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海外の都市の紹介、 その49の2 『ジャカルタ』

2008年07月11日 | 海外の都市の紹介
大統領が執務を行なう(行った?)、旧オランダ総督公邸で現在は『ムルデカ(独立)宮殿』と呼ばれています。
ジャカルタの前身は1333年建国の西部ジャワのヒンドゥ教国パジャジャラン王国です。
もともとは港町として栄えた場所で、13世紀に入りイスラムの布教が始まります。
パジャジャラン王はイスラム勢力との対抗上、ヨーロッパより最初に訪問してきたポルトガルと1522年に協定を結び、軍事援助の代償に胡椒の提供を約束します。
1527年にパジャジャラン王国を滅ぼしたバンテン王国のイスラム王スーナン・グヌンジャティは、ポルトガルの追放に成功して、この地をバンテン王国の封土とし『ジャヤカルタ(Jayakarta:「偉大なる勝利」の意)』と改名しました。
このポルトガル勢を撃退したとされる6月22日がジャカルタの創立記念日に定められています。
その後、1619年オランダ東インド会社がオランダ支配の要塞の建設を始め、1645年には、オランダ本国の先住民バタウィ(Batavi)にちなんで、ジャヤカルタをバタヴィアと改名します。
現在の『ジャカルタ』という名前に変わったのは、日本軍政期の1942年です。



大カトリック教会です。
イスティクラル大寺院から大教会を臨んだ写真です。
海峡とが主流のインドネシアの寛容さを象徴する大寺院です。
教会に付属する学校が敷地内にあり、お金持ちの子弟が通う名門校として有名です。



イスティクラル大寺院です。
ムルデカ広場近くにある東南アジア最大と言われるイスラム寺院で、17年かけて、1978年に完成しました。



東南アジアで最大のイスラム寺院で、この広大な敷地に12万人が収容できます。



故スカルノ大統領時代に建設され、インドネシア国民の約90%が回教徒(イスラム教徒)なので、こんなに大きいイスラム寺院が必要なのでしょう。



断食明け(ラマダン)の礼拝などのイスラム教の行事の時には、大統領達もここに姿を見せるようです。
一般的にはモスクは回教徒以外入場禁止なのですが、案内してくれた人がどのように説明してくれたのか分かりませんが、運よく内部の撮影をすることが出来ました。、



約1haの広さを持つ礼拝場は1万人以上の信者でいっぱいになるそうです。



大きな太鼓で、牛一頭の川を丸ごと使用して造られた太鼓だと説明されました。



案内の女性と比較すると、大きさがよく分かると思います。



続く..................................................................。