TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

トッポと山手の洋館巡り、 その3

2008年07月16日 | トッポの世界
『山手イタリア山庭園』は、 1880年(明治13年)から1886年(明治19年)までイタリア領事館が、現在の場所に在ったことから名付けられています。



外交官の家の東側をさらに一段下がると、『ブラフ18番館』があります。



『ブラフ18番館』は関東大震災後に外国人住宅として建てられ、戦後はカトリック山手教会の司祭館として使用されてきたものを移築したものです。
木陰のベンチなどでひとときのんびりと過ごすのも楽しいでしょう。



緑濃い穏やかな庭園の中に建つ18番館は童話の世界に登場する妖精の暮らす家のような可愛らしい印象です。



庭園には手入れのよい紫陽花が咲いています。
トッポパパ、『紫陽花は毒だから齧っちゃダメだよ。』
トッポ、『了解!



震災のときに火災を免れた部材を利用して建てられたようですが、木立に包まれて建つ姿はどこか可愛らしい印象もあって魅力的です。
現在は山手の暮らしと歴史の資料館として開館しています。



ブラフとは、英語で『the Bluff』が崖の上、つまり山手を指すことから名前がつけられたのだと思います。
つまり『ブラフ18番館』とは『山手18番館』ということになるのでしょう。



庭の北東側の角には横浜市街を見下ろす展望デッキもあります。
ここでは当時の優雅な生活を垣間見ることができます。
外交官の家とブラフ18番館との間にある、水場でトッポと記念撮影です。



ここから外人墓地方面へ歩きながら、山手の雰囲気を伝えていきたいと思います。

続く.............................................................。

海外の都市の紹介、 その49の4 『ジャカルタ』

2008年07月15日 | 海外の都市の紹介
オランダ統治時代?の面影を残す、造船所内の倉庫の名残です。



中にはインドネシアの昔ながらの船が陳列されていました。



こちらは近くのリゾート地区の、近代的なクルーザーです。



インドネシアは現在でも貧富の差が大きく、社会的問題になっています。



一部のお金持ちの人たちは、優雅なレジャーを楽しんでいるようです。



南国らしい、別荘風の建物もたくさんあります。



雨が降っていましたが暑い国では子供たちは、やはり海水浴が好きなようです。
他の国と違うのは写真でも分かるように、みなさん洋服を着たままです。
水着で泳ぐなど、回教徒のこの国では考えられないのでしょう。



雨が強くなってきましたので、屋根つきの屋外レストランで小休止です。



海岸線も綺麗な景観でした。



簡単な紹介しか出来ませんでしたが、これでジャカルタより

トッポと山手の洋館巡り、 その2

2008年07月14日 | トッポの世界
『外交官の家』の裏庭に回ってみます。
山手はかつて横浜開港期に外国人の居留地だったところで、港を見下ろす緑の丘に、彼らは故郷の風景を重ね合わせていたのでしょう。



室内にはガーディナーの作品、外交官の暮らし等についての資料を展示しています。
また、写真右の付属棟には、喫茶スペースが設けられています。



ガーディナーの設計による外交官の家は、木造二階建てで、その手法はアメリカン・ビクトリア様式と呼ばれるものです。
ビクトリア様式は重厚な豪華さを旨としたバロック様式の流れを汲むもので、19世紀後半に英米で流行した建築様式です。
その中でも特にアメリカのものを「アメリカン・ビクトリア様式」と呼ぶのでしょう。



庭には随所にきれいな花壇が設けられていて、季節の花が色を添えています。



庭園内から南側を見ると、一段高くなったところに『外交官の家』の別の姿があります。
庭園と洋館の組み合わせは絵になる美しさです。



この角度で見る庭園の景観は、山手イタリア山庭園を代表するものです。
建物の隅の、尖塔を思わせる部分などが特に印象的です。



幾何学的なデザインの庭園を花壇の花々が彩る様子はとても美しいです。
庭園は根岸線の線路を見下ろす崖の上にあります。
昔はここから横浜の港の眺望が楽しめ他のでしょうが、現在はみなとみらい地区の高層ビルの景色に変わってしまいました。



庭園内のあちらこちらでその姿を写真に収めようとカメラのレンズを向ける人やキャンバスの上に絵筆を走らせる人の姿がありました。



中央には水路があり、それを取り囲むように花壇が配されています。
水路を中心としたデザインが、洋風庭園の情緒を引き出しています。



トッポ、『ちょっと、僕の出番が少なくない?』
トッポパパ。『

続く..................................................................。

海外の都市の紹介、 その49の3 『ジャカルタ』 

2008年07月13日 | 海外の都市の紹介
イスティクラル大寺院の中の広場の写真です。



現地の人に案内していただいた、旧オランダ領事館か、領事の館だと思います。



オランダから独立を勝ち取ったインドネシアですが、いまでも歴史的遺稿として大切に保存されています。



ジャカルタより車で1時間ほど移動したところに、オランダ主導でその昔作られた造船所があると聞いて、訪問しました。



こちらで造られる船は大型木造船で、結構海外諸国に輸出されているようです。



オランダを中心としてヨーロッパでは、観光用の船として需要があるそうです。



ちなみに値段を聞きましたら、上の写真の大型木造船がエンジン付きで、約3500万円ぐらいと聞いて、安いのでビックリしました。



オランダ統治時代の、港湾施設の見晴台のような役割の建物です。



周囲の店舗は、現地の人いわく100年前とほとんど同じ雰囲気でしょうと話していました。



続く...................................................................。


トッポと山手の洋館巡り、 その1

2008年07月12日 | トッポの世界
今回はちょっと趣向をを変えて、横浜の山手の洋館巡りをしながら、トッポと一緒に横浜の歴史や現存する洋館の紹介をしていきたいと思います。
トッポ、『僕は洋館より羊羹のほうが好きだけど!』



横浜山手には大正末期から昭和初期にかけて建てられた洋館の数々が移築復元されています。
まずは山手のイタリア山庭園に足を運んでみました。
トッポママが見ている入口で、上の写真をアップで撮るため、立看板を動かしてひっくり返しママに叱られたトッポパパでした。



山手の洋館は東の『港の見える丘公園』から西は『山手イタリア山庭園』まで続きます。
今回は、イタリア山庭園から順番に紹介していきます。
『外交官の家』の看板がありますので、中に入ってみます。



資料によると、この建物はもともとは1910年に渋谷の南平台に建てられ、内田定槌)の私邸として使われていたものだそうです。
内田定槌は明治から大正にかけての外交官であったため、そこから『外交官の家』の名がつけられたようです。



玄関正面の庭には紫陽花が咲き誇っています。



旧内田邸は、内田定槌の孫にあたる宮入氏より横浜市に寄贈され、ここへ移築復元されました。
建物を後世に残したいとの宮入氏の強い願いもあり、工事は1995年から1997年にかけて行なわれ、完成と同時に国の重要文化財の指定を受けています。



トッポ、『なるほど、立派なお家だ!』
トッポではないが、確かに外交官の家の外観にはどこか堂々として華麗な印象があります。



内田定槌の依頼を受けて、この建物を設計したのはジェームズ・マクドナルド・ガーディナーだです。
ガーディナーは建築学の素養のあったガーディナーは核費に多くの建築物を残しますが、それらの多くは関東大震災で消滅してしまいました。
現存が確認されているのは、この建物をはじめ日光市の日光真光教会や京都市の聖アグネス教会などで、貴重な遺構です。



続く...............................................................。

////////////////////////////////////////////////////////////////
明日よりタイ、シンガポールへ出張になります。
日本も日々暑くなりますが、一足先に暑さになれてくることにします。
////////////////////////////////////////////////////////////////

海外の都市の紹介、 その49の2 『ジャカルタ』

2008年07月11日 | 海外の都市の紹介
大統領が執務を行なう(行った?)、旧オランダ総督公邸で現在は『ムルデカ(独立)宮殿』と呼ばれています。
ジャカルタの前身は1333年建国の西部ジャワのヒンドゥ教国パジャジャラン王国です。
もともとは港町として栄えた場所で、13世紀に入りイスラムの布教が始まります。
パジャジャラン王はイスラム勢力との対抗上、ヨーロッパより最初に訪問してきたポルトガルと1522年に協定を結び、軍事援助の代償に胡椒の提供を約束します。
1527年にパジャジャラン王国を滅ぼしたバンテン王国のイスラム王スーナン・グヌンジャティは、ポルトガルの追放に成功して、この地をバンテン王国の封土とし『ジャヤカルタ(Jayakarta:「偉大なる勝利」の意)』と改名しました。
このポルトガル勢を撃退したとされる6月22日がジャカルタの創立記念日に定められています。
その後、1619年オランダ東インド会社がオランダ支配の要塞の建設を始め、1645年には、オランダ本国の先住民バタウィ(Batavi)にちなんで、ジャヤカルタをバタヴィアと改名します。
現在の『ジャカルタ』という名前に変わったのは、日本軍政期の1942年です。



大カトリック教会です。
イスティクラル大寺院から大教会を臨んだ写真です。
海峡とが主流のインドネシアの寛容さを象徴する大寺院です。
教会に付属する学校が敷地内にあり、お金持ちの子弟が通う名門校として有名です。



イスティクラル大寺院です。
ムルデカ広場近くにある東南アジア最大と言われるイスラム寺院で、17年かけて、1978年に完成しました。



東南アジアで最大のイスラム寺院で、この広大な敷地に12万人が収容できます。



故スカルノ大統領時代に建設され、インドネシア国民の約90%が回教徒(イスラム教徒)なので、こんなに大きいイスラム寺院が必要なのでしょう。



断食明け(ラマダン)の礼拝などのイスラム教の行事の時には、大統領達もここに姿を見せるようです。
一般的にはモスクは回教徒以外入場禁止なのですが、案内してくれた人がどのように説明してくれたのか分かりませんが、運よく内部の撮影をすることが出来ました。、



約1haの広さを持つ礼拝場は1万人以上の信者でいっぱいになるそうです。



大きな太鼓で、牛一頭の川を丸ごと使用して造られた太鼓だと説明されました。



案内の女性と比較すると、大きさがよく分かると思います。



続く..................................................................。

トッポと横浜ぶらぶら歩き Part13、 その6 『横浜開港149周年』

2008年07月10日 | トッポの世界
赤レンガ周辺でも、いろいろなイベントが行われていました。



いろいろなグループが順番にダンスや演奏を披露しています。



トッポ、『みんな楽しそうだね!』



順番待ちのグループが、近くで練習をしています。
天気がよい日でしたので、みなさん練習の成果を出せたでしょう。



そろそろ孵ることにしますが、ここから見ても帆船がよく見えます。



赤レンガで、水分を補給してちょっと休憩です。



おなじみの赤レンガです。



ワールドポーターズの2Fより、今度いつ見ることができるのかわからない海王丸Ⅱの雄姿をもう一度紹介します。



それでは赤レンガより

海外の都市の紹介、 その49の1 『ジャカルタ』

2008年07月09日 | 海外の都市の紹介
今回はインドネシア首都のジャカルタの紹介です。
天気が雨模様なので写真が鮮明でなのはご容赦ください。



インドネシアは太平洋に浮かぶエメラルドの首飾りと讃えられていますが、バリ島を除けばちょっと言いすぎだと思いますけど、1万数千の島々からなる世界最大の群島国家は多種多様の民族・文化が混在する、興味深い国であることは確かです。
写真は、ジャカルタへ訪問する人を歓迎する、歓迎の像です。



今回は現地のスタッフと恋人?に案内してもらいました。



モナスの独立記念塔です。
MONASとはMonument Nationalの略で、1945年8月17日の独立宣言を 記念するために、1946年、故スカルの大統領の命により建てられました。



高さは132m、頂上には35Kgの純金を使った炎の彫刻を配し、内部には、48点のジオラマによって、インドネシアの歴史が解説される歴史博物館があリます。



この独立記念塔の建設は、鉄骨担当が日本、照明担当がフランス、大理石担当がイタリアとのことです。
地上から130mのところにステージと呼ばれる四角い 展望台があります。



中央ジャカルタ、ムルデカ広場中央に位置するモナスは、背後には東洋最大のイスラム教モスク『ムスジッド・イスティクラル』とカトリックの『カテドラル教会』」がそびえています。
広場には、小ぶりの住居のような家がたくさん造られています。



この家は、広場に生息する小鳥たちの棲家のようです。



大統領宮殿です。 大統領の執務を行なう場所のようです。



インドネシアは、いつもこのようなうす曇りの天気で、写真が鮮明に撮れないのが残念です。

続く...................................................................。

トッポと横浜ぶらぶら歩き Part13、 その5 『横浜開港149周年』

2008年07月08日 | トッポの世界
トッポにとっては、帆船より芝生が好きなようです。



ある情報によると、赤字が積み重なって今年で航海は終了との話を聞きました。
夢のある帆船は、何とか残しておきたいと思うのですが難しいのでしょうかね。
そういえば商船大学も海洋大学に変わり、時代とともに変化していくのはしょうがないことなのでしょう。



トッポ、『赤レンガのほうで、賑やかな演奏が聞こえるよ。!』



赤レンガ倉庫は、明治末期から大正初期に国の模範倉庫として建設されたレンガ造りの歴史的建造物です。
写真は1号館で文化施設が中心で、奥の2号館は商業施設が中心になっています。



トッポ、『遺跡みたいなものが歩けど??』



これは横浜の旧税関跡の遺構です。
赤レンガ地区再開発中に発見されたもので、関東大震災の際に失われたそうです。現在は花壇として使用されています。



トッポ、『何かやっているよ!』



赤レンガ広場の前で、演奏やダンスなどが披露されているようです。



続く.........................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その47の3 『大阪城』

2008年07月07日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
日本には秀吉が築いた城がいくつもあります。
織田信長の部将時代に、長浜城、姫路城を、天下統一の拠点としての山崎城、大坂城を築きました。
側室と子どものために淀城、朝鮮出兵の基地として肥前名護屋城、隠居所として伏見城、小田原北条氏を倒すために築いた石垣山城などがあります。
秀吉の天下統一の足跡になっています。



広場ではいろいろなパフォーマンスが行われています。



大阪城の巨大石垣です。 たたみ36畳もあるそうです。



京都の豊國神社の別社として建てられた大阪城豊國神社です。



境内に建つ豊臣秀吉像です。
文化功労者 中村晋也氏の制作で、2006年の建立で高さは台座を含め5.2mの銅像です。



本殿です。



比較的新しい本殿ですので、京都の豊国神社と比較すると歴史的重厚さにはちょっと欠けているようです。



最後にもう一度大阪城を遠くから撮ってみました。



ちなみに大坂と大阪の違いは何なのでしょう。
江戸時代は大坂であったようですが、廃藩置県の時に坂は土に返る(死)に通じると言うことで、大阪になったようです。



可愛い汽車の写真とともに、大阪城より

トッポと横浜ぶらぶら歩き Part13、 その4 『横浜開港149周年』

2008年07月06日 | トッポの世界
トッポ、『あっちに帆船が見えてきたよ!』



横浜開港祭のイベントの一つに、日本丸と海王丸Ⅱが総帆展帆をするというので、出かけてきたのです。
多くの人が海王丸Ⅱの雄姿を見ようと集まってきています。



海王丸Ⅱは総トン数、2,556トン、全長は110.09メートル、マストの高さ、43.5メートルです。



海王丸Ⅰの後継として、1989年(平成元年)に就航しました。



海王丸とは、日本丸と同じく航海練習用帆船です。
現在活躍中の練習帆船は日本丸Ⅱ世と海王丸Ⅱ世で、神奈川県横須賀市にある住友重機械工業追浜造船所浦賀工場で建造されました。



海王丸Ⅱは先代の海王丸に比べて大型化がなされ、日本丸Ⅱ世をしのぐ帆走性能を備えています。



その年で最速の帆船に贈られる『ボストン・ティーポットトロフィー』を1990年,1991年,1994年,1995年と4回受賞しています。
日本丸IIは3回受賞しました。



『海の貴婦人』と呼ばれる海王丸Ⅱは、大航海時代を思わせるロマン溢れる帆船です。     



日本丸と海王丸の見分け方は、船首(写真だと分かりにくいのですが、船首ネットの下にあります)に藍青(らんじょう)と呼ばれる『手を合わせ祈る婦人像』があるのが日本丸で、海王丸は紺青(こんじょう)と呼ばれる『横笛を持つ少女の像』が飾られています。



みなとみらいに係留されている日本丸も総帆展帆したそうですが、やはり海に浮かぶ帆船のほうが迫力がありました。

続く............................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その47の2 『大阪城』

2008年07月05日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
以前に案内した、海外のお客さんと一緒に天守閣をバックに記念撮影です。
さすがに、当時はサングラスをしている人はいないでしょう。 



大坂城の天守は現在までに三度造営されているそうです。
初代天守は1583年に豊臣秀吉によって創建されましたが、1615年の大阪夏の陣で焼失しました。



二代天守は徳川大坂城で、1626年に徳川幕府によって現在の天守台の位置に築かれました。
しかしこれも1665年の落雷で焼失し手しまいます。



その後、大阪城には天守閣がありませんでしたが、現在のものは史上三代目にあたるもので、1928年に再建が提唱され、市民の寄付により1931年に竣工しました。
当時のお金で150万円(当時)が集まったそうです、わが国の天守閣復興の第1号です。 現在のお金では数百億円ということです。  



建物は、徳川大坂城の天守台石垣に新たに鉄筋鉄骨コンクリートで基礎をし、鉄骨鉄筋コンクリート造にサスペンション工法を用いて建てられました。
高さは54.8m(天守台・鯱を含む)で、天守閣の中は大阪城天守閣という博物館になっています。



外観は、大坂夏の陣図屏風を基に新たに設計されたそうです。
復興天守閣は初層から4層までは徳川時代風の白漆喰壁とし、5層目は豊臣時代風に黒漆に金箔で虎や鶴の絵を描いています。



1995年から1997年にかけて、平成の大改修が行われ、建物全体に改修の手が加えられ、構造は阪神・淡路大震災級の揺れにも耐えられるように補強されたそうです。




豊臣時代・徳川時代の天守がいずれも30数年で焼失してしまったことを考えると。昭和の天守は建設後70年を超え、最も長命の天守になったわけです。



1997年に、国の登録有形文化財に登録されています。



たしか今年は大規模な改修が行われていると聞いています。

続く................................................................。

トッポと横浜ぶらぶら歩き Part13、 その3 『横浜開港149周年』

2008年07月04日 | トッポの世界
みなとみらいでくつろぐ、トッポのアップ写真です。
こうして見ると、トッポも白髪が目立つようになり年輪を感じます。
トッポ、『パパも人のことは言えないと思うけど。』
トポパパ、『



今日は天気がよかったので、ベイブリッジもすっきりと浮かび上がりました。



単焦点のレンズで撮ると、ポートレート用の写真のように撮れるのですが、白髪もはっきり写りすぎて困ります。
トッポ、『そこをうまくボカして撮るのが、腕でしょう



トッポは乗ることができない観覧車ですが、どアップで撮るとこんな感じになります。


トッポ、『今日はアスファルトが暑そうなので、海沿いに歩いていきたい。



海沿いに赤レンガを目指していくと、途中公園のような感じの緑の広場がいくつかあります。



久しぶりに自然の匂いをかいだので、トッポもご機嫌の顔です。



トッポ、『あっちにパパが紹介したいものが見えてきたよ。』



今回のみなとみらい訪問の目的は、次回の写真で紹介いたします。

続く................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その47の1 『大阪城』

2008年07月03日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
今回は大阪城の紹介です。



豊臣秀吉が、柴田勝家を賎ケ岳の合戦で破り、大阪の石山本願寺跡に大阪城を築いたのが大阪城の始まりです。



千貫櫓(せんがんやぐら)を左に見ながら、桜門のほうへ進みます。
千貫櫓は重要文化財に指定されています。



大阪城の隅櫓の一つで、現在のものは1620年に創建されたものです。
1961年の解体修理の際、土台の木材から「元和六年(1620年)九月十三日御柱立つ」の墨書が見つかり、時代考証されました。  



大阪城の非常口とも言うべき青屋門です。
徳川時代の1620年前後の創建され、1945年に大空襲で大破しましたが、1970年に現状のものに復元しました。
青屋門の名称の由来は、周辺が青屋町だったからのようです。  



もともとの大阪城は戦国時代石山本願寺の跡地に豊臣秀吉が天下統一の拠点として1583年から15年かけて建てられました。
難攻不落の城と言われましたが、冬の陣のあと徳川軍の手で外堀が埋められ、1615年の夏の陣で炎上し落城します。



桜門です。
豊臣時代にも本丸の正門は桜門と呼ばれていました。
名前からすると、この付近に桜の並木があったようです。



桜門の中に、天守閣が見えてきました。



天守閣です。
近代の天守閣の様相ですが、ゆっくり拝見してきます。



続く.........................................................。

トッポと横浜ぶらぶら歩き Part13、 その2 『横浜開港149周年』

2008年07月02日 | トッポの世界
開港祭なので、特別なイベントがあちこちで催されています。



午後からメインのイベント会場になるので、すでに多くの人が会場に集まってきているようです。
消防署により地震体験ができる車が展示されていて、たくさんの人が大きな地震の揺れの体験をしています。



トッポ、『あっちにたくさん人がいるよ!』



開港祭はたくさんの神輿もでるようです。
赤レンガからみなとみらいまで移動してきて、ここが最後の会場になります。



たくさんの出店で開港祭のいろいろなサービスがあるようで、どこも子供さん連れの人でいっぱいです。



いつもはガラガラの場所も、ご覧のように座る場所を見つけるのも大変です。



この日の夜から花火も打ち上げられるため、写真でも分かるように場所取りの人も多くきています。



何時見てもここからの景色は飽きません。
ここに来ると、横浜に住んでいるのだと実感します。



インターコンチネンタルホテル沿いの道より、観覧車を臨みます。



いつもは違う方向から赤レンガに向かうのですが、今回はちょっと違う目的もありましたので海沿いに歩いていくことにします。

続く................................................................。