三木鉄道から比較的近い、北条鉄道まで足を伸ばしてきました。
北条鉄道には、日本ではもうここと紀州鉄道の2箇所でしか走ってないと
される、二軸単車式のレールバスが走っています。「二軸式」って何?と
いうことを説明するのに、かつては「貨車のような」という表現ができました
が、今や貨車でさえ二軸のものは少なくなりました。
さて車内の様子。
一見、ふつうの列車の車内のようにも見えますが、大きさが幅・高さともに
バス並みであることと、扉、窓、空調などバスの部品が多用されています。
運転台。
大昔のレールバスは、車のようにシフトレバーが床から出ていて、クラッチ
ペダルもあったそうですが、こちらは普通の気動車と変わりません。
(当時の)バスと同じように、外板はリベットで接合されています。
このレールバス、当時、鉄道車両もバス車体もどちらも作っていたメーカー
だからこそできたワザともいえます。現在では、富士重工はそのいずれから
も撤退しています。
それにしても左側の銘板、変わった形式名です。
もともとバス程度(10年ぐらい)の寿命しか想定されておらず、20年以上に
も渡って未だに生き永らえているのは、仮にバスだとしても驚異的です。
ところで、このレールバスの乗り心地といえば…
かなり柔らかめのセッティングでしたが、二軸車ということで概ね想像通り
でした。例えるなら、阪堺電車が大和川を渡るのに高速走行しているよう
なカンジ、といえばお分かりでしょうか?(笑)
北条鉄道には、日本ではもうここと紀州鉄道の2箇所でしか走ってないと
される、二軸単車式のレールバスが走っています。「二軸式」って何?と
いうことを説明するのに、かつては「貨車のような」という表現ができました
が、今や貨車でさえ二軸のものは少なくなりました。
さて車内の様子。
一見、ふつうの列車の車内のようにも見えますが、大きさが幅・高さともに
バス並みであることと、扉、窓、空調などバスの部品が多用されています。
運転台。
大昔のレールバスは、車のようにシフトレバーが床から出ていて、クラッチ
ペダルもあったそうですが、こちらは普通の気動車と変わりません。
(当時の)バスと同じように、外板はリベットで接合されています。
このレールバス、当時、鉄道車両もバス車体もどちらも作っていたメーカー
だからこそできたワザともいえます。現在では、富士重工はそのいずれから
も撤退しています。
それにしても左側の銘板、変わった形式名です。
もともとバス程度(10年ぐらい)の寿命しか想定されておらず、20年以上に
も渡って未だに生き永らえているのは、仮にバスだとしても驚異的です。
ところで、このレールバスの乗り心地といえば…
かなり柔らかめのセッティングでしたが、二軸車ということで概ね想像通り
でした。例えるなら、阪堺電車が大和川を渡るのに高速走行しているよう
なカンジ、といえばお分かりでしょうか?(笑)
レールの切れ目を跨ぐとき
「カタンカタン」って軽やかだった記憶があります。
特にこのようなローカル線の線路で、ふつうより長さが短い箇所があって、
「タン、タン、タン」と常に一定のリズムを刻むことがありますね。
撮影しているところは
粟生駅ですね。
粟生も難読地名ですね。