1950年代、小学生ヒゲは、鹿児島方面に向かうことが度々。
国鉄(!)熊本駅から蒸気機関車に乗って、鹿児島の阿久根町に向かうのです。
時刻表のタイミングで、熊本駅で謹製された駅弁を手に入れます。
当時のヒゲには、駅弁は大変なご馳走でした。
そして、飲み物はお茶!
今みたいに、ペットボトルのお茶など無い時代。
売ってあるのは、なんと!立方体の焼き物で、蓋(猪口)も焼き物。
取っ手は針金。
蒲鉾や塩サバの入った幕の内弁当風なものを頂いて、先程のお茶をひと口。
まあ、小学生には贅沢なひとときでした。
( こんなイメージだったかな~? )
そんな焼き物の茶入れも、しばらくして、ビニール製が登場。
変なビニの臭いに閉口したことが思い出されます。
土の焼き物とビニ製では、天地ほど違うのです。
蒸気機関車の枕木の響きが心地良い味わい。
時折の警笛と車輪の軋む音も楽しみ。
やがて、試練の時がやって来ます。
当時は、エアコンなんて無い時代。
車窓の開け閉めで、涼を取るのが一般的。
しかし、緊急(!?)に窓枠を閉める必要な時があります。
汽車がトンネルを通過する時に、大問題が!!??
そう、あの煙突から吐き出される粉塵です。
車内に流れ込むと、石炭の微粉が鼻下周りに黒〜い煤が付いて ・・・(笑)
まぁ、乗客達も心得たもんで、前方の客車から声が届きます。
「 おーい! 来たゾー 」
このシグナルを聴き逃さない事が肝心です。
汽車がトンネルに近づいた合図だから。
すると、窓際に座るヒゲ少年が急いで窓を閉める必要が出てきます!
当時、特に左指が弱いヒゲには、大変な作業。
両手で留め具を緩めようとしますが、指の力がギリギリ。
そこで、先ず右の留め具を緩め、さっと左指に全力を傾けて留め具を緩めて
窓に閉めます。
グズグズして閉めるのが遅れると、其処の一席は黒い粉塵が立ち込める悲劇?笑えない状態に ・・・ 😵 💦💦
さぁ、トンネルを通過しました。
今度は窓開けの作業ですが、軟弱ヒゲには苦行。
指力も握力もないので、重い窓枠を引き上げる腕力が要るのです。
まさに、男の子には試練のひとときで御座いました。(苦笑)
やがて汽車は、鄙びた阿久根駅に到着。
降車したヒゲ達は、急いで駅の水道水で黒い顔を洗ったのでした!(爆笑)
↑ 参加中です。クリックしてもらえたら嬉しいです。
蒸気機関車も数えるほどしか乗ったことがなくて、D51三重連は覚えているのに、窓の開け閉めはどうだったか。同じく非力なのでやったことはないはず😄
真っ黒な機関車で、そう松本清張のドラマに登場するような客席に、
二人のデカが憂うつそうに煙草をふかせて座ってるような!
そんな戦後が似合う?風景でした。