透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「スマイル!」を読んだ

2017-06-18 | A 読書日記

 沢木耕太郎の『深夜特急』を単行本で読んだのは何年前だろう。本に出てくる都市の名前を世界地図で確認しながら読んだことを覚えている。



昨日、自転車で世界一周した岡谷市の小口良平さんの講演を聞いたことは前々稿に書いた。講演の後、買い求めた『スマイル!』河出書房新社を昨晩読んだ。

本には小口さんが訪ねた世界の国々で撮ったカラー写真が何枚も載っている。交通事故に遭って前歯を折ってしまったり、感染症にかかったり・・・。でもどこの国にも親切な人が必ずいて、トラブルに手助けをしてくれたという。

**言葉もほとんどわからず、何もかも初体験だったアフリカ。そんな中でも「こんにちは」「ありがとう」「おいしい!」という“魔法の3つの言葉”と、とびきりの笑顔さえあれば、すぐにみんなと仲良くなることができた。僕はここでの出会いを通して、「世界に人種や言語の壁などない」ということを実感した。** アフリカの子どもたちと一緒に撮った写真にはこのような言葉が添えられている。昨日(17日)の講演でも小口さんは「人に国境はない」と語っていた。

第1章 地球一周旅への助走
第2章 アジア・オセアニア
第3章 ヨーロッパ・アフリカ
第4章 南北アメリカ
第5章 夢の持つ魔法の力

この本には約8年半に及んだ自転車旅の記録がこのような章立てで綴られている。

一度きりの人生、こんな風に使える人が羨ましい。

この手の旅行記が好きで今までに何冊か読んだ。命を失うかもしれないようなトラブル覚悟で旅に出る勇気のない私は本を読んで追体験(にもならないのかな)するのみ。

第4章の最後の世界地図に移動ルートと訪ねた国名リストが載っているが、この地図がもっと大きくて(大陸別でもかまわない)、通過した都市名まで記入されていればなぁ、と思った。

小口さんは本に百聞は一見にしかず、百閒は一験にしかず と書いている。実感だろうなぁ。


書棚を探すとこんな本が見つかった。読んだことも忘れていた『シルクロードがむしゃら紀行 女ひとり一万キロ』大高美貴/新潮社 奥付けに記された発行日は2001年1月20日。この本が出てきたのも縁、再読してみよう。




 


834 木曽町三岳の火の見櫓

2017-06-18 | A 火の見櫓っておもしろい

■ 今月10日に木曽方面へ火の見櫓とマンホール蓋のツーショットを撮りに出かけた。

この日はあらかじめ火の見櫓の所在地を調べていた。木曽町三岳(旧三岳村)のこの辺りにも火の見櫓が立っていることが分かっていたので、王滝村からの帰りに行ってみた。県道20号から脇道に入り坂道を車で進んで行くと道が二手に分かれていた。右は下り坂、左は上り坂。さてどっちだろう・・・。上り坂を進んできたので、その連続性を意識したのだろう。左、と判断して進んで行ったが見つけることができなかった。この日はあきらめて帰った。帰宅して改めて調べて右の道を進んだところにあることを確認した。昨日(17日)の午前中にまた行ってきた。たった1基の火の見櫓を見るために往復100km。


834 木曽町三岳橋渡 撮影日170617

 4角形の櫓に4角形の屋根と見張り台。屋根の反りが大きい。カンガルーポケットの踊り場。見張り台と踊り場の床は鋼板張り。梯子段の数とその間隔により、見張り台の床の高さはおよそ10.5m、そこから屋根のてっぺんまでのおよそ3mを加えて総高をおよそ13.5mとみた。



下の踊り場に半鐘が吊り下げてあるが、これは見張り台から移したものだろう。ここまでは櫓の外側に梯子が掛けてある。

火の見櫓の向かいの家のおばさんと話をした。この辺りの地名を訊いたのがきっかけだった。

「危ないから撤去して欲しいと町にお願いしているんですが、この上に住む人からこれは貴重なのもだから残した方がいい、と言われているんです」
「長野県は火の見櫓が多いんです。でも、もう使わなくなりましたからあちこちで撤去しています。できればこのままにしておいて欲しいです。昭和30年ころから盛んにつくられましたが、このくらいの火の見櫓だと、当時のお金で15万くらいかかっていると思います。今のお金だと500万くらいになりますかねぇ」
「そんなに・・・。これ、倒れませんか?」
「大丈夫でしょう。住宅のような壁がないから、風も抜けてしまうし、こういう形って地震にも強いんです。でも一番下の奥の✖(ブレースのこと)が外れていますから、直した方がいいと思います」




柱と梯子に水平材を架け渡して半鐘を吊り下げている。消防信号板を梯子に付けてあるから、見張り台まで登ることはもう無いと判断したのだろう。



露出柱脚は珍しい。