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いつから「日米同盟」という言葉が登場したのか(2)

2007年08月23日 | 国際・政治
昨日に引き続き「日米同盟」について見ていきたいと思います。

では、なぜ現在「日米同盟」が公然と語られているのか。
ブックレットでは「それは『日米同盟』の基礎である『日米安保条約』を拡大・強化し、日本が“海外で戦争することができる”ような『攻守同盟』にしようとしているからである」と結論づけています。
「攻守同盟」とは、文字通り、“守るも攻めるも一緒”という軍事同盟のこと。しかし日米軍事同盟の「攻守同盟化」は、対等な同盟ではなく、米世界戦略の中で自衛隊が米軍の補完部隊として「海外で武力行使できるようにする」ことを意味します。

日本政府は、1950年の朝鮮戦争勃発時に米国の指示のもとに警察予備隊を作り、保安隊を経て1954年に自衛隊を組織していますが、同時に米国との間で、1952年、平和憲法のもとで「日米安全保障条約」を結び、1960年にはこれを改定し現在に至っています。普通、安全保障条約を結ぶとは、戦前の「日独伊軍事同盟」などのような「攻守同盟」を指していると解釈されます。しかし、日本国憲法では自衛隊は「戦力」ではないと解釈・主張するとともに「武力の行使」は認められていませんから、日米安保条約は「日本が他国から侵略を受けた場合のみ、米国が“日本を防衛する”」と取り決められました。憲法上、いわゆる「集団的自衛権の行使」は禁止され、よって日米安保条約は「攻守同盟化」することが出来なかったわけです。

・1975年、海原治防衛庁官房長(当時)は著書の中で「軍事同盟を結ぶということは、万一の場合、“生死を共にすること”を約束することだから、同盟国が攻撃を受けたらこれを助けるのは日本の義務であって、その義務を負うのはいやという軍事同盟条約は成り立たない」と発言。以後、日米両政府は平和憲法のもとで、日米安保条約を「攻守同盟化」するために画策・苦心します。経緯を見てみましょう。
・1978年の「日米防衛協力の指針(ガイドライン)」で日本がまだ実際に侵略を受けていない状態から日米共同軍事作戦が行えると盛り込む。
・1996年の橋本龍太郎・クリントン首脳会談での「日米安全保障共同宣言~21世紀に向けての同盟~」では、安保条約による日米軍事協力は「日本防衛」だけでなく「アジア・太平洋全域」に拡大される。
・1997年の新「日米ガイドライン」では、日本が侵略を受けていなくとも「日本周辺地域における事態で日本の平和と安全に重要な影響を与える場合(周辺事態)」での軍事協力を明記し、「自衛」以外の「周辺事態」でも公然と踏み出すことを取り決める。
・2001年、日本が侵略されていないのに、米国が始めたアフガニスタン報復戦争に自衛隊を海外派兵。「戦闘地域には行かない」「武力行使と一体化しない」といいながら「テロ特措法」で海上自衛隊給油艦を米国艦隊の洋上給油の支援のために派遣し、事実上の“集団自衛権の行使”に踏み出す。
・2003年、米国のイラク開戦に自衛隊を「人道復興支援」などという名目で派兵。

これらは、これから起こる可能性があるかどうかわからない紛争への支援というのではなく、実際行われている戦争、それも米国の“侵略戦争”に自衛隊がはじめて身をもって参戦したことを意味したもので、日本の戦後史を塗り替える出来事だといえます。(つづく)

【参考】『米軍・自衛隊一体化と日本国憲法~市民を監視し海外で戦争へ~』(安保がわかるブックレット② 安保破棄中央実行委員会/編集・発行、頒価400円)


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