UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

にわか政治論文その2:どんな手段を使ってもよいのか?・・・目的と手段の関係・・・

2017-09-29 02:28:58 | 日記

昨日衆議院が解散されました。みなさんもご存知のように民進党の前原代表は解散直前になって独断で、民進党を事実上解体し、「保守」であることを明言する小池氏の「希望の党」に合流することを決め、昨日午後、議員総会において全員一致での合意を取り付けたとされています

選挙直前になっての予想外の大きな展開が世間を騒がせています。一市民として無責任に申し上げれば、このような占拠劇の予想外の展開は面白ければ面白いほど歓迎ということになるのですが、選挙の行方を左右するのは選挙民であると私たち市民ですから面白がっているだけではすみません

このたびの合併劇がこれまでになく人々の注目を集めているのは政治的姿勢を大きく異にしているはずの政党の合併だからです。長らく中道右派を標榜してきた政党とはじめから「保守」であることを公言してはばからない新党の合流だからです。本来であれば水と油ともいうべき関係にあるものと誰もが考える二つの党の合流だからです

そして、GGIの偏見かもしれませぬが、民進党が合流する相手の新党の党首小池氏の政治姿勢・思想と安倍首相の政治姿勢・思想とのあいだには、小池氏が安倍氏にも近い時代錯誤の右翼政党「日本のこころ」の中山氏の参加を簡単に受け入れたという事実ひとつとっても分かるように、さほど距離はありません。いや、それどころか、きわめて近いと言っても差し支えないぐらいです。それでも合流と言う話でありますから、誰もが耳を疑ったのです。

このたびの民心と新党による選挙劇でGGIが一番印象に残ったのは民進党代表の前原氏の次の言葉でした

「どんな手段を使っても(安倍政権を終わらせる)」

このたびの合流劇における前原氏の乱暴ともいえるやり方は手始めにこの言葉を実行してみせたということでありませう。しかしながら、手段の生みの親は目的です。あるいは手段と目的の関係は表裏一体であると言うことができます。すなわち、とるべき手段は目的にかなったものでなければならないのです。手段と目的を切り離すことはできません。手段は手段、目的は目的と、手段と目的は別物というのはご都合主義であり、きわめて安易な考え方です。目的にふさわしい手段を選ばなければ目的を達することはできません。

このたびの合流劇における前原氏の言葉は、言い換えれば、「目的のためには手段を選ばない」ということを意味しています。手段を択ばないということは、上記のような手段と目的の関係を無視することです。GGIはこの意味から彼の言は乱暴であり、政治の世界においてはきわめて危ういものをものを含んでいるのではないかと考えます。

一強多弱、安倍一強といわれる状況のなかで、独裁的ともいうべき安倍政権をどんなことをしてでも終わらせたいという気持ちは理解できます。しかしながら、この場合の真の目的は安倍政権を打倒し政権の座について後自らがよりよき政治を行うということであるはずです(いや、目的は安倍政権を多とすこと自体だ、そのあとのことは考えていない、といあえずはあとのことはとうでもいいのだ、というのであれば何をか言わんやであります)。

政権をとったのち目指すべきよりよき政治というのは、ひとことで言えば民主主義の原理原則に則ったフェアな、公正な政治を行うということでありませう。安倍政権が厳しい批判をいま浴びているのは、その政治手法が民主主義、すなわち議会制民主主義に基づく政治の原理原則を大幅に逸脱しており、独裁の色彩を浴びているからです。このことから、前原代表の本来の目的は民主主義の原理に則った政治を行うことにあるはずであると言えます

政党が、政治家がどのような手段を選ぶかは原則的には自由でありますが、手段を選ぶにあたって忘れてならないことは、先に述べたように、目的と手段は表裏一体の関係にあり「目的と手段」の関係を忘れてはならない、すなわち目的によって手段は決まる、あるいは限定されるということです。フリーハンドで手段を選ぶことができるというわけではありません

先年亡くなったベトナム反戦運動に尽力し、また阪神大震災後に自然災害による個人財産の損失を国や自治体が補償するための法律を制定させることに尽力し成功させた、作家の小田実はかつて次のような意味のとことを述べていました。

「ある目的をもって運動を行う場合、運動の中でその目的が達成されていなければならない」

これは民主主義の原理に則ったある運動を行う場合は、運動を行う人々の集まりのなかで民主主義が実現されていなければならない、すなわち目的を達成するための方法は民主的な方法でなければならないという意味です。

十分な話し合いを行わずに方針を決定したり、十分な議論を経ずにある事柄を実行に移したり、方針に反対する権利を各人に与えなかったり、目的を達成するために民主主義の原理に反する手段をとる、といったことが運動のなかで行わるならば、つまり民主的なルールが守られていないようでは目的がまともに達成されるはずはない、ということです。

つまり目的のためには手段を選ばなければならない、「どんな手段を使っても」ということは許されないということです。

以上に記した「手段と目的」の関係を考えるならば、このたびの民進党代表である前原氏の振る舞いはかなり危ういものを含んでいると言わざるを得ないというのがGGIの考えです。

まず、彼は代表であることをいいことにして、ひとりで秘密裏に他党の代表と会談して、全面的に合流することに一気に合意したのでした。いわば二人のボスによる闇取引、談合といわざるを得ない手法です。このような政党の存亡にもかかわる一番重要な問題を、党内での議論を全く抜きにして彼一人で決めてしまったのです。まったくの独断で決めたのです。これが民主主義の基本原則に反するものであることは説明を要しないのでありませう

次に、前原氏は民進党が公党であるにもかかわらず、民進党からの立候補は認めないとしたことです。これは違法とまでは言えなにしても、極めて異常であり、議会制民主主義の原理・原則を無視するものです。属する政党の党首が属する議員に立候補を許さないことは、反対する者を事実上党から出ていくよう強制することは、あきらかに議員の権利を取り上げるに等しいからです。これではとうてい民主主義であるとは言えません。

そして、基本的政治姿勢や政策、政治的方針が大きく異なる(異なっているはずの)他の政党と合流するというのに、合流するにあたっての具体的政策や方針について、所属議員たちとの議論を事前に党内でまったく行わなかったこと、幹部による検討さえも行わなかったことは、政党の体をなしていません。この事実が自由な議論に基づくという一番大切な民主主義政治の原則から多く逸脱していることは明らかです。

このように前原氏はこのたびの合流に際して、民主主義の原理原則を無視した手段をためらうことなく実行に移したのです。つまり「どんな手段を使っても」を実行に移したのです。目的のために手段を選ばなかったのです。

安倍政権が厳しい批判を浴びているのは安倍首相が政権の座を維持するために、手段を選ばないからです。前原氏はこのたび安倍氏と同様の危険を冒しているのです

選挙の結果はどうなるかはわかりません。しかし、前原氏のこのような目的のために手段を選ばないとい乱暴な姿勢を考えるならば、仮に前原氏の独断の結果として新党が政権の座についたとしても、民主主義の原理・原則に基づいた公正な政治の実現という本来の目的を忘れて、結局は自民党政権と似たり寄ったりの党利党略による強権的な保守政権に留まる懸念が多分に存在しているというのがGGIの見解です。これは果たしてGGIの偏見に満ちた杞憂でありませうか

平気で秘密裏の談合や闇取引する政治家に、すなわち手段を選ばない政治家たちに、民主的な党運営を期待することはできません。したがって、そのような政党に民主的な政治を期待することもできません。

しかしながら、このたび前原氏により、目的のために手段を選ばない、ときには民主主義の原理・原則を無視するという手法が実行されてしまたたことの責任は前原氏だけにあるのではありません。というのは最終的に前原氏の独断専行が自由に発言できるはすの全議員による総会の場で全員一致で承認されたとされているからです。

このような強引な明らかに民主主義議会政治の原理原則に反する手段が取られているのですから、反対の意を明確に示すことが各議員の責任であったはずです。しかし、誰も、誰一人として、反対しなかったのです。《リベラル》を標榜しているとされる議員も少なからずいたはずです。誰ひとり明確に反対の発言をしないという、その荒涼たる光景を想像しますとGGIは寒気がいたします。前原氏の強引な手法ももちろん問題でありますが、それ以上に、肝心なときに誰一人正面から反対する者がいなかったという事実の方がGGIにとってはずっと衝撃的でありました

「目的のために手段を選ばない政治」を看過する「全員一致」の政治ほど危険なものはありません。そのことは全体主義的な政治が何をもたらしてきたか、なにを現にもたらしいてるか、議会政治の場において合法的に政権の座についたヒットラーの例を持ち出すまでもなく、歴史が十分に証明しています。

先日の日記に、日本とドイツと北欧諸国の政治図を比較して、ドイツや北欧では中道右派から中道左派が健在であり政界の主流をなしている対して、日本では中道左派は事実上消滅しており中道右派(民進党)は脆弱であり存在感に書いていると書きました。

そして、このたびの合流劇の結果、いまや、日本の政治地図は保守あるいは右派が圧倒的存在となりました。異様な政治地図です。地図の隅っこに小さく共産党が位地しているだけで、のこりはすべ保守あるいは右派が占めていることになったのです。おそらく先進国の中でこれほどまでに保守・右派に傾いて政治地図を有する国は日本をおいて他にはないのではないでせうか・・・

事実上、保守あるいは右派のみにより占拠されてしまった政界、一望の荒野というしかありません。昨日、2017年9月28日は、日本の政治地図から中道右派と中道左派が消滅した日、共産党を除き保守・右派一色に染め上げられた日として、GGIはしっかりと記憶に留めたいと思います、

このたびの騒動で、民進党の議員諸氏は、結局は、政策や自分の信条などを放り投げて、ただただ今後も議員でいたいだけの、保身に走るだけの烏合の衆であることがわかりました。パフォーマンス名人の人寄せパンダに下に、このような人々や議員になりたいだけの人々を寄せ集めた新党のどこに「希望」があるというのでせうか・・・

自民党に希望がないのと同様、安保法制や改憲問題などに関して自民党と大差がない第二自民党ともいうべき新党「希望」にも希望はないとGGIは断言しておきます

最後にいまや前民進党議員となった諸氏に、同じく小田実の言葉をおくります

「ひとりでもやる、ひとりでもやめる」 (小田氏の著作の題名です)

なもあみだぶ、なもあみだぶ、なもあみだぶ・・・

グッドナイト・グッドラック!

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