昨日の昼過ぎ、近所のネコが一匹、雨上りのわがサザンガーデンをゆっくりと横切っていきました。わが庵の軒下のほうを見上げてから、GGIが部屋のなかから見ているのに気づいたネコ君、何やらニヤリとさげずむような表情を浮かべてからゆっくりと立ち去っていきました。
夕方になって、近くのスーパーで買い物をしようと外に出て、サザンガーデンの小道を歩きながら何となく軒下の方に目をやりましたら、
なんと軒下には昼行燈が二つも、ぼんやり光を放っています・・・
いつも南側の外灯は夕方からは左の外灯、夜半からは庭全体をテラス右側の外灯、どちらか一つしか点けておかないのですが、昨夜は念入りに二つともつけたまま、いつもは朝方に消すのですが、消し忘れていたのでありました
今日の写真はほんとうに何の意味もないのでありますが、この二つの昼行灯を撮ったものです。そんなどうでもいいものでも見てやろうかという、あたたかき心の持ち主の方はクリックしてご覧くださいませ
昼行灯が念入りにも二つかあ・・・それであの猫野郎、GGIを馬鹿にするような表情を浮かべて立ち去ったのだ・・・
参ったなあ、慙愧に堪えんなあ、この年になってネコなんかにも笑われる身になってしまって・・・
買い物から帰ってきましてから、念のためネットさんの辞書などで「昼行灯」の意味を調べたのですが、一つもいい意味は見つかりませぬ・・・
辞書に曰く、(日中にともっている行灯のように)ぼんやりとしている人。また,役に立たない人、日中に行灯をともしても、うすぼんやりとしているところから》ぼんやりした人、役に立たない人をあざけっていう語、間の抜けた、ぼんやりした人をあざけって言う言葉、などなど一つもいい意味は見当たりませぬ。
ただ英語でも似たような表現があることを知って少しカシコクなっただけでありました。参考に英語での表現例を記しておきます。
Lantern at noonday、a lamp lit in the daytime。用例:彼はまさに昼行灯だ. He is as useless as a lamp in broad daylight
あの大石倉之助のように深き復讐の意思を悟られないように昼行燈のふりをして世間を欺いて暮らすということはあるのかもしれませんが、あいにく幸か不幸か、GGIには復讐を誓って昼行燈のふりをしていなければならないほど憎っくき人物はおりませぬ。
長きにわたり昼行灯疑惑大の暮らしをしてきたことは強くは否定できないのですけれども、昼行灯が二つにはGGI、われながらうんざりでります。まあ、わが人生の来し方行く末を考えますと、いろいろあったりなかったりいたしましたが、結局は昼行燈的人生ではなかったかとぼんやり思いを巡らしておりましたら、先日の日記で紹介しました天野忠と言う詩人の「新年の声」と言う詩をまたしても思い出してしまいました
この詩のことは以下のサイトに記しましたので、もう忘れたよとおっしゃるかたは以下のサイトをご覧くださいませ
http://blog.goo.ne.jp/ugugggi/d/20170422
明日からは少し反省して、すくなくとも昼行灯を一つだけに留めるべく尽力したいと思います。
グッドナイト・グッドラック!