透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

国民読書年

2010-01-14 | A 読書日記



 なぜか前稿が消えてしまいました。パソコンが、いや私が何かしでかしたのでしょう。

今年は「国民読書年」だそうですね。文字・活字文化振興法の施行5周年にあたる今年を国民読書年にすることが、2008年に国会で決議されていたそうです。

今日、14日の朝刊の文化欄は国民読書年の特集でした。作家の恩田 陸さんが読書の魅力について語っています。恩田さんの小説は新潮文庫に収録されている『夜のピクニック』しか読んだことがありませんが、気になる作家のひとりです。

新聞には恩田さんの顔写真と共にプロフィールが載っています。仙台市生まれ、ということは知っていましたが、幼少の頃に松本で暮らしたことがあるとは知りませんでした。今度何か読んでみようと思います。

さて、本題。

『神社の系譜 なぜそこにあるのか』宮元健次/光文社新書を読み終えました。このところ速読しています。今年になって読み終えた本がこれで5冊になりました。

この本では「自然暦」という視点から神社の配置を捉えています。「自然暦」なる言葉をはじめて知りましたが、太陽の動きを神の宿る「神社」の配置に応用したものだと、著者は説明しています。

ある神社と背後にある山を結ぶ線の方向に冬至の日が沈むとか、夏至の日が昇るとか、この手の話が満載です。古今「東西」がこの本を連れてきた、という感じです。本の内容については機会を改めて書こうと思います。

次、『自然界の秘められたデザイン 雪の結晶はなぜ六角形なのか?』イアン・スチュアート/河出書房新社。

昨年の11月に東京した時(「東京する」などという表現はいかがなものか、と自分でも思いますが、好きなので)、丸善本店で買い求めました。

帯の**数学的秩序に満ちた美しい世界はなぜ生まれるのか?**に惹かれました。自然が数学的秩序に満ちているのは一体なぜなのか、興味深いテーマです。

この本を読み終えたら、小説モードに変えようと思っています。

夕方、書店に出かけてみると小川 糸さんの『食堂かたつむり』が平積みされていました。写真は単行本のように見えるかもしれませんが、文庫本です。早いですね、もう文庫(ポプラ文庫)になっていました。

小川さんの『喋々喃々』や確か穂高が舞台の『ファミリーツリー』も読んでみたいと思いますが、まず話題になったこの小説です。

恩田さんは読書は日常習慣の一部だと語っていますが、私もそうです。今年も「本の連鎖」を楽しみたいと思います。以上!

 


「2010年宇宙の旅」

2010-01-11 | A 読書日記
 昨日、10日の朝刊(信濃毎日新聞)の読書欄は「2010年の一冊」という特集でした。書評委員10人が年頭に手に取って欲しい本を紹介するという企画です。

取り上げられている本10冊の中で、読んでみたいと思ったのは『宇宙創成はじめの3分間』ちくま学芸文庫です。著者は79年にノーベル賞を受賞した理論物理学者だそうですが、S・ワインバーグという名前は知りません。

**比喩とレトリックで理解したような気にさせるのではなく、物理の本質をストレートに表現して読み手に迫る。科学好きの読者はその妥協のなさに引き込まれるはずだ。** 

**ビックバン直後の膨張で宇宙の温度が急激に下がり、10億度になる頃までに水素やヘリウムなど普遍的に存在する元素が出来上がる。計算によると、所要時間は僅か3分。(中略)観測事実と物理法則を組み合わせ、(中略)1兆度の1兆倍の1億倍の温度にまで達する宇宙開闢(かいびゃく)の瞬間にまで遡ろうとしている。**

右脳人間の私はビジュアルにイメージできないようなことを理解するのは苦手です。この紹介文を読むと、『宇宙創成はじめの3分間』を理解するのは無理なような気がします。

では他の本は、と探しても読みたいと思うような本がありません。

この手の企画で書評委員が取り上げるのは専門書が多いと思います。経済学者は経済の本、物理学者は物理の本、教育学者は教育に関する本という具合に。ちなみに先の本を取り上げた書評委員は観測宇宙論が専門の大学教授です。

でも、一般の読者は読んで欲しい本として専門書を挙げられてもあまり読んでみようという気持ちにはならないのでは。

異なる分野の本、たとえば物理学者が美術史の本を、経済学者が童話を紹介してくれたら、それだけで読んでみようと思います。趣味としての読書ってそういうものだと思うのです。物理学者としての視点から美術史を眺めるとどんなことになるのでしょう。



私が書棚から取り出したのは『2010年宇宙の旅』です。ただし、おすすめの本としてではなく、自分が読んでみたい本としてです。今年にぴったり、でしょ。

今年はこのSFを読み直してみようと思います。昨年末から小説モードにならないのでいつになるか分かりませんが・・・。

飾り御柱

2010-01-10 | A あれこれ


冬のフォトアルバム 飾り御柱@松本市内田 撮影日100110

 松本の東山山麓に位置する内田地区で毎年行われる飾り御柱です。松本市の重要無形民俗文化財に指定されています(平成12年)。

御柱といえば諏訪が全国的に知られていますが、松本にはこんなにきれいな御柱があるんですね。長野県内には他にもこのような飾り御柱(呼称は違うかもしれません)を行うところがあるようです。

電柱と比べると高さが分かりますね。すっとまっすぐに伸びた赤松(はぜ木のように毎年同じものを使っているのかも知れません。確認できたら書きます)の木、そこに細い竹を何段も取り付けて、さらに縄で竹を縦に繋いで、色紙で作った御幣を飾っています。しめ縄の紙垂(しで)と同じ形だと思います。

飾り方は地区によって少しずつ違っているようです。竹を水平ではなく、扁平した菱形を縦に繋ぐように取り付けてあるものを他地区で見かけました。

これはどうやら三九郎(正月飾りやだるまなどを焼いて無病息災を願う伝統行事)や道祖神と関係のある祭りらしいのですが、詳しいことは分かりません。

私はこの飾りを見て秋田の竿灯を思い出しました。竿灯は稲穂をモチーフにしたもので五穀豊穣を願う祭りと聞いていますが、この飾り御柱にもそんな願いが込められているのでしょう。

「なぜ」

2010-01-10 | A 読書日記



 タイトルに「なぜ」がつく本はやはり気になる。『なぜ対馬は円く描かれたのか 国境と聖域の日本史』黒田 智/朝日新聞出版 読了。次、昨日書店で手にした本は『神社の系譜 なぜそこにあるのか』宮元健次/光文社新書。

対馬が丸く描かれた理由。この本のタイトルに対する答えは本を読み始めてすぐに出てきた。**即興で地図を描こうとすると、無意識のうちに書き手の住まいやなじみ深い地域を詳細に書き込んでしまう例を、だれしも経験したことがあるだろう。描かれた地図は、しばしば濃淡のあるものとなり、制作者の意図や制作目的が強調されたものになる。**

ではなぜC型のクロワッサンのような対馬の地図が描かれたのだろう・・・。
その答えは第1章「対馬は円かった!?」に書かれている。

C型クロワッサン対馬地図、「日本国対馬島之図」は『海東諸国紀』という朝鮮王朝官僚たちのバイブルだった歴史書に収録されている。

中世の対馬は日朝を結ぶ海上交通の要衝だった。対馬は津島が転じた(この本には明確にこのことが書かれてはいないが、そう思った)。津は港。

利用できる港の情報を示すことが目的だった地図。多くの寄港地と通交者の多い地域を伸張させて地名を書き込むスペースを確保した。逆に寄港地が少ない地域は圧縮された。このような理由による海岸線の伸張と圧縮の結果がC型クロワッサン、というわけ。簡単にまとめるとこのようになるだろう。

本書ではこの部分を現在の地図とも対比させながら、実証的に、詳細に論じていて興味深い。ただしこの本の大半(第2章以降)は別のことの論考。

対馬市厳原町の西方に位置する有明山(安曇野の有明山と同じ、このことでふと思ったことがあるがそのことには触れない)、その麓にある厳原八幡宮は対馬にいくつかある社廟の代表的な存在で、かつて下津八幡宮と呼ばれていたとのこと。そしてもうひとつ、海神神社は上津八幡宮と呼ばれていたそうだ。

対馬は南北に長い島だが、北津と南津ではなくて上津と下津としたのは「東西」志向の日本と無関係ではないかも知れない・・・。

これから読む『神社の系譜 なぜそこにあるか』の第3章は「大和朝廷と東西線」。古今「東西」が年を越してしまった・・・。 

「対馬」 過去ログ 


RFID

2010-01-09 | A あれこれ

 

 『脳で旅する日本のクオリア』茂木健一郎/小学館

昨年末、友人から借りた本です。読み終えているのですが、返す機会がまだありません。ところでこの本の巻末にRFタグなるものが付いています(右の写真)。

RFタグ? 知りませんでした。初めて見ました。タグの付いているシートの裏面、いや表面ですね、にはこんな説明があります。

**ご購入された皆様へ(出版流通管理用タグに関するご案内)
このタグには、RFID(Radio Frequency Identification)という電波を利用して物品の管理を行う技術が使われています。裏面に貼られているものが、RFIDで用いられるRFタグです(電子タグ、ICタグとも呼ばれています)。RFIDにはRFタグ内の情報を離れたところから一括して読み取ることができるという特徴があり、本をはじめとする商品流通の効率・迅速化に役立つものです。**ということだそうです。

で、さらに**RIFDは離れたところからタグ内の情報を読み取ることができるため、ご購入された後も情報の読み取りが発生する可能性があります。現在、RFタグで管理している情報は、流通管理用の商品コードのみとなっており、個人情報を扱うことはありません。また、自ら情報の発信を行うことはありません。このタグが装着されていることが気になる方は、ミシン目より切り離して廃棄してください。**と書かれています。

流通過程において商品の所在を常に把握できると管理上大変有効だということなんですね。それは分かります。

そういえば、韓国では性犯罪を繰り返す人に対してGPSを内蔵した装置を何年か装着させることを盛り込んだ法案が出来た、ということが数年前に報じられたように思います。性犯罪者が今どこにいるのか常に把握できるようになる、ということなんですね。本当に実施されているのかどうかは、分かりませんが。

こういう時代になったんですね・・・。

国際的な要人の行動をトレースするなんてことも可能ですね(既に行われているとは思いますが・・・)。一般社会でもこの手のことが簡単にできるようになるでしょうね。そうか、既に行われていますね。小さな子どもの行動を親が把握出来るようなシステム。

それから熊の行動範囲や、渡り鳥の移動状況を把握したりとか・・・。

このような技術は日進月歩でしょうから、近い将来、例えばハイテク(というほどのことでもないのかな)ストーカーが出現することも考えられますね。 パソコンの画面の地図上に人の行動が表示される、それもかなり詳細に・・・。 

こんな犯罪行為ではなくて、もっと有用なことがいろいろ出来そうですね。


うなぎの「う」

2010-01-09 | F 建築に棲む生き物たち

棲息地:岩井屋@長野駅前 観察日100102

■ 「建築に棲む生き物」を始めたときは、こんなにいろんな生き物が棲んでいるとは思っていませんでした。

ね、うし、とら・・・、干支に出てくる動物を全て見つけたいです。

亀甲にうなぎの「う」。前回の鶴と同様、善光寺に初詣に出かけたときに見かけました。老舗のうなぎやさん、創業は明治30年だそうです。

この日は写真を撮っただけでした。いつかこの店でうな重を食べてみたいと思います。


「沈まぬ太陽」

2010-01-07 | A 読書日記


 昼間っからアルコールな正月でした。その成果が体重2kg増となってあらわれました。バンザイ!今夜もちょっと、ビールしてます。

正月に映画「沈まぬ太陽」を観ました。原作は新潮文庫に収録されています。全5巻、長編です。で、映画も長かった・・・。途中で休憩が入る映画。昔観た「ライアンの娘」が確かやはり途中休憩があったような気がしますが、それ以来かもしれません。

なかなかいい映画だとは思いましたが、映画館はガラ空きでした。やはり映画の制限時間は2時間とちょっと、そこに収めないといけないのかも知れません。

テーマは文庫の帯に要約されています。そうです、「この国を覆う、おそるべき良心の不在」ということです。

原作者、山崎豊子といえばこの作品の他に『白い巨塔』がありますね。これもやはり「良心」を問う作品でした。

『沈まぬ太陽』の、なんともいえない読後感、昇らぬ太陽・・・。でも映画の印象は少し違っていました。

恩地と行天、かつて労働組合で共に闘ったふたり。その後の対照的な生き方。行天は『白い巨塔』の財前に重なります。あらゆる術策をもって出世しようという野望。

年末に観た「ゼロの焦点」、松本清張の推理小説がホラー映画になっていたのにはびっくりでしたが、「沈まぬ太陽」は原作が上手く映画化されていたと思います。

両作品に木村多江が出演していました。本当に不幸が似合う女優です。どうもアルコールな中年はどこか寂しげな女性に惹かれてしまうようで・・・。

「釣りバカ日誌」の石田ゆり子が見せた寂しげな表情もよかったですが、木村多江(の演じた女性)はストライクゾーンど真ん中でした。

正月にふさわしく・・・

2010-01-06 | F 建築に棲む生き物たち
 突然「魏志倭人伝」です。

邪馬台国がいったいどこにあったのか、魏志倭人伝に出てくる邪馬台国の所在に関する記述について、いろんな解釈がなされていますね。南へ水行二十日とか陸行一月とかある記述を素直に解釈すると邪馬台国は鹿児島より南の洋上にあることになってしまうんじゃなかったでしょうか。

で、それを修正する説がいろいろあったと思いますが、その中に、「南」とあるのは「東」と解すべきではないのか、という説があったような気がします。はるか彼方の記憶です。

「南」志向の中国、「東」志向の日本。南と東の食い違いというのはあり得るかも・・・。古今「東西」を考えていて、ふと魏志倭人伝のことを思い出したのですが、今回はここまでにしておきます。

 *****

で、今年初めての建築に棲む生き物を挙げます。正月にふさわしい鶴です。



棲息地:老舗の饅頭屋 つるや@長野駅から善光寺へと続く中央通り 観察日100102

230年も続く饅頭屋さん、蔵造りの店の壁に鶴がいました。2日、善光寺へ初詣に出かけたとき見かけました。甘酸っぱい酒饅頭、なかなか美味。

「なぜ対馬は円く描かれたのか」

2010-01-05 | A 読書日記



『「論語」に帰ろう』守屋 淳/平凡社新書 読了。

昨年の11月に東京駅前、オアゾの丸善で買い求めた本です。カバーに描かれている日本地図、いままで注目したことなどありませんでしたが、古今「東西」について考えている頭であらためて見てみると・・・。かなり東西方向にデフォルメされていますね。この略地図には日本の形のイメージが反映されているんじゃないでしょうか。違いますか、別の理由から?

では、知っている日本の古地図を思い浮かべてみてください。そう、たとえば高校の日本史の教科書に載っていたような地図を。正確な日本地図と比べると、本州が横向き、東西方向になっていませんか? 当時の日本人がイメージしていた日本の形が投影されていると思うのですが、いかがでしょう・・・。「日本 古地図」でネット検索してもそのような地図がヒットします。

今日、書店で下の本を見つけました。カバーに載っているのは対馬の地図です。実際の形とはまったく違う対馬の地図。タイトルの『なぜ対馬は円く描かれたのか』は「なぜ日本が東西方向にひき伸ばされて描かれたのか」と同様の問題意識から著されたのでは、そう思って買い求めました。





こんな地図が載っています。この地図を見ただけでもワクワクします。実は以前私も北を下にして日本地図を教室の壁に張る(←過去ログ)ということをS君と話したことがありますから。

今週の隙間読書が楽しみです。


古今「東西」再考

2010-01-04 | A あれこれ

 年越し本『神社霊場 ルーツをめぐる』武澤秀一/光文社新書を読み終えました。

昨年末、なぜか古今「東西」について考えることになりました。南北ではなく東西なのは何故か・・・。

東から昇り、西に沈む太陽の動き。太陽の動きが補助線となって東西方向に引き伸ばされた地理観、地勢観が生まれた・・・。などと考えてみました。

「あの卑弥呼という名前だって、日の方を向く、ヒムカを転じてヒミコとしたのではないか・・・。この説を唱えていたのは誰だったろう。松本清張の作品に出てきたのかな・・・『古代史疑』?『Dの複合』? 遠いかなたの記憶を思い出すことができない。それともぼくの珍説?」

『神社霊場 ルーツをめぐる』、日本の霊場21箇所をめぐり、建築家らしい視点で空間分析を試みています。著者撮影のカラー写真が何点も掲載されているのもうれしいです。で、この本にも同様のことに言及する箇所がありました。やはりあることを考えだすと、不思議なことにそのことに関連する情報が入ってきます。

以下同書の春日大社(奈良県)の章からの引用です。**東は朝日が昇る方角でもあり、日本では古来、この方位が尊重されてきた。(中略)春日大社の社殿は御神体のある方向、そして古来尊重されてきた東の方角を置き去りにして、強引に南向きに変えられているのである。**

古来から「東志向」の日本でなぜ南に向きが変えられたのでしょう・・・。

**仏教はインドで生まれたが、伽藍が南に向くよう、とくに強調されていたわけではなかった。ところが、中国に入るや、伽藍はおしなべて南を向くようになる。それは仏教のコスモロジーというより、中国古来の伝統的方位観によるものだったが、日本ではこれが大原則として踏襲されたのだった。**と分かりやすく指摘しています。

さらに続けて**そして影響は伽藍にとどまらず、藤原京や平城京などの都市計画にも及んだ。**と書いています。これらの都市は南北を基軸として計画されたんですが、それが中国に倣ったということは、中学の教科書に出てきました。

**平城京という新しい都市秩序が神社にも及んだとき、古来の伝統はあっけなく覆された。春日大社はその顕著な例である。** 

その先、若宮神社について**若宮神社は、南面する本社本殿と大きく角度を変え、東にある御蓋山を背にしている。(中略)南面する本殿を拝むという大陸方式にどうしても馴染めなかったのかもしれない。**

論考をまとめて**東方重視を復活させた若宮神社のありかたは、社殿を南面させるべしという大陸の影響を払拭し、日本固有の神まつりを取りもどそうとする営みであった。**

古今「東西」もなかなかいいところまで来ました。それにしても著者の空間分析、鋭くそして明快ですね。

昨年の最終稿にひらりんさん(コメントありがとうございました)から、京都では南北に伸びる地下鉄烏丸線が東西線より先にできました、とコメントをしていただきましたが、その理由が分かります。

京都は中国に倣って造られた平安京を下敷きに計画された都市ですから、南北軸に沿って展開しています。中国の伝統的方位観の影響。で、地下鉄もその基軸に載せることになったのです。地下鉄は主要道路の下を通しますし。これは眉唾な珍説ではないと思いますが。中国に北京と南京という都市があるのもなんとなくわかるような気がします。南北軸を設定して国土全体を眺めた結果ではないかと。いや、これは違いますね。

昨年末、東京で東西線が南北線よりかなり前にできたのにはワケがある、と書きました。確かに理由がありそうだ・・・。本稿でそう思っていただければうれしいのですが・・・。


「日本辺境論」読書メモ

2010-01-04 | A 読書日記

 日本ほど自国の文化論が書かれ、読まれている国は他にない、とよく指摘される。私も日本人論、日本文化論が好きだ。2007年に読んだ『「縮み」志向の日本人』李 御寧/講談社学術文庫はなかなか興味深いものだった。



2日、長野へは高速バスで出かけた。車内で読もうと思っていた年越し本『神社霊場 ルーツをめぐる』武澤秀一/光文社新書を忘れてしまったので、長野駅前の書店で『日本辺境論』内田 樹/新潮新書を買い求めた。



読書空間としては電車が最適だが、バスの中もなかなかいい。揺れる車内でも平気。帰りの車内で読み始めたが、面白くて今日、箱根駅伝を気にしながら一気に読み終えた。

川上未映子の『ヘヴン』、『食堂かたつむり』が話題になった小川糸の『ファミリーツリー』も読みたいと思ってはいるが、先送りすることにした。

さて、『日本辺境論』。

「はじめに」で著者は**「辺境性」という補助線を引くことで日本文化の特殊性を際立たせること**だと本書の目論みを書いている。この本での論考の結論部分として、**私たちは華夷秩序の中の「中心と辺境」「外来と土着」「先進と未開」「世界標準とローカル・ルール」という空間的な遠近、開化の遅速の対立を軸にして、「現実の世界を組織化し、日本人にとって現実を存在させ、その中に日本人が自らを再び見出すように」してきた。**という辺りを私は挙げる。

もう何年前のことになるだろうか、『世界の中心で、愛をさけぶ』という小説がベストセラーになった。が、内田さんの指摘によると、日本人は世界の中心に自らを位置付けることはしない。

**はるか遠方に「世界の中心」を擬して、その辺境として自らを位置づけることによって、コスモロジカルな心理的安定をまず確保し、その一方で、その劣位を逆手にとって、自分都合で好き勝手なことをやる。この面従腹背に辺境民のメンタリティの際立った特徴があるのではないか**

面従腹背などというしたたかなことが例えば外交の舞台で日本が出来ているのかどうか私には分からないが著者はこのように指摘している。

世界標準の制定能力など無く、世界標準準拠主義だとも。要するに世界の先頭を切るのではなく二番手で良しとする日本人。

「(華夷秩序に於ける)中華の辺境民」でOKだと自ら認めているからこそ*1「漢」字と自国で工夫したかなを併用して平気なのだと指摘されれば、なるほどな、と思う。かつて朝鮮半島でもハングルと漢字が併用されていたが、今でもハイブリッド状態を維持しているのは日本だけ。

更に漢字を脳内の図像対応部位で、かなを音声対応部位で処理しているという養老猛司さんの指摘を受けて、このように処理している日本人の脳がマンガを育んだ、と指摘している。

漢字を処理する部位がマンガの絵を、かなを処理する部位がふきだしを受け持っている、というのだ。この指摘もなるほど!だ。

どうも論理の流れ、理路が整然としないが(なにせ例によって理路など考えずに書き始めているから)、本書は「たまたま、中国大陸の東、辺境に日本が位置してる、という地理的条件が日本人の思考や行動パターンを規定しているのだという論考」、だと私なりの理解をまとめておく。

こう書いて、昨年再読した和辻哲郎の『風土』について「風土が文化を規定する」、とまとめたことを思い出した。



*1日本という国名からして日ノ本、日出づる処、つまり中国から見て東にある国、辺境にある国だと認めている。

『日本辺境論』についてはもう少し理路整然とまとめておかないといけないが、とりあえず読書メモということで載せておく。


繰り返しの美学 氷柱

2010-01-03 | B 繰り返しの美学


 水と建築のコラボによる繰り返しの美学な造形、氷柱(つらら)。厳寒期限定。

水が建築とのかかわりで見せる諸相。氷柱もそのひとつ。氷柱は積雪寒冷地で屋根の先端、軒先に見られる現象。瓦屋根では氷柱はあまり見られない。軒樋をつけて水滴を受けることが多いから。

昨日善光寺参りをした際、見かけた瓦屋根の氷柱。長さがそれぞれ異なる氷柱が並ぶ様は蔵をモチーフにデザインされた軒先の横のラインとも相まって楽譜にも見える。

今年最初の繰り返しの美学。



初詣 善光寺

2010-01-02 | A あれこれ

 善光寺へ初詣に行ってきました。天気予報では今日も雪でしたが、写真のような天気でした。


仁王門 路面が凍結しています。滑らないように、注意して。


三門(山門)屋根から落雪すると危険、ということで右側の道路へ迂回。


国宝の本堂 泰然として

 本堂脇の説明文によると善光寺の本堂は642年の創建以来(そんなに歴史があるんですね)、十数回の火災に遭っているそうです! で、現在の本堂は1707年に再建されたものだそうです。

間口が約24m、奥行が約54m、高さが約26m、桧皮葺建造物の中では日本一の規模だそうです。日本人って、本当に「一番」が好きですね。それも質が問題ではなくて、単純に比較できる量において。

仁王門から三門、本堂へと続く参道をゆっくり歩いて行きます。聖なる空間って、やはり「奥性」によって演出されているんですね。参道に敷き詰められた敷石は江戸の大竹屋平兵衛という豪商が寄進したものだそうで、7777枚あるとか(帰りにコーヒーしたカフェで手にした「信州・善光寺 仲見世名物いちらん」というパンフレットに書いてありました)。

時間的にまだ早かったこともあってか、本堂はそれ程混雑してはいなくて、ゆっくり参拝することが出来ました。

歩数約1万、体重増回避。

家内安全、大願成就、商売繁盛・・・。この記事を読んでいただいた方にもご利益がありますように。


新年おめでとうございます

2010-01-01 | A 読書日記

        

 
デジタルな時代ですがアナログもいいものです。
今年の年賀状です。挨拶文を筆で書きました。
プリンターが不調だったので・・・。  

今年も本のタイトルによる新年の挨拶から始めます。     

『あの夏、少年はいた』川口汐子 岩佐寿弥/れんが書房新社
『建土築木』内藤廣/鹿島出版会
『マンダラの謎を解く』武澤秀一/講談社現代新書
『失敗は予測できる』中尾政之/光文社新書
『天然日和』石田ゆり子/幻冬舎文庫

『老いてこそ人生』石原慎太郎/幻冬舎
『明治人の力量 日本の歴史21』佐々木隆/講談社
『できそこないの男たち』福岡伸一/光文社新書
『寅さん大全』井上ひさし監修/筑摩書房
『美しい都市・醜い都市』五十嵐太郎/中公新書クラレ

『五重の塔』幸田露伴/岩波文庫
『ザ・ジョーカー』大沢在昌/講談社文庫
『インドの時代』中島岳志/新潮文庫
『間宮林蔵』吉村昭/講談社文庫
『スフィア 球体』マイクル・クライトン/ハヤカワ文庫


 


      
今年もいろいろなタペストリーを織り上げようと思います。
よろしくお願いします。 U1