黎明の廃人日記

最近はやや更新が途切れがち、斜めに流し読み。
貴方にも私にも人生の役には立ちません。

じきに来る先のこと

2015年02月03日 00時50分54秒 | Weblog
2月3日分。

 毎度。まだ休職期間は継続中、そして薬での対処もやっぱり継続中。幽霊です。会社関係のことを忘れている期間は多少安定するのですが、元の職場との定期連絡などがある日には、やはりメンタル・体調とも崩れる気配を感じます。まあ、表面上の安定を薬で確保しているだけで、根本的なところはやはり放置されているままだから、ということなのでしょう。
 実家側の仕事をアルバイト的に、あまり身体やメンタルの負担にならない範囲で、リハビリついでに手伝ってはおりまして。そのこと自体に苦痛の感覚は無く、別に何かしら働くなり仕事をするということ自体に嫌悪感があるわけでは無いようです。となると結局の所、職場環境やら業務量やらによる負荷の大きさというものが、やはり問題の根底にあるというところでしょうか。
 今こっちで手伝っている仕事は、今までにさすがにやったことのない中身なので、ほぼ1から新しく覚える状態で進めています。分量的にはかなり抑えた状態にはなっていますが……。新しく仕事を覚えるということそれ自体には、そこまで嫌という感覚は無いのかもしれません。後はまあ、何のために働くのかというところの見直しが必要なんでしょうね。今までは正味、本気で生活のため以上の価値を見いだしていなかったので。

 そんなこんなで、本当に参考になるかどうかはともかく、ツイッターでちまっと出回っているらしい、職業適性テストなるものを試してみました。とりあえず、結果の画像コピーは下の通り。

 

 うーん、何でしょうね、この見事にとんがった配分は。まあ、外側よりも自分の内側に生じてくる事柄に興味の大半を向け、かつ自分で見聞きするなり体感したという感覚を重視するというところと、無闇に考え込んで常に余計な事柄の思考が回っている……といった辺りの特徴は出ているように思います。ADHDの欠陥(裏返せば長所とも言えなくはない)が見事に反映されている、とも。
 外向性が低いのはまあ元より承知の上、判断の部分が低いのは、これまたADHDの特徴として非常に判断が遅い、後回し先延ばしにするといった傾向の現れでもありましょう。多分、こうやって自分の前に出てきたデータ(問題)を、手持ちのデータなり、足りなければいくらか検索するなどでデータを増やして、分析しようとするなり、自分に飲み込めるところまで落とし込もうとするという傾向も表現されている感が。
 やりがい、美徳を重視というところは……まあ、あるでしょうね。そういう人間が、消去法的に「給料のため」だけに働くというのは、ちと無理があったのかも。少なくとも、それで負担と思うだけの業務負荷がかかっていなければやれますが、ちょっと手持ちのおつむの処理性能が足りなかったこともあって、バランスが取れなくなったのでしょうね。

 さてはて、別のネタというか、今日のタイトルの分。WIREDから、「人工知能は失業者を生む:中国のAI研究者が警鐘」という話題。何だか以前にも似たようなネタを取り上げたことがあったような気はしますが……あのときと、今の私自身の環境というか、思考前提が変わってきていると思うので、改めて。
 例えば、アマゾンの配送センタを走り回るロボットであったり、車の自動運転の技術であったり。もしくは、まだ試験段階的な状態でしょうが、スタッフをロボットにしたホテルの話なんかもあったりします。この先まだまだ、ロボットが人間の代替として入ってくる分野はたくさんあるでしょうし、単純労働の分野ほどその傾向は進んでいくことになると思われます。
 こうした、特に単純労働の分野からの「人的」雇用の喪失は、確かにしばらくの期間、失業者の増加を招くことになるでしょう。最終的な形としては、「創造的な」仕事以外はロボットに任せてしまう、という社会が目指されていく方向性になる筈。ただ、そこまで出来上がる前の段階として、人間の労働者とロボットとの、「雇用の維持・確保」という形での対立が生じることになるな、と。
 企業をはじめとする組織・集団での仕事というものは、その組織が大規模なものであればあるほど、全体に占める「換えの利かない」人間の割合というのはごく少数になってきます。機械にはまだ真似の出来ない技術を持った人間か、経営者の側の立場にいる経営判断を下すべき人間以外は、そのほとんどが「換えの利く」歯車でしかありません。実際、私自身が出向元では既に戦力としてはカウント外であり、今の出向先でも休職している分を他の人が埋めている。代替出来てしまう、ということですね。
 これはつまり、その「仕事」が出来る「技術」がロボットに備わっていれば、別に人間である必要性はないということ。ロボットの方が正確で、処理が早く、精神の病や子どもの急病で休んだりもしません。人間を使って仕事をするということ自体、将来的には不確実でナンセンスなやり方だ、と考えられるようになるのではないでしょうか?

 多分、この先数十年後くらいにもなると、今とは「仕事」の概念が変わっているのでしょうね、きっと。ロボットの反乱という話を考えるよりも、ロボットによる「人間の不要さ」の証明という方が現実味のある話なのかも。某タチコマのように、自立思考・自立学習型のAIが出てくるとまた話は違うのかもしれませんが、そんな高等なものが無くてすら、人間は追いやられていくことになる。
 将来、人間の数はそんなに増やす必要も無くなるでしょうから、地球全体として見れば、人口は減る形になるのかもしれませんね。国家という概念がさて、どこまで残るのか……。ただ、一定の「集団」なり「組織」の単位はなにがしかの形で残ることにはなると思います。人間、完全に孤立状態のままで生存していけるものでは無い筈なので。
 逆に、孤立状態のままで生存が維持できる状態というのは、もうそれは「飼い慣らされている」状態なんじゃないかなぁ、とか。まあそれはそれで、考えなくても良いから楽で良いのかもしれませんね。

 ではでは。ひゅう、どろん。