とだ九条の会blog

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「克服されていない戦争観」の克服(4)

2007年05月06日 | ニュース
引き続き『歴史修正主義の克服~ゆがめられた「戦争論」を問う~』(明治大学文学部教授・山田朗著、高文研刊)より「克服されていない戦争観」解明のいくつかをご紹介します。

③「大東亜戦争」は「アジアの独立に役だった」という論

日本の戦争が「アジアの独立に役だった」という議論もよく聞かれます。山田氏は「確かに戦後、アジア諸民族が、欧米の植民地支配から脱して独立を達成したことは確かだ」としつつも、それと日本が戦争を起こしたことと結びつけることに疑問を呈します。
なぜなら「日本政府は戦争に際して『新秩序』の建設や『大東亜の解放』を宣伝したが、それは必ずしもアジア諸国の独立を意図したものではなかったからだ」と言います。
日本が南方に進出したのは、対英米戦争遂行の大前提として、「南方資源地帯の占領と開発、自給自足経済圏の建設」だったと言うことです。
それは「南方占領地行政実施要領」というものを見れば明かだと山田氏は紹介します。これには南方占領地に対する基本方針として①治安の回復(抗日・反日勢力の一掃)、②重要国防資源の「急速獲得」(戦略物資の開発・取得)、③占領軍の自活(食糧の現地調達)が挙げられています。重要国防資源とは石油・ゴム・ボーキサイト・すずなど。この開発と取得、現地軍の自活については占領地の労働力と食糧を獲得することを前提としていたのです。
そして、実際、占領地支配にあたっては、華僑勢力への武力弾圧、独立運動の管理統制・抑圧へとつながっていったことは明らかとしています。
つまり、日本の南方占領の目的は、日本の戦争遂行の円滑化のためであり、アジア諸民族の「解放」やましてや「独立」を目的に戦争を開始したのではなかったのです。
したがって「独立に役だった」というようなことは、植民地や占領地に多大な犠牲を強いた日本側からは決して言えない主張だと言わなければなりません。(つづく)


【出典】歴史修正主義の克服~ゆがめられた〈戦争論〉を問う~」(山田朗著、高文協刊、1800円+税)

【著者プロフィール】
山田朗(やまだ・あきら)1956年大阪府生まれ。明治大学文学部教授。専攻は日本近現代軍事史。主な著書に『大元帥・昭和天皇』(新日本出版社)、『軍備拡張の近代史』(吉川弘文館)、『キーワード日本の戦争犯罪』(雄山閣、共著)など多数。


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