微笑みを生きる

ナラティブセラピストとして、日々の心の気づきを書いています。また、ケアマネージャーの視点から介護についても記述します

老いの現場から

2009-01-07 02:13:02 | 生きる
朝と夕方に目立つのがデイサービスやデイケアの送迎車

デイサービスやデイケアの施設が増えていますよね

これに特養やグループホームを入れるとそこここに
見ることができます

求人をみても福祉の求人はいっぱいです

特養の現場で働いていた方から話を聞いたことがありますが
おむつ交換と入浴と食事これを分刻みでこなしていく
ひどく言えば入所者の方の人権やプライバシーは無きに等しいとか

自宅で畳の上で死を迎えることは、今はまれでそしてとても幸せなことかもしれません。

自宅からデイケアやデイサービスに通われている方も
ご家族があっても、ご家族の介護の負担を軽減するために
通わされていたり

老いの現場にいると、老いるということを考えさせられます

数人の職員で十数名から約30名の高齢者の方を日中午前10時から午後4時まで見ていきます

リハビリ、入浴、食事、そしてリクレーション、ここでは個の意思よりも施設の都合がまず先にきます、そこにはさまざまの老いの姿があるからです

決められたスケジュールの中で、利用者の個を尊重されながらも集団生活を強いられます
自宅に居るように自由気ままにというわけにはいかないでしょう

介護疲れと言う言葉があります
認知症、身体的衰え、これを支えるのは心身ともに大変なことなのでしょう

高齢者の意思と家族の意思が隔たっていることもよく見受けられます

遠くにいるご家族の意思、そばについているご家族の意思、そしてご本人の意思が違っていることもままあります

そこに通う方の心にはどこかであきらめとひらきなおりまたいつかそれがあたりまえとなったり、そこが唯一の発散の場になったりとさまざまな心をみることができます

ひとつ言えることは人によっては一生懸命苦労して建てた家からいつか老いを迎えることでそこで暮らすことができなくなるということです

そして手をかけて育てた子に、こんどは自分が手をかけられるようになっていくということ。

生きるということ、老いの現実、家族とは、家とはいろいろ考えさせられます

これからますます高齢化社会となっていくなかで介護と言う言葉の理想と現実をみながらも、老いるということももっとみつめていきたいものです

今日一日をともに
愛をこめて

りとりーと

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