UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

なもあみだぶ、なもあみだぶ、なもあみだぶ、なもあみだぶ・・・

2017-05-29 00:28:55 | 日記

親鸞さんとGGIはどのような関係にあるのか、無関係すなわち無縁のように思われるかもしれませんが、そうではありませぬ。親鸞さんとGGIは同じ五月生まれ、親鸞さんはGGIより約十日遅れ、グレゴリオ暦に換算いたしますと五月二十一日が誕生日だそうであります。

昨日の午後、県庁近くにあるお寺、浄土真宗本願寺派(西本願寺)福賢寺というお寺で「親鸞聖人降誕会(こうたんえ)」なる催しがあり、知人に誘われてGGIも参加してみました。

お寺の門の脇には、緑、黄、赤、白、青のあざやかな五色の旗(のようなもの)が飾られており、なかなかセンスがよくGGIは感心いたしました。おそらく、なにかお寺としての大事な催しなどに際して用いられるのでありませう

GGI、教会を表敬訪問して礼拝に参加することはときおりあるのですが、お寺でのこのような行事に参加するのは初めてです

案内文には、「浄土真宗の宗祖親鸞聖人のお誕生日を機縁にして、聖人の教えに遭う法座である降誕会を営みます」と書かれています。

プログラムを見ますと、はじめに「真宗宗歌」とあり、次に「おつとめ、正信偈」とあり、その次に「お話」、最後に「恩徳賛」とあります。

三十人ほどの方々が参加されていましたが、みなさんほとんどは信者の方のようでありました。GGIは何もわかりませんので神妙にひたすらみなさんのなさることをまねることにいたしました・・・

最初に、プログラムのほかに「浄土真宗本願寺派日常勤行聖典」と題された、布地の表紙が付されている冊子のようなものを手渡されました。なかを見てみますと、この本のなかに、「真宗宗歌」、「正信偈」、「恩徳賛」などが収載されていることが判明いたしました。

今日の写真はこの「聖典」を撮ったものです。よりしければクリックしてご覧くださいませ。

「真宗宗歌」と「恩徳賛」はメロディーがややあいまいな、讃美歌のようなものでありました。

「正信偈」というのは由緒正しきお経でありました。これはウィキペィアさんによりますと《「正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)〈正信念佛偈〉」は、親鸞の著書『教行信証』の「行巻」の末尾に所収の偈文。一般には略して「正信偈(しょうしんげ)」の名で親しまれている。真宗の要義大綱を七言60行120句の偈文にまとめたものである》とされています。

このお経、かなり長いのですが住職さんの先導によりみなさんが全文を唱和いたします。GGIはお経を読むのは生まれて初めてでありますが、なんとか無事こなすことができました。

と申しますのは、このお経、すべて漢字で書かれているのですが、上記の「聖典:では、その全文、すべてに振り仮名が付けれていたからであります。この長いお経をみなさんといっしょに唱和しておりますと、何となく気分が晴れやかになってまいりました。まことに不思議でございます。

しかしながら、信者のみなさんのようには慣れておりませぬので、ときおり間違ったりいたします。

でも、小さな発見もありました。このお経のなかには当然のことですが「南無阿弥陀仏」というフレーズが繰り返し出てきます。GGI長年にわたり、「南無阿弥陀仏」は「なみあみだぶつ」と読むのだと思っていたのですが、この「聖典」では「なもあみだぶ」と振り仮名がつけられておりました。とても意外でありました。

けれども、何度も何度もこの念仏を唱えておりますうちに、「なむあみだぶつ」をくり返すよりも「なもあみだぶ」と繰り返したほうがリズミックであり、グッドだなあと感心かつ納得いたしました。みなさまも試しに「なもあみだぶ」と何度も唱えてみてくださいませ・・・

プログラムに記されていた「お話」は「福島から大津へ避難して」と題した青田克彦・恵子夫妻による福島原発事故についての話でありました。青田氏は福島原発事故が起きるよりずっと以前から、福島原発の危険性を指摘し、運転を止めるよう長年にわたり裁判で争ってきた経験をお持ちです。このため同氏の話はなかなか説得力のあるものでした。青田氏は最後に、三人以上の集まりであればどこにでも参り、お話しいたします、謝礼も交通費も不要です、とおっしゃっていました

GGIは数年前に小さな十人足らずの集まりに青田夫妻を招いて話していただいたことがありますので、講演の後、若干ていねいなる表敬をいたしておきました。

親鸞聖人降誕会の案内状には住職さんが「聖人の教えの中に《人間は何をしでかすかわからない存在である》、《人間は不完全なもの》ということがありますが、福島第一原子力発電所の事故はまさにその御ことばが浮かびます」と記されていました。

GGIは、親鸞さんのことばはおそらく正しいのだろうけれど、「御ことば浮かんだ」あとどうするのか、そこが問題なんだよなあ、などと無責任なことを考えてしまいました

「方丈記」の鴨長明さんと入れ替わるようにこの世に現れ、方丈の庵のすぐ近くのお寺で育ったと言われる親鸞さんがどのくらい立派な方であるのか、縁無き衆生のGGIにはわかりかねるのではありますが、なかなか良い集まりでありました。

なもあみだぶ、なもあみだぶ、グッドナイト・グッドラック!

コメント
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