UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

たったの一夜で死者10万人、被災者100万人、焼失家屋27万戸という超大惨事を知っていますか?

2024-03-12 01:02:25 | 日記
昨日、3月11日は東日本大震災・東電福島原発の大事故から23年ということでテレビや新聞ネットなどでは関連ニュースがたくさん報じられていました。また、最近は東電福島原発の事故に関連して、能登半島地震と原発あるいは原子力防災の問題が報じられることも少なくなく、一方においてウクライナにおける戦争、パレスチナ・ガザ地区での戦闘についてのニュースも依然として続いています。

これらはいずれも多数の人々の生命に関わる出来事でありますので、さかんに報道されるのは当然のことなのですが、私が「おや、それでいいの?」などと思ったのは3月10日のことでありました。「今日は史上稀にみる大惨事がかつてあった日、日本の現代史において忘れることができない日であるけれど、新聞もテレビもこの大惨事のことにはほとんど触れていないなあ」と思ったのでありました。

若い方々には無理もないことですが、先の大戦(太平洋戦争)についてなにがしか記憶がおありの方あるいは関心をお持ちの方であれば、そうかあ、3月10日と言えば・・・あの数百機の米軍爆撃機B29により一夜にして東京の街が灰燼と帰し破壊されつくされ10万人もの人々が命を失った、いわゆる「東京大空襲」があった日であると思い出されることでありませう。ところが3月10日付けの、日本を代表する新聞と自負している朝日新聞、東京大空襲に関する記事は最後のページの左の隅っこに「空襲が残した心の傷今も・・・ウクライナ少女に重なった79年前の私」と題された,個人の体験談を記した記事だけでありました。

困りますねえ朝日さん、東京大空襲は史上稀にみる大惨事・大虐殺ですよ・・・何回か前の日記で「十年ひと昔なのだ、だから福島原発事故から10年経って、世論調査では原発再稼働への賛否が逆転してしまい賛成の方が多くなってしまったのだ」と書きましたが、敗戦は79 年前ですから、朝日さんよ、79年前のことなんかもう昔も昔も大昔ということなのでしょうか?

朝日さん、ご存知でしょうが、おさらいのために東京大空襲がどのくらいの大惨事あったか、簡単に数字を挙げておきませう。

1945年3月10日の未明に開始された米軍のいわゆる世界最初の「絨毯爆撃」(=徹底した無差別空爆)により,一晩で約10万人もの人々が焼死や窒息死させられ、罹災者は約100万人、焼失家屋は約27万個・・・何日も何カ月も、あるいは何年もかかってのはなしではりません、たったの一晩でこのありさまでした・・・(しかし皇居は無傷でした)・・・

これらの数字を最近のできごとにおける死者の数字と比べてみませう
・能登地震による死者238人
・東日本大震災の死者:原発事故関連死を含めて約2万5000人
・パレスチナ・ガザ地区におけるイスラエル軍の攻撃による死者:昨年10月7日~今年3月11日の約5カ月間に約3万9000人
・ロシアによるウクライナ侵攻による死者:両国とも戦死者などの正確な数を公表していないので確かなことは言えませんが、侵攻開始から今日までの二年間で、両国の死者は6万~8万ぐらいか・・・

これらの数字と比べますと、東京大空襲の一晩で10万人という数字がいかに凄まじい数字であるであるかが、東京大空襲は文字通り史上稀に見る大惨事そのものであることが分かるでありませう。広島・長崎への原爆投下による死者数に匹敵するレベルのものです。「空襲」という名の「無差別空爆」は人道に反しています。無差別の空爆はテロ行為そのものです。すなわち戦争犯罪です。「帝都」東京をはじめとして日本全土の主要都市に対する無差別空爆を指揮した米軍のカーチス・ルメイ中将は後に、「米国が負けていたら、私は戦犯になっていただろう」と述懐しています・・・

今日の写真はわが庵の1等応接室の壁に貼ってある「戦災焼失区域表示 帝都近傍図」と題された、空襲により焼失した区域を表示した東京都の地図です。クリックしてご覧になってください赤色で示されているのが消失区域です。地図の中心部が皇居であり、お堀の内側は焼けてないことがわかります(米軍を意図的に皇居を空爆しなかったものと考えられます。もし米軍が皇居を空爆していたら、歴史は大きく変わったかもしれません・・・)。

この地図は敗戦直後に地図製作会社の社員が足を棒にして歩き回って調査したうえで作成したもであり当時のGHQ(連合軍総司令部)もこの地図を購入したそうです。東京は何度も繰り返し空爆されていますので焼失区域は3月10日の大空襲による焼失区域だけを示したものではありません。3月10日の大空襲では、主に皇居の東側に位置する下町の区域が爆撃にさらされ炎上しました。

3月10日の未明、米軍爆撃機の大群は、まずはじめに爆撃目標である地域の周囲に円周を描くように爆弾を投下して炎上させて、住民を円周の外側に逃げられないようにしてから、円周内の地域に次々に焼夷弾などを落とし、焼き尽くしたのでありました・・・。

ある爆撃機のパイロットは眼下に燃え広がる東京の街を目にして、僚機のパイロットに無線で「すごい、きれいだ!まるでマンハッタン(の夜景)みたいだ!」と叫んだという話が伝えられています・・・

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・
グッドナイト・グッドラック!
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