーニの私家版ベストをつくった時、「これでようやく一通りの名曲は押さえたから、後は個々のアルバムをじっくりと聴いてみようか」などと思って、その直後にマンシーニの実質的デビュウ作である「ピーター・ガン」関係の2枚だけはレビュウし、アルバムもしこたま買い込んであるのだけれど、新ウィーン、シューマン、ボサノバとあちこち寄り道しているうちにすっかり中断してしまっていた。私の場合、なにしろいろいろな音楽を聴いているせいで、系統立てて(私の場合、クロノジカルに聴くとということが圧倒的に多いのだが)に聴いていこうというシリーズは、最初は意欲満々、その後中断してしまうことが多いのだが(笑)、マンシーニもそうなりそうなので、とりあえず忘れないために1枚だけレビュウしておく。

 このアルバムは、もちろんヘップバーン主演の名作「ティファニーで朝食を」のサントラである。マンシーニは「ピーター・ガン」で注目され、この後「ミスター・ラッキー」の音楽も手堅くまとめているが、やはりマンシーニが映画音楽の花形として一躍シーンに躍り出たのはこの「ティファニーで朝食を」ということになるだろう。オシャレなジャズ系の音楽を映画に持ち込むというのは、「ピーター・ガン」以来のテクニックだが、それに加えてここでは、「ムーン・リバー」という、美しい旋律をもった魅力的な主題曲を作りだしたところが素晴らしかった。なにしろこの曲は出た時点で、問答無用にスタンダード化していたし、私自身、そのスウィートで可憐なメロディーはそれこそ何度聴いても飽きないし今でも新鮮に響く、アカデミー賞を獲得したのも当然といえる。ついでにいえば、この作品、映画の性格もあるが、ラテン風味やサロン風なアコスティック・サウンド、ストリングス、そして主題曲でもフィチャーされるコーラスなど、従来のジャジー路線からかなり音楽の幅を広げているのも特徴だと思う。
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デビッド・アーノルド/007 カジノ・ロワイヤル

2007年09月06日 23時00分26秒 | サウンドトラック
 これまでのシリーズとは思い切ってリニューアルした感のある007シリーズだが、音楽はこれまで通りデビッド・アーノルドが担当している。従来からのトーンを引き継いでいるのはキャスティングではジュディ・ディンチのM、そして音楽面でのアーノルドのみといったところだが、まぁ、このあたりはすべてリニューアルしないあたり、ぎりぎりのところでバランスをとったというところなんだろうか。まぁ、音楽面でいえば(最近の映画界のことはよくわからないけれど)、こと007シリーズの音楽に関して、デビッド・アーノルドがほぼ完全にジョン・バリーの後継に収まっていて、余人をもって代え難いというところもあるのだと思う。

さて、このサントラだが、これまでと趣向が違うのは、なんといっても主題歌の入っていないことだろう。なにしろ全25曲、全てデビッド・アーノルドによる音楽なのである。今回の主題歌は「リビング・デイライツ」でのa-ha以来、実に久々の男性ボーカル、歌うのはクリス・コーネルなのだが、何故だかこれが入っていないのだ。クリス・コーネルといえばオルテナーナティブ系の元サウンドガーデンのメンバーだったこともあり、このあたりはアーノルドの音楽嗜好とも一致していそうなので、意図的にアルバムからはずされた訳でもないだろうが、やはりアルバム序盤に歌が入っていないのは従来とは違ったイメージではある(個人的には今回の主題歌ちと冴えない印象があったので入っていなくても、なんてこもないが、主題歌を目当てにしている人はさぞやがっかくりくることだろう)。

 音楽的には、とにかく007のテーマがでてこない。暗示するようなところはあるのだが、あの懐かしいテーマがはっきりと現れるのは、「007が誕生した最後のシーン」の後のクロージング・タイトルの部分なので、作品のサンセプトは音楽の方も一貫しているという訳だ。まぁ、ある意味でアーノルドとしては本作こそはじめて007シリーズの音楽を自力で勝負したというところかもしれないが、12分にも及ぶマイアミでの飛行機爆破テロを阻止するシークエンスの音楽など、アブストラクトなオーケストラ・サウンドとテクノ風味の融合など、なかなかの聴き物になっている。とはいえ、「二度死ぬ」とか聴いたことがあるようなフレーズをつい使ってしまうのはご愛嬌だが....。 
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デビッド・アーノルド/007 ダイ・アナザー・デイ

2007年08月13日 23時23分53秒 | サウンドトラック
 昨夜観た「タイ・アナザー・デイ」だが、今夜はサントラを聴いてみた。音楽はこれで3作連続となるデビッド・アーノルドで、昨夜も書いたとおり、今やジョン・バリーの後継者としてすっかりシリーズの常連になったという感じだが、本作でも従来型の007サウンドと現代的なリズムのセンスとアシッドでギラギラを合体して、伝統の継承と革新を見事に行っている。とはいえ、さすがに3作目ともなると、伝統の継承面は多少後退しているようであり、ロック世代であるアーノルドらしくハウスっぽいリズムを全面に出した音作りがいつにもましてフィーチャーされているようだ。

 それはオープニングのガンバナーの音楽(CDどは3曲目)のアブストラクトなリズムで既に明らかだが、北朝鮮のシーンでハイライトで鳴り響く、ジェームス・ボンドのテーマをフィチャーした「ホーバークラフト・チェース」で、前作「ワールド・イズ・ノット・イナフ」以上に、リズムが刺激的になり、その賑々しさはなにやらボンドのテーマすら遠景へと追いやってしまっているようですらある。この手のボンド・アラ・ハウス系の曲では12曲目「ホワイトアウト」と13曲目の「アイス・インク」は終盤のハイライト・シーンで流れる曲だが、やはり007的な金管の咆哮とハウスのリズムが合体したてスリリングな作品で楽しめる。特に後者の煽るようなリズムは圧巻であるし、オーケンフォールドがリミックスしたジェームス・ボンドのテーマも紛れもないハウス的仕上がりで、こちらも問答無用の仕上がりだ。

 一方、これらの曲にはさまれた要塞を描写したような「007は二度死ぬ」を思わせるスケールの音楽もデビッド・アーノルドらしいところだが、ラストの「ゴーイング・ダウン・トゥゲザー」では、パロディと思うほどに「007は二度死ぬ」のテーマ曲にそっくりなのはご愛敬といったところか。あとテーマ曲はマドンナが歌っているが、プツプツ切れるような音作りはかなりラディカルだが、ちとやり過ぎな感もなくはない。キャラクターとしてはこれ以上ないくらい華があり、007向きなはずだったが、主題曲としてはすこしばかりハズしたといったところか。という訳で、「カジノロワイヤル」で、アーノルドはどんな音楽を展開しているのだろう?。
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