昨日、劇団東演の準劇団員の試験と、
弊団の養成機関「俳優工房」の面接が行われました。
(前者は今月30日にも行い、後者は30日と定員に満たない場合は4月6,13日にも)





思えば僕も、面接を受けたのだった…。
昨日も、東演の試験や面接が3階で行われているのと並行して、外部団体がパラータを使って公演を打っていたのだけれど。。。11年前の3月24日(月)~30日(日)には「クレイジーJAP/月下美人」というユニットが東演パラータにて公演を行っていて、そこに僕は制作として参加していた。
で、バラして打ち上げして、当然朝まで呑んだその足で、東演からほど近い環八沿いのファミレスに向かい、当時の劇団代表と面接し、さらに劇団の幹部達との面通しが劇団稽古場であって。。。
1997年・・・嗚呼、あの頃は若かったのダナ
さて。では、めでたく4月から東演にお世話になったかといえば、当時僕は「THEATRE-THEATER」という屋号を持って、フリーの制作として活動しており、次の仕事が4月末まで決まっていた。だから1ヶ月はそちらの制作優先で、空いた時間にアルバイトとして東演に通い、電話番などしつつ、劇団の歴史や役者さんの顔と名前など覚えたりして過ごしたのだった。。。





そんな流れだったから、同年4月29日に幕を開けた紀伊國屋サザンシアターでの『月光の夏-挽歌』のロビーに僕の姿はなく、中央線下り快速で一駅目にある「中野あくとれ」という小劇場で公演していた「ぬ企画」の千秋楽をさばいていた。
まるで再放送のようでお恥ずかしいが、やっぱり朝まで呑んで、翌日のソワレから本番に加わったのだった。
こうして書き出したら思い出したが

いやはや懐かしいおハナシでごじゃる。
そんな僕は、昨日、受験者の案内役として試験会場と控え室を行ったり来たりしていたが、明日を夢見る彼ら彼女らを厳しい表情で迎える試験官席の、劇団代表・山田珠真子以下、ベテランから中堅までの役者たちにだって、言うまでもなく、カチコチになって審査された日はあったのダ。
そんな狭き門をくぐり抜け、東演俳優工房で頑張って来た07年度の面々の、修了公演はいよいよ3/21(金)からだ!
詳しくは明日書くけれど、今日からその準備が始まった
弊団の養成機関「俳優工房」の面接が行われました。
(前者は今月30日にも行い、後者は30日と定員に満たない場合は4月6,13日にも)





思えば僕も、面接を受けたのだった…。
昨日も、東演の試験や面接が3階で行われているのと並行して、外部団体がパラータを使って公演を打っていたのだけれど。。。11年前の3月24日(月)~30日(日)には「クレイジーJAP/月下美人」というユニットが東演パラータにて公演を行っていて、そこに僕は制作として参加していた。
で、バラして打ち上げして、当然朝まで呑んだその足で、東演からほど近い環八沿いのファミレスに向かい、当時の劇団代表と面接し、さらに劇団の幹部達との面通しが劇団稽古場であって。。。
1997年・・・嗚呼、あの頃は若かったのダナ

さて。では、めでたく4月から東演にお世話になったかといえば、当時僕は「THEATRE-THEATER」という屋号を持って、フリーの制作として活動しており、次の仕事が4月末まで決まっていた。だから1ヶ月はそちらの制作優先で、空いた時間にアルバイトとして東演に通い、電話番などしつつ、劇団の歴史や役者さんの顔と名前など覚えたりして過ごしたのだった。。。





そんな流れだったから、同年4月29日に幕を開けた紀伊國屋サザンシアターでの『月光の夏-挽歌』のロビーに僕の姿はなく、中央線下り快速で一駅目にある「中野あくとれ」という小劇場で公演していた「ぬ企画」の千秋楽をさばいていた。
まるで再放送のようでお恥ずかしいが、やっぱり朝まで呑んで、翌日のソワレから本番に加わったのだった。
こうして書き出したら思い出したが



そんな僕は、昨日、受験者の案内役として試験会場と控え室を行ったり来たりしていたが、明日を夢見る彼ら彼女らを厳しい表情で迎える試験官席の、劇団代表・山田珠真子以下、ベテランから中堅までの役者たちにだって、言うまでもなく、カチコチになって審査された日はあったのダ。

詳しくは明日書くけれど、今日からその準備が始まった
