tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

2018春闘集中回答を見て

2018年03月14日 21時38分39秒 | 労働
2018春闘集中回答を見て
 昨日は2018春闘の集中回答日でした。集中回答日というのは連合の指導の下、自動車、電機、基幹労連などの主要な産業の中核企業の労組が一斉に回答を引き出すことによって、今年の春闘の相場作りに貢献しようというような意図で、3月中旬の日程を定め、出来るだけ多くの企業が、年度内決着を目指すことも含めて春闘の大勢を決しようという取り組みという所でしょうか。

 企業にしても、こうした日程があれば、それに応えて、春闘の大筋を決めるめどがつき、合理的だと考え、主要産業のリーダー企業の労使が、共に集中回答日決着を目指すという、日本的な合理性(仲間は皆一緒)を持つ春闘のしきたりと理解しています。

 というわけで、昨日から今日のニュースでは、自動車、電機、鉄鋼などなどの主要企業のベースアップの額、年間ボーナスの月数などの報道が相次ぎました。
 具体的な個別の金額や、月数は、ここでは触れませんが、満額回答も含め(特にボーナスなど)、概して昨年を上回り、組合としても、それなりの評価が可能のような状況のようです。

 安倍さんが3%出せば法人税を負けるといった結果だ、などとは、労使ともに言われたくないでしょうし、現実に、これは連合の姿勢、景気の状況や雇用情勢、企業の支払能力を考えれば、結果は合理的な水準を目指す労使の交渉の結果という所でしょう。

 これから中小企業を含めて最終結果が出るのには6月までかかるかと思いますが、連合の思いからすれば、如何に中小の「賃上げ率」を大企業に追いつけ追い越せの結果に繋げることが悲願でしょう。

 いずれにしても、2018春闘が昨年を上回る結果になりそうというのは、日本経済の現状の反映ですし、日本経済の構造問題の改善のためにも良いことでしょうし、沈滞した日本経済の雰囲気を変えるためにも望ましいことだと思います。

 ただ、混乱した政治の現状を見れば、労使がいかに付加価値の分配(春闘の基本的な役割)の面で合理的な行動をとっても、それだけではどうにもならない深刻な問題(経済上の重要問題の軒並み先送りなど)があるわけで、政治の貧困と経済の底力のギャップの大きさが目立つばかりです。 (トランプさんの評価でドルは売られますが、安倍さんが何をしても、円は何かあると常に買われるのが現状です。)

 集中回答日の状況から推測される今年の賃金決定を見ても、それで消費が伸び、景気が改善すると楽観することはできそうもありませんし、第一、マスコミの一部も指摘していますように、法人税を負けるという 「3%賃上げ」をどう定義する かでも、多分まともな結論は出ないでしょう。

 それでも民間産業労使は、「堅実過ぎる」とも言われますが、日本経済が誤りない道を進むようにきちんと対応しているという評価は十分可能と思います。
 政府の出鱈目さと民間の堅実さを対比して、これからも、日本経済の活性化策について、政府取り組みの遅れなどを、折に触れて取り上げていきたいと思います。

権力集中の行方は多様

2018年03月14日 09時49分45秒 | 政治
権力集中の行方は多様
 安倍政権は権力の集中に熱心でしたが、その咎めが出たようです。一方、中国では今回の全人代で、中国は習近平国家主席の任期を撤廃する憲法改正を圧倒的多数で可決しました。
 報道によれば、建国の父である毛沢東主席が晩年「文化大革命」で、中国の発展を大幅に遅れされるといった誤りを犯したことへの反省から任期5年、2期まで(最長10年)という制限を設けていたとのことです。

 勿論この憲法改正は習主席の意向であり、それを是とする(あるいは忖度する)人民代表が多かったということでしょう(反対2、棄権3)。
 習主席は、かつては中国で一般的と言われた汚職の摘発を徹底しているようです。13億の人口を有する巨大な国を徹底してクリーンな国にしようというのでしょう。容易なことではありませんが、これは国づくりの基礎でもあります。

 こうした新しい中国を作るという意思は、かつて中国経済の「 新常体(ニュー・ノーマル)」という概念を打ちだした時から、何となく感じられたように思います。
 おそらく、これを徹底するには、「愚公山を移す」ではありませんが、気の遠くなるような長い時間がかかるでしょう。習主席は、それを含め、中国を本当の意味で一流国にしたいと考えて、そのための時間を計算したのでしょうか(そう思いたいですね)。

 世界は広いですが、同じ漢族のリーダーを戴くシンガポールは、人口560万ほどの小さな国ですが、リクァンユー首相の長期政権のもとで、マレーシアに見限られた状態から、今は、1人当たりGDPで日本を大きく超える先進国です。

 かつて清朝末期に、中国では「開明専制(君主)論」が論じられたことがあるようですが、シンガポールのリクァンユー首相については、まさにこれが当嵌まる稀有の人物という見方もあるようで、出来得ればこれが最も先進国への近道という意見もあります。

 習主席が、その心の中で何を考えているのか知る由もありませんが、もしそうした考えを持っていれば、いつかは結果が出ると期待したいと思います。

 昨年の文化の日、 「争いの文化」と「競いの文化」 を書きました。「争いの文化」は相手を滅ぼして自らが天下を握り、「競いの文化」は相手と共存しつつ切磋琢磨する文化です。 
 戦争は「争いの文化」で、 オリンピックは「競いの文化」 でしょう、競う相手がいなくなった時、人間の成長は止まり、腐敗や堕落が始まるのはよくあることです。

 今回の中国の憲法改正をどう受け取るかについては、それは習主席の「心」次第という事になるのでしょう。習主席の心中は、本人にしかわかりませんが、毛沢東の例にも見られますように、将来の習主席の「心の中」は、若しかしたら、今の習主席にも解らないのかもしれません。

 絶対権力の行方は、権力者本人次第であり、本人の心自体が「うつろう」ものであるとすれば、行方は誰にもわからないものという事なのかもしれません。