透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「第三の男」

2007-02-14 | E 週末には映画を観よう

 昨晩、NHK衛星第2で「第三の男」を観た。第二次世界大戦直後のウィーンが舞台。「光と影」の重厚な都市に繰り広げられるサスペンス。

アメリカ人作家マーティンスがウィーンに訪ねた友人ハリーは交通事故で死亡していた。目撃者の証言が食い違っていて腑に落ちない。友人の死に不信感を抱いた彼は真相を追求してウィーンの闇に入り込んでいく・・・。

煉瓦の壁に映る影、闇に浮かび上がるハリー(オーソン・ウェルズ)の顔。密室代りの大観覧車でのマーティンスとハリーの再会。信じられないほど巨大な地下排水溝での追撃、逃げるハリーと追う警官達。印象的な場面はいくつもあるけれどやはりラストが一番。

ハリーの愛人アンナ・シュミットが葬式のあとパースペクティブな並木道(並木が繰り返しの美学!)を向こうからこちらに早足で歩いてくる。マーティンスが道路脇でアンナを待ち構えている。彼女は彼を一瞥もせずに通り過ぎていく・・・。この映画のラストシーンは何回観てもいい。

もうこんな光と影の芸術作品をつくることが出来る都市は世界中どこにもないだろう・・・。





ミースをガウディで覆う

2007-02-13 | A あれこれ

 そろそろB(本)モードへ移行しようと思うのですが、今夜もA(建築)モードです。

以前「せんだいメディアテーク」について、ミースの均質で幾何学的な箱の建築をガウディの有機的な形態の建築が貫いている、と書きました。そう、チューブと呼ばれている鋼管トラス柱をサグラダ・ファミリアの塔に見立ててのことでした。 ミースにガウディが突き刺さっているというわけです。

「せんだい」は伊東豊雄さんの設計ですが、仮に黒川紀章さんの設計だとしたら、黒川さんはきっと機械の時代と生命の時代の「共生」と説明したでしょう。

さて、その黒川さんが設計した「国立新美術館」、この建築もミースとガウディの関係で説明することが出来そうです。そう、ミースをガウディで覆った建築だと。 ミースの四角い箱(キューブ)をガウディの「カサ・ミラ」で覆っているっ! と私は気がついたのです。

カサ・ミラはサグラダ・ファミリアほど知られてはいないかもしれませんね。↓を見て下さい。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/cc/Casa_Mil%C3%A0.JPG


● パンフレットに載っているプラン(1階と2階)

このプランをとくとご覧あれ。四角い展示スペース、即ちミースな空間を、フラクタルな曲面だと黒川さんが説明したガラスのカサ・ミラが覆っていますよね!


繰り返しの美学再考

2007-02-12 | B 繰り返しの美学



 近くのショッピングセンターの「繰り返しの美学」。買い物に出掛けた時に撮った写真です。設計者が繰り返しの美学を意識していたかどうかは分かりません、単に建築の生産性の向上、その結果として得られるコスト縮減を目指しただけなのかもしれません。

工場での生産性を向上するため繰り返しのデザインを採用する、同じデザインを繰り返す。このことは近代建築のデザインと決して無関係ではないと思います。いつかこのことに触れる機会があるかもしれません。

設計者の意図はともかく、繰り返しという結果をどう読み取るかということなんですね。それを美学と捉えているわけです。

下に示す例は建築の生産性とは無関係です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:KyotoFushimiInariLarge.jpg

↑ 伏見稲荷の赤い鳥居の繰り返し。

**赤い鳥居を千本もくりかえすことでデザインとしての奇抜さを生み、畏怖感のようなものを表現している。平凡なものの集合はときとして芸術にまで高められるのである。** 前にも一度紹介した建築家の出江寛さんの指摘を再掲しておきます。(別冊新建築 日本の現代建築家シリーズ⑬ 出江寛 1989年発行)

京都へ「繰り返しの美学」探しの旅に出かけたいと思うようになりました。五重塔や桂川に架かる渡月橋の橋桁、三十三間堂の列柱などを繰り返しの美学として捉える・・・。

春の雅な京都、いいでしょうね。


東京にパリがやってきた

2007-02-12 | A あれこれ

http://www.orsay3.com/

http://www.asahi.com/pompidou/

 東京にパリがやってきた。オルセー美術館展が上野の東京都美術館で、ポンピドー・センター所蔵作品展が六本木の国立新美術館で開催されている。

昨日のTV番組「新日曜美術館」ではオルセー美術館展が紹介されたのではないかと推察する。録画に失敗して番組を見ることが出来なかった。老人力 バンザイ!

「オルセー美術館」はパリ万博の際につくられたオルセー駅を再生した建築として有名だ。オルセー駅はどうやら開業後35年で役目を終え、取り壊しが決まっていたらしいのだが、市民の反対運動によって保存再生が決まったということだ。

駅舎の時代を象徴する大きな時計はそのまま残されていて美術館のシンボルともなっているので、この美術館を紹介する写真によく写されている。 駅舎を美術館として再生するという発想に驚かされるし、駅舎の建築的な質の高さにも驚かされる。

一方「ポンピドー・センター」は国際コンペによって選ばれた作品を実現した芸術館だが、およそ30年前パリの街並みに出現した「異物」に賛否両論、議論が沸騰した(設計したのはレンゾ・ピアノ氏とリチャード・ロジャーズ氏)。その際よく引き合いに出されたのがエッフェル塔だった。エッフェル塔は今ではパリのシンボルとして凱旋門と共によく知られているが、完成した直後はかなりの不評だったということだ。

ヨーロッパの古い街並みのなかに出現したエッフェル塔やポンピドー・センターは都市の「ゆるやかな秩序の美学」に時として必要になるアクセントなのかもしれない。そう、以前紹介したこの写真の消火器のような存在、と見立てることができるのではないか、ふとそう思った。



日本では完成した建築のデザインをめぐって議論が巻き起こるということはほとんど無い(京都タワーについてはかなり異を唱える市民もいたというが例外的な事例だろう)。建築や都市の美について関心の低さを示していると言っていいだろう。

パリから東京にやってきたふたつの美術展、今回はその所蔵館について少し書いた。いつか作品の感想を書かなくては・・・。


繰り返しの美学 甲府にて

2007-02-11 | B 繰り返しの美学



 前稿に昨晩は甲府駅前のホテルに宿泊したと書きました。今朝、ホテルの近くを散歩して見つけた「繰り返しの美学」、デパートと商店街の旗の繰り返し。

残念なのはどちらも旗の取り付け高さや間隔がキッチリ同じではなくて少し違っていたことです。何回も書きましたが繰り返しの美学は「秩序の美学」ですから少しでもこれらが乱れていると、美しさが半減してしまいます。

古い商店街でしたから仕方がないのかもしれませんが、天井面が雑然としていたことも残念でした。旗の文字が「裏」ですね、逆方向から撮ればよかったかもしれません。

そして帰路に立ち寄った武田神社の参道で見た灯篭の繰り返し。拝殿などの建築よりこちらに目がいきました。今年はドラマ「風林火山」で山梨は観光客で賑わうでしょうね。

どこに出かけても繰り返しの美学に注目!です。


補稿

2007-02-10 | A あれこれ
 
● 美術館のパンフレットより 

① ドラマ「碌山の恋」について書きましたが、黒光をモデルにした「女」を載せておきます。重要文化財に指定されているこの作品は、「坑夫」や「文覚」などと共に碌山の傑作とされています。 もう少し左側前方からのアングルが私は好きです。 


● 美大連合卒業・修了制作展 
2月21日~26日 東京都美術館にて


② 先日、卓上カレンダーのデザインについて書きました。「出来るだけシンプルに見やすく」というのがデザインの基本。その場合、数字のデザインが重要になると思います。

いくつも「5」が並んでいますが、どうでしょう。見やすくて美しいという条件を満たすのはなかなか難しい、ということが分かりますね。数字や文字のデザインは特に難しいのでしょうね。


アルコールな夜のブログ

2007-02-09 | A あれこれ

 アルコールな夜。
 
 しばらくブンガクから遠ざかってしまっていた。以前『雪国』を読んで、川端康成の好色さに驚いた。あの鳥のような鋭い眼で何を観察していたんだろう。もっと好色なブンガクをしようと『眠れる美女』新潮文庫を読んだ。

● 撮った写真の回転を忘れた、マ いっか。

67歳の江口じいさんは「生涯現役」というわけにはいかなかったらしいが、とにかくスケベ。そのじいさんが、宿屋ともいえない秘密の家の二階で、眠っている若い娘と同衾し顔の詳細や体を観察するという、ただそれだけの話。 こんな風にノーベル賞作家の作品について書いたら×かな。

解説で三島由紀夫はこの小説を傑作だと書いている。マ、当然だと思うけど。 **『眠れる美女』は、形式的完成美を保ちつつ、熟れすぎた果実の腐臭に似た芳香を放つデカダンス文学の逸品である。デカダン気取りの大正文学など遠く及ばぬ真の頽廃がこの作品には横溢している。(中略) その執拗綿密な、ネクロフィリー(死体愛好症)的肉体描写は、およそ言語による観念的淫蕩の極致といってよい。(中略) この作品は、これ以上はない閉塞状態をしつこく描くことによって、ついに没道徳的な虚無へ読者を連れだす。(後略)**

ブンガクって難しいな~。 作品は作家の手を離れたら、あとは読者がどう読もうと構わないわけだから、「好色爺さん、女体観察記」と評したっていいわけだ。 三島は「言語による観念的淫蕩の極致」と書いたが・・・。
  
川端ファンの皆さんスンマセン。たぶん高校生のころ、この小説を読んでますよね、傑作だと思いましたか? え、傑作、そうですか・・・、でもその感想ってあの「裸の王様」を見た大人と同じで、子供の正直な感想ではないんじゃありませんか?
アルコールなブログ、この辺でやめとこ。


偶然の一致

2007-02-09 | A 読書日記

『藤森照信の美術館三昧』TOTO出版  日本は美術館列島だと藤森さんは指摘している。確かに美術館の数は多いと思う。この本は全国に点在する多くの美術館のうち27館の探訪記をまとめたもの。以前書店で立ち読みをしたことがあったが、手元にはない。

この本を読んでいた同僚に「U1さんのブログと同じことが書いてありますよ」 と指摘されて、その箇所を確認した。

まず以前とり上げた「安曇野ちひろ美術館」 。  **切妻屋根の形が、後の山の形とピタリ一致していました。偶然かもしれないから、玄関の真正面に立って、眺めてみると、まちがいない。(中略)北アルプス連峰の足元に、山々を背にして建つ建物には、守らなくてはならない暗黙のルールがあるはずで、それをちゃんと自覚し、守っておられる。**   切妻屋根の勾配が後方の山の勾配と一致していることは私も以前とり上げた(下の写真)。このことは館長の松本さんも確か指摘していたと記憶している。



次は先日とり上げた「碌山美術館」 。  美術館南側の外観、碌山の残した言葉、ドアの取っ手、入り口ドア上部のハンガーレール、先日アップしたこれらの写真がこの本にも掲載されている。 本に載っている外部の真正面の写真は、私も撮ったがアップしなかった。藤森さんがこの美術館を訪ねたのは冬だったというから、季節も同じ。

  
● 本に掲載されている写真(左)と私が撮った写真(右)

本の文章をきちんと読んでいたわけでもないし、写真を覚えていたわけでもないのでこれらの一致は偶然だ。ここにとり上げられている美術館で私が訪ねたことがあるのは8館、これは少ない。「群馬県立館林美術館」 や「丸亀市猪熊弦一郎現代美術館」などは機会があれば是非訪ねてみたい。


繰り返しの美学

2007-02-07 | B 繰り返しの美学

数日前の新聞に掲載された洗濯乾燥機の広告。真っ白いシャツの繰り返し。洗濯乾燥機の能力が優れているということを示す、という意図によるデザインだろう。

パースペクティブにズーッと続いているシャツは「繰り返しの美学」、さすが松下電器。

安曇野 風ゆら

2007-02-07 | A あれこれ

 前稿に旧穂高町から見た常念岳の写真を追加しておきました。




「風ゆら」 安曇野市明科(旧明科町)にあるレストラン。傾斜地を生かした設計で2階には大きくはりだしたデッキがある。冬は寒くて利用できないだろうが、春から秋にかけては心地よい空間になるだろう。

オープンして一年半とのことだが、口コミでお客さんが増えてきているらしい。地元で採れる食材を使った衒いのない家庭料理は特に女性に人気があるようだ。 新緑の季節にまた出かけよう。


安曇野 常念岳と有明山

2007-02-06 | A あれこれ


● 常念岳(旧堀金村より)


● 有明山(旧穂高町より)

安曇野のシンボルといえばやはり常念岳だろう。事実、雑誌などに掲載される安曇野の風景写真にはこの山が写しこまれていることが多い。

旧堀金村あたりからは常念岳の美しい三角形の山容を見ることができるが、旧穂高町からは常念はあまりよく見えないし形も美しくない(写真下)。むしろ有明山の方が存在感がある。


● 常念岳(旧穂高町より)

常念岳も有明山も画材にされることが多い。私の主観だが、有明山のデフォルメしたような山容は、大胆なタッチの油絵に向いていると思う。一方常念は大胆なタッチの絵には不向きで、細部まできちんと描きこむような繊細な絵に相応しい山だと思う。鉛筆やペンを使って描いた下絵に軽く色をつけるような淡彩スケッチにも向いている。

この春には安曇野でスケッチをしよう。


安曇野 碌山美術館

2007-02-04 | A あれこれ



△ 玄関ドアのハンガーレールと取っ手



 昨日観たTVドラマ「碌山の恋」では、遺作となった「女」が荻原碌山と相馬黒光の悲恋を象徴する作品としてとりあげられていた。「女」を観に碌山美術館へ出掛けてきた。

教会を思わせる瀟洒な碌山美術館を設計したのは今井兼次。昭和33年4月22日(この日は碌山の命日)の開館。

この美術館が、その後安曇野に小さな美術館がいくつもできる契機となった、といっていいだろう。 レンガの外装、夏は蔦に覆われているが、この季節はもちろん葉がなくて淋しそうな雰囲気が漂っている。


館内は撮影禁止で写真はないが、展示室は高窓から差し込む自然光に満ち、「抗夫」や「女」などの作品を鑑賞するのに相応しい空間だ。

「愛は芸術なり 相剋は美なり」と訳されている碌山のことばが風除室の正面の壁にある(写真下)。 確か4歳年上の人妻 黒光、叶わぬ恋、煩悶・・・。 彼はそれをこのことばのように捉えて彫刻に昇華させた。

愛は芸術なり、あの樋口一葉も半井桃水への想いを小説を書く力に置き換えたのかもしれない。 碌山も一葉も夭折してしまったが芸術を残した。

「愛は芸術なり 芸術は永遠なり」


 


縦横比

2007-02-04 | A あれこれ



 住宅展示場にて

今回は「ゆるやかな秩序の美学」ということで各国の国旗をとり上げようと思っていた。 多様なデザインではあるが、みんな長方形でしかも縦横比が統一されている、ゆるやかに秩序づけられている。 確かに地図帳に掲載されている世界の国旗を見るとみんな縦横比が同じ長方形だ。ただしネパールは例外で三角をふたつ重ねた形。この先を続けようと思っていたが・・・。

縦横比に関する約束事でもあって世界共通なんだろうか・・・。調べてみて縦横比に約束事など無いということが分かった。比較的 1:2と2:3が多いがバラバラだ。4:7、5:7、5:8、6:11、7:10、7:11、8:11・・・

因みに日本は7:10でブラジルも同じ比率。スイスとバチカン市国は1:1つまり正方形。でも手元の地図帳をみるとスイスの国旗、そう赤地に白十字も他の国と同じ長方形になっている。

アメリカは10:19、1:2とほぼ同じ比率だが微妙に違う。10:19の国は他にもある。マーシャル諸島共和国、ミクロネシア連邦、共にアメリカの信託統治領だった国だ。リベリアの国旗は比率も同じでデザインもアメリカの星条旗とよく似ているが、それはリベリアの成立を物語っている。

国旗の縦横比を調べるだけでも面白い。ベルギーは13:15、デンマークは28:37。 たぶん両国はかなり昔に国旗が決まったのだろう。プロポーションを決めて国旗をデザインしたのではなく、測ってみたらそうなっていたといったところだろうか。1:2や2:3が多いのはデザインするときにプロポーションを決めているからであろう。ではイギリスは?フランスは?ロシアは?中国は?北朝鮮は?・・・ 

縦横比といえば黄金比。昨日とりあげた『デザインにひそむ <美しさ>の法則 』にも紹介されている。工業製品には黄金長方形(縦横比が黄金比の長方形)が多用されているとのことだ。私が使っているデジカメもそう。 黄金比は 1:1.61803398875・・・。 2:3は黄金比に近い。国旗のデザインにそのことが意識されたかどうかは不明だが。

この本にはこんなことも紹介されている。
1÷1.61803398875=
1.61803398875×1.61803398875=
なんと不思議! 電卓を用意して是非計算を!


○ イギリスと北朝鮮は1:2 、フランス ロシア 中国は2:3 このことから何か分かるのかな?


愛は芸術なり 相剋は美なり

2007-02-03 | A あれこれ

テレビドラマ「碌山の恋」 彫刻家 荻原碌山最後の作品「女」のモデルは相馬黒光。相馬愛蔵と結婚、中村屋を創業した黒光と碌山の悲恋。

このドラマの演出・脚本を担当した合津直枝さん(テレビマンユニオン)は高校の同期生。先日朝のラジオ番組で彼女はインタビューに答えてこのドラマに寄せる思いを語っていた。

水野美紀は黒光を演じ、同時に舞台で黒光を演じる女優としても登場する。新人かな、平山広行は碌山を演じ、役作りのために碌山美術館を訪れてきた彼女を案内するアルバイトの学芸員としても登場する。過去と現在、時間を重ねる演出。

合津さんは平山広行と会ったとき、彼が絵を描くことが好きなことに加えて手が大きいこと、そして確か古風な印象が気に入ったと先のラジオ番組で話していた。

ドラマの中の美しい安曇野の風景、そこには都会で故郷を思う合津さんの気持ちも織り込まれていたのだろう。

碌山が中村屋で吐血、30歳の若さで病死した直後、碌山のアトリエで黒光は遺作となった「女」の梱包を解く・・・、碌山が彼女に寄せていた激しい想いの結晶をみつめて涙する・・・。印象的なラストシーンだった。


今週の本

2007-02-03 | A 読書日記

『「場所」の復権 』平良敬一/建築資料研究社
『 デザインにひそむ <美しさ> の法則 』木全 賢/ソフトバンク新書
このところ多忙な日が続いた。「隙間時間」読書でざっと読了したのがこの2冊。

 

 丸の内オアゾの丸善で買い求めた。表紙に載っているそうそうたる人たちと平良さんとの対談集。雑誌「造景」に連載された対談をまとめた本。都市や建築については人それぞれ関心の置き所、捉え方が異なっている。この対談集を通読してこの世界の多様性を再認識した。

以前も書いたかも知れないが、新書は装丁が決まっているのでタイトル勝負だ。しばらく前に幻冬舎新書が創刊された。



 この本のタイトルをめぐる編集者と著者の香山さんとの打ち合わせの様子をTVで見たが、候補をいくつか挙げて検討を重ねていた。このタイトルには香山さんは最初あまり積極的ではなかったと記憶している(この本は未読)。同じようなタイトルの本が既に何冊もあるから新鮮味がない。 



 タイトルで買った。こんなタイトルをつけられたら、手にしたくなる。主に工業デザインについて書かれているが、「可視性」や「対応付け」などについては建築のデザインについても当て嵌まる内容、デザインの基本を再確認するのにはいい本かもしれない。