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3月10日「東京大空襲」から79年を忘れない、東京各地で集い

2024年03月10日 | 国際・政治
今日3月10日は、第二次世界大戦(太平洋戦争)末期の1945年3月10日に米軍によって行われた東京大空襲から79年を迎えました。


■東京への空襲、1942年から始まり1944年に本格化

米軍による日本本土への空襲は1942年4月18日に初めて行われましたが、それは空母から陸上爆撃機B25によるものだったといいます。東京には13機が来襲し、品川区の工場、荒川区尾久の住宅、牛込区早稲田や葛飾区水元の学校などが爆撃され、東京だけで合わせて41人が亡くなったということです。

その後、東京の区部への空襲は2年半の間はなかったということですが、1944年11月24日からB29爆撃機による東京への本格的な空襲が始まりました。

1945年3月10日の東京大空襲より前の空襲は、軍需工場と産業都市を重点とする戦略爆撃で、高高度から、多くは昼間に爆撃されていました。東京には、航空機工場の中島飛行機武蔵製作所があるため、そこが第一目標なりましたが、何らかの事情でその爆撃ができない場合は、第二目標として東京の市街地が無差別に爆撃されました。

空襲は次第に軍需工場などではなく市街地への夜間の集束油脂焼夷弾を使った空襲がなされるようになり、1944年11月から1945年3月4日までの空襲では、東京区部で2000人以上の一般民間人が亡くなっています。

結局、東京大空襲を含め東京区部が被害を受けた空襲は60回を越え、確認された死者は総計約10万5400人に上ります。負傷者は約15万人で、罹災者は約300万人、罹災住宅戸数は約70万戸、焼失面積は約140㎢で、区部の市街地の約50%、区部面積の約25%に当たると記録されています。区部だけでなく、三多摩や伊豆諸島・小笠原を含む東京都全体では、空襲は100回を越えたといいます。


■油脂焼夷弾を開発し「焼き払い・絨毯(じゅうたん)」の「無差別爆撃」

米軍は、都市の中でも住宅が密集し人口密度が高い市街地を、焼夷地区1号に指定。東京は当時の深川区の北部と本所区・浅草区・日本橋区の大部分などが焼夷地区1号でした。そこをまず焼夷弾で焼き払う絨毯(じゅうたん)爆撃が始まりました。焼夷地区1号の目標地域には、軍施設や軍需工場などの明確な軍事目標はほとんどなく、米軍の目標となった大きな軍需工場は精工舎や大日本機械業平工場のみで、築地、神田、江東などの市場、東京、上野、両国の駅、総武線隅田川鉄橋などが実際の目標でした。住民を殺戮し、それによって戦争継続の意思をそぐことが、主な目的だったのです。

米軍は春一番のような大風の吹く3月に「焼き払い空襲」を開始することを目指して、日本向けの油脂焼夷弾を開発し、B29とともに大量生産をしていきました。

3月10日の下町大空襲では夜間を見計らってB29爆撃機が約300機、低高度から33万発1665トンもの大量のM69焼夷弾を投下しました。目標地域に4カ所の爆撃照準点を設定し、そこにまず大型の50キロ焼夷弾を投下。これにより、大火災を起こし、日本側の消火活動をまひさせ、その後小型の油脂焼夷弾を投下する目印となる照明の役割を果たしました。広島・長崎に対する原爆投下、沖縄戦と並んで、東京の都市部を標的とした「絨毯(じゅうたん)爆撃」と呼ばれる無差別爆撃でした。

●ハーグ陸戦条約及びジュネーブ傷病者条約によって禁じられた無差別爆撃
ハーグ陸戦条約及びジュネーブ傷病者条約において、非戦闘員の殺傷、非軍事目標、無防備都市への攻撃、不必要に残虐な兵器の使用、捕虜の虐待などは禁止されていましたが、東京大空襲も文字通り非戦闘員を標的にした無差別爆撃でした。
 
火災は北風や西風の強風もあって、目標地域をこえて東や南に広がり、本所区、深川区、城東区の全域、浅草区、神田区、日本橋区の大部分、下谷区東部、荒川区南部、向島区南部、江戸川区の荒川放水路より西の部分など、下町の大部分が焼き尽くされました。この3月10日の空襲一晩だけでも死者は9万5000人を超え、罹災家屋は約27万戸、罹災者は約100万人に上りました。


■世界でいまだに戦争――東京大空襲79年を次代に伝えていきたい

79年目を向かえる3月9日、東京都内では各地で追悼行事や体験を語り継ぐ集いが行われました。

東京・上野公園では東京大空襲で家族6人を失い戦災孤児となった海老名香葉子さん(90歳、エッセイスト・作家、初代林家三平夫人)が私財を投じて建てた追悼碑「平和の母子像」(上野・現龍院)の前で「時忘れじの集い」が開かれ、海老名さんは「戦争ほど苦しいものはありません。やっと平和になったと思ったのに、まだ戦争は終わっていない。どうかどうか、世界のみんなで平和をつくるために話し合って」と訴えました。

そして、先の大戦で中国から引き揚げてきた漫画家のちばてつやさん(85歳)は「戦争は本当に残酷。二度と起こらないように(体験を)伝えていきたい」と語りました。

また、東京大空襲・戦災資料センターは、開館22周年を記念し、江東区深川江戸資料館で「東京大空襲を語り継ぐつどい」を開催。来場者200人を前に、林博史関東学院大学教授が「無差別爆撃の出撃基地となった沖縄/日本――沖縄からの本土爆撃と朝鮮戦争――」と題した講演、東京大空襲を体験した竹内静代さん(93歳)が「私の1945年」と題して体験を語りました。

また、集いでは台東区の岩倉高校3年生が平和学習で学んだことを発表。空襲被害を調べた生徒は民間空襲被害者の補償問題に触れ、「いまだに決着していない。歴史を学び、次の世代に伝えなければいけない」と語りました。


【出典参考】2024年3月10日付け「しんぶん赤旗」、東京大空襲・戦災資料センター ホームぺージ  https://tokyo-sensai.net/



※パレスチナに平和を!イスラエルはガザへの軍事攻撃を止めろ! 

(※緊急行動は終わりました。)


※ #ロシアはウクライナ侵略をやめろ!



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