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読書日記

いろいろな本のレビュー

中国共産党、その百年 石川禎浩 筑摩選書

2022-04-12 09:43:06 | Weblog
 本書は結党百年を迎えた中国共産党の歴史を描いたのもので、大変面白く読めた。結党時指導を受けたスターリンのソ連共産党(コミンテルン)はすでになく、その後継のプーチン率いるロシアは、ウクライナに侵攻して理不尽な戦争を仕掛けている。共産党国家のなれの果てが、さらなる帝国主義的侵略を企図して西側諸国の反発を招いており、世界は今空前の危機にある。対して親ソの中国はいまのところだんまりを決めて煮え切らない。まあ中国にしてみれば、反西欧の全体主義国家としてそのアイデンティティーを維持するためにはそうたやすくロシアを見捨てることはできないだろう。台湾併合を掲げている手前、今必死に行方を眺めているのだろう。もしプーチンが倒れたら、その衝撃は大きい。習近平は心配で寝付かれないのではないか。

 中国共産党の立役者と言えば毛沢東で、彼の事跡を中心にが書かれているので、わかりやすい。創設当時組織が弱体であったために国民党に付属しながら勢力を伸ばしていったこと。二度目の国共合作で、蒋介石を軟禁した軍閥の首領張学良が敵方の共産党に入党を希望していたこと。これは思想的に共産主義に染まっていたというよりも、共産党員になることで、ソ連からの軍事・経済援助を受けたいという実利目的があったのだが、結局ソ連の反対で実現しなかった。また拘束した蒋介石の命を保証すべしという指令がソ連から張学良に出ていたこと。また孫文夫人の宋慶齢が共産党の秘密党員で、共産党活動の庇護者だったこと。作家の魯迅は共産党員ではなかったが、党との関係は悪くなかった等々、教科書ではわからないことがたくさんあった。

 毛沢東の政治手法は路線闘争というべきもので、これによって反革命を暴き出して打倒していくという手法である。このために会議を頻繁に招集して、記録をきちんと取りこれを毛沢東がチェックするということが行われた。彼は農民の出だが、比較的豊かな家に育ったので、読書するという習慣があり古典にも通じていた。それで、文章を書ける部下を重宝したという。1970年に日中国交回復の調印に時の田中角栄首相が北京に行ったとき、毛沢東は田中首相に『楚辞集註』をプレゼントしたのは有名である。なぜ『楚辞集註』なのか、いまだに謎である。(閑話休題)作者によると「路線」で歴史を語るという毛沢東の思考法は日中戦争の歴史認識にも影響しているという。すなわち、毛沢東の時代には、日本の戦争や侵略の責任が取り立てて強調されなかったが、それは敵方(日本)に対する敵意・憎悪よりも、中国の側が戦争をどう闘ったかの「路線」の方が大きく強調されたせいだということである。実際、毛沢東は日本が戦争を仕掛けてくれたおかげで、共産党は国民党に勝利して権力を握ることができたと言っている。冷厳なリアリストである。

 その「路線」闘争の最悪の結果が「文化大革命」である。すべての旧弊を壊して新しいものを生み出す。「造反有理」の名のもと、紅衛兵が跋扈して大きな悲劇が生まれた。「路線」を強調するあまり、個人の人命が軽視される。これは中国共産党の悪しきDNAである。無謬の共産党が人民を指導する。党に反抗することはご法度。この上意下達の構図が共産党の歴史になっている。ところが昨今のコロナ禍で、地方政府が中央を忖度して実施する都市閉鎖が大きな問題になっている。今、上海は都市封鎖されて人々の生活は脅かされているが、これが失敗すると党の権威は瓦解する。共産党は無敵だがウイルスには負けたということでは洒落にもならない。習近平の喫緊の課題はコロナ対策とウクライナ問題である。それをどう乗り越えるか。目が離せない。自身を毛沢東に擬して終身主席を企んでいるのだから、ここで失敗は許されない。



ミシンと金魚 永井みみ 集英社

2022-03-30 10:00:25 | Weblog
 本作は昨年文芸誌『すばる』11月号に掲載され、「すばる文学賞」を受賞した。一読して、最近の若い人の小説にはない古風な感じのテイストで、大いに感銘を受けた。主人公の安田カケイは80~90歳と思われる老婆だが、現在介護施設「あすなろ」でデイサービスを受けている。彼女が自分の人生を語るという内容で、昭和・平成・令和を社会の底辺で生き抜いてきた女性の姿が描かれている。冒頭、「あの女医は、外国で泣いたおんなだ。とおしえてやる」という主人公の言葉が出てくる。同じ女性であるがこちらは無学な苦労人、女医はエリートという対比が鮮明にされる。そして施設で女医の診断を受ける中でのやり取りで、「女医のもの言いは、なんだか恩着せがましいうえに、紋切り型で、じいさんみたくえらそうだ」と不満をぶちまける。そして介護士のみっちゃんが女医に「先生は、外国にいたことがおありですか。それで、泣いたことが」と主人公の言葉を受けて言い放つところが面白い。みっちゃんも苦労人で現在離婚調停中。廃品回収業の夫がケチでお金を家に入れないので、こうして介護士として生活費を稼いでいるのだ。

 みっちゃんも日ごろからこの女医をこころよく思っていないことがわかる。彼女も主人公の側の人間なのだ。みっちゃん曰く「ケチな人間のほとんどは結婚に向いていないと思います。でも、ケチな人間にもそれなりに世間体があるのと、タダでセックスしたいのと、そんな理由で結婚してしまうのです。当然、避妊もケチるので子どもができ、堕胎費用もケチるので息子と娘が生まれました。子どもたちにはかわいそうなことをしました。ろくなおもちゃも買ってやれず、家族旅行など一度も行ったことがありません。云々」と。まさにインテリ女医の生活環境とは、天と地の差がある。世間を這いずり回って生きている人間の原質が吐露される。よって冒頭の「あの女医は、外国で泣いたおんなだ」という主人公の言葉は、階層格差を呪うものであろう。さらに見世物小屋で働く「キンタマ娘」のエピソードも底辺で生きる女性のアナロジーであろう。そして語られる主人公の人生は「みっちゃん」や「キンタマ娘」よりも過酷である。

 主人公の父は箱職人で母は彼女を生んですぐ死んで、継母が来たが、継母はもと女郎で、兄と主人公を薪で叩いて折檻することが常であった。食べ物も満足に与えられず、彼女は犬の「だいちゃん」に乳をもらって育てられる。長じて兄貴はヤクザ崩れでパチンコ屋を経営して地元では知られたワルである。そのパチンコ屋に出入りして大負けして負債を抱えていたのが主人公の夫である。彼は公務員で借金のカタに妹である主人公を妻として押し付けられたのだ。「夫はもともと無口で、大人しかった。兄貴が来て、『ちゃんと可愛がってやれ』と言いつけて帰ると、そのあと律儀に、言われたとおり、兄貴の指図に従った。まぐわいは、亭主の肩越しに柱時計を見てっと、だいたい五分で、ぜんぶ終わった。けど。たった五分のまぐわいでも、子どもはできる。そんで。健一郎が生まれた。それから。健一郎がうまれてすぐ、亭主はふらりと出て行った。それっきり。二度と帰って来なかった」昭和の臭いがプンプンする見事な表現である。これから主人公の苦難が始まるのだが、それは読んでのお楽しみ。路地のような隘路でうごめき、そこから抜け出る手段を持たない人間たち。複雑な人間関係を確認するだけでも一苦労だが、娘の道子を巡る話題は本当に悲しい。ここでタイトルの「ミシンと金魚」の意味が分かる仕掛けになっている。作者の永井みみ氏は1965年生まれで、ケアマネージャーとしての体験を小説化したとのこと。久しぶりに大人の小説を読んだという感じだ。個人的に女流小説家第一位と思う村田喜代子の味わいがある。

 

小説 私の東京教育大学 真木和泉 本の泉社

2022-03-20 15:49:20 | Weblog
 昨年8月,私の大学時代からの50年来の親友であるH君が亡くなった。奥様の話によれば、家族との食事の最中の突然のことであったらしい。最初は心筋梗塞かと思われたが、ある人からは大動脈解離の可能性も否定できないということであった。彼は東京の某私立大学の教授を定年退職して、これから好きなことをしてお互い楽しもうと話し合っていた矢先のことだった。突然のことで最初は信じられなかったが、コロナ禍の最中のことでもあり、家族葬ということで、関西在住の私は東京へ弔問にうかがうことはできず、この状態が今も続いている。

 その一月後に出たのがこの本である。書店でこれを見つけたとき、懐かしさで胸がいっぱいになった。この東京教育大学は私とH君が青春時代を過ごした大学で、私たちの母校である。惜しくも廃学になったが、筑波大学の母体になって、茗渓会という同窓会は引き継がれている。でも筑波大は紛争が起きないような管理体制を最初から敷いていたので、教育大とは全く別物というのが私の見解である。この本は教育大が筑波移転を巡って反対運動が激化した頃の学園生活を描いた三篇の作品からなっている。著者の真木氏は本名・巻和泉と言い、私より5歳上の75歳で、団塊の世代である。しかも文学部漢文学科の先輩で、実際お目にかかったこともある。さらに解説を書いておられる安藤信廣氏は真木氏の同級生で、私が付属高校での教育実習でお世話になった先輩である。中国六朝文学の専門家で最近まで東京女子大の教授をされていた。

 H君の死と本書の刊行、なんとなく不思議な縁とタイミングを感じる。収められている三篇はいずれも著者が宮崎県から上京して入学してからの生活を時系列で書いたもので、人物の固有名詞をそのまま書いているので、ノンフイクションの要素も大きい。大学の寮に入って学生生活を始めた著者は否応なく政治セクトの洗礼を受ける。この寮は桐花寮と言い、当時格安の値段(月200円)で入ることができた。当時は民生の活動家の拠点で、真木氏もその影響を受けて活動家になってゆく。その政治的活動の一端をうかがい知ることができる。現在、共産党の衆議院議員の赤嶺政賢も実名で登場する。彼は沖縄返還前に入学したので、沖縄からの留学生と書かれているのが面白い。因みに大阪で活動している漫才コンビの酒井くにお・とおるのとおる(兄)は岩手県水沢高校から東京教育大学理学部に入学して学生運動に加わって日々機動隊と戦っていたが、フラッと立ち寄った浅草松竹演芸場で見た社会派コントに魅せられ、リーダーのみなみ良雄に弟子入りして退学、後に弟のくにおとコンビを組んで、大阪に移り人気を博している。酒井とおるも桐花寮にいた可能性がある。先生方も共産党のシンパの人が多かったと思う。でも文学部の先生方は業績のある素晴らしい方々だった。

 当時の学生は自治と自由と民主の実現を目指して戦っていた。私が入学した1972年は学生運動の波がおさまってしまった感があったが、それでも大学の反権力の気風は随所で感得できた。時代は変わり、大学は就職するための場であり、娯楽の場という意識が支配的だ。クイズ番組に出て、騒いでいるのを見ると覚醒の感を強くする。でもあの時代権力に必死に抗って戦った人間が多くいたことを本書で確認するのもあながち無意味なことでもない。まして私とH君が過ごした大学であれば猶更だ。

あちらにいる鬼 井上荒野 朝日新聞出版

2022-03-07 11:24:59 | Weblog
 この小説は、作家の井上光晴と瀬戸内寂聴(晴美)の不倫を、井上の娘の荒野が描いたもの。瀬戸内と荒野は父親の不倫後も交流があったらしく、この小説を書くことを瀬戸内に相談したところ、ぜひにと賛成されたのみならず知っていることは話すからということであったらしい。なんともあっけらかんとした感じだ。この作品は、作家・白木篤郎の妻笙子と篤郎と恋仲になる作家の長内みはるという二人の女性の視点で交互に語られていく。

 中身はごく平凡で、この三人の日々の愛欲生活ぶりと家庭生活ぶりが描かれる。読者はこういうゴシップネタが好きなようで、2019年2月の発刊だが、図書館では予約が殺到してなかなか読めないという事態になった。最近文庫化されたが、これも予約でいっぱいだ。これは人気の瀬戸内ならばこその現象だと言える。最近彼女は99歳で他界したが、51歳で出家してから48年、仏門に入ってからの方が脚光を浴びて、小説家としては成功したのではないか。この出家は井上光晴との関係を断つためのもので、この時井上は自宅を新築していた。瀬戸内にすれば井上が家庭を取る意思表示と考えたのであろう。

 この出家事件(1972年)はマスコミで大きく取り上げられたので覚えている。今春聴(東光)大僧正を師僧として中尊寺において天台宗で得度し法名を寂聴としたのだ。私はテレビでその様子を見たが、なぜ今東光が大僧正なのかよくわからなかった。八尾市の天台宗の寺院の住職をしながら「河内物」と呼ばれる作品を発表していた生臭坊主がいつの間に中尊寺の大僧正なんだという疑念が二十歳の自分には晴れなかったのだ。例えば、『こつまなんきん』という小説なんか読んだら実感できると思う。色と欲の河内の人間を描いたもので、後に映画にもなって主演は嵯峨みちこだった。要するに聖と俗は紙一重ということか。瀬戸内は1948年、26歳で夫と娘を棄て出奔した。その後男遍歴を重ねて、作家として独り立ちし、1966年井上と高松へ講演旅行して、恋愛関係になる。この時井上40歳、瀬戸内44歳。ともに成熟した年齢だ。

 小説はこの講演旅行の描写から始まる。初対面からお互いビビッツとくるものがあったのだろう。荒野もその辺を巧みに描いている。どちらも身近な人間だったからかもしれない。井上光晴は貧窮の中で育ち、作品も社会の底辺にある差別と矛盾を被差別者への共感とともに描いている。その井上は艶福家で、いいなと思う女性がいると、全身全霊でサービスするらしい。荒野は言う、「父も根源的な孤独を抱えていました。それを女の人で埋めていたことがあった」と。因みに井上と瀬戸内の不倫が始まった時、荒野は5歳だった。(現在61歳)

 妻の笙子はこの浮気ばかりする夫に愛想をつかして離婚することはせず、最期まで添い遂げている。夫の短編小説を代作するほどの腕前で、娘の荒野は両親の血を受け継いでいるのだろう。結局瀬戸内があきらめて出家しようとしたのも井上を妻から奪うことは困難と判断したからだろう。強い妻である。しかもしなやかである。荒野は母のことを淡々としかも愛情をこめて書いている。この作品の成功の理由もこの母子愛のゆえであろう。

 全体として、不倫という言葉の属性として露わになる、嫉妬・憎しみ・悲しみ等々が前面に出て来ず、それぞれの登場人物をさわやかな感じで描いていることは、すでに故人となった三人のレクイエムとして読めた。

九十歳のラブレター 加藤英俊 新潮社

2022-02-25 15:21:17 | Weblog
 金持ちも貧乏人も権力者も市井の個人もその差を無化するものがある。それは死である。これこそは誰彼無しに訪れて、避けることはできない。死を前にして歩んできた人生を肯定するか否定するか、それは人間の数だけあるであろう。本書の著者の加藤氏は現在90歳。彼が送るラブレターは最近90歳で他界した妻に宛てたものだ。二人は小学校の同級で、25歳で結婚して以後65年間連れ添ったが、その最愛の妻に捧げたのが本書というわけだ。

 二人は東京の山の手育ちで、加藤氏は一橋大学卒の社会学者、夫人は青山学院卒のもと中学校の英語教師。いわばプチ・セレブのカップルと言える。私は加藤氏より20歳下の現在70歳だが、学生時代に氏の本を読んだ覚えがある。京大で中国文学の高橋和巳と同僚で、同い年だったと書かれていたが、懐かしい名前である。彼は吉川幸次郎の弟子で、将来を嘱望されていたが、残念ながら39歳の若さで亡くなった。ガンであった。そのころ高橋は全共闘のシンパで、圧倒的な人気があった。私も彼の全集を買って読んでいた。小説は難解な語句を駆使する観念性の強い文章であった。彼の六朝文学に関する論文も同様であったが、学界からの評価は悪くなかった。

 さて加藤氏だが、結婚してハーバード大学に留学、婦人同伴でのアメリカ生活と普通なら自慢話になるようなことも、嫌みがないのはそのお人柄かと拝察した。ラブレターとあるが氏の自分史でもあるようだ。とにかく偕老同穴の夫婦だが、夫人が先に逝ってしまった。残された夫は90歳であるから、普通なら夫もその寂しさから体調不良を起こし妻の後を追うという展開になるのだが、加藤氏はどうであろう。でもこのような形で夫婦がこの世で生きた証を文章にして残せたことは折る意味幸せなことだと言える。世の有象無象はこうはいかないのだから。

 氏は90歳で交通事故を起こしたことで、免許の返納を決意したのだが、その時の文章が印象に残った。曰く、「あなたがいなくなってしまったいま、もはや、クルマを持ち、運転する理由は皆無である。クルマはあっさりと売却した。あの事故のおかげで半世紀以上、燦然と輝いていたゴールド免許も失った。動かすことのなくなったクルマの運転席にすわって、ただバッテリーに充電するだけのカラふかしをしながら、運転席に目をやると、ついこのあいだまでそこに座っていたひとのことを思い出して、やたら悲しくなった。そんな近距離送迎専用のクルマだったから走行距離は四年間で三千五百キロ。ほとんど新品ですね、馴らし運転もすんでいない、とディーラーは呆れたような顔をした。ニンチをあるがままに受け入れながらおたがい笑ってすごすニンチ仲間はいなくなってしまったのである」と。妻に対する愛情があふれる文章である。65年という時間は加藤夫妻にも否応なく流れて、間もなく加藤氏にもこの世との決別の時が来る。ああ無常。

父のビスコ 平松洋子 小学館

2022-02-08 09:30:41 | Weblog
 書店でこの本を見たとき、題名と表紙の装丁がいいなぁと思って買った。あとがきによると表紙の少女の肖像画は堀江栞氏の「輪郭#17」からで、陰鬱な視線が独特の雰囲気を醸し出している。腰巻には「三世代の記憶を紡ぐ初めての自伝的エッセイ集」「三世代による食と風土の記憶」とある。著者は1958年倉敷市生まれで63歳。夙に随筆家として有名だそうだが、今まで読んだことがなかった。一読して家族と故郷に対する愛情が感じられる好著である。因みに第73回読売文学賞を受賞した。

 本書は「亡き父に捧げる」とあり、「父のビスコ」という題はその関係でつけられた。この一篇は、養護施設に入っていた父が最後に「ビスコ」を食べたいと言って、著者はそれを買いに行く。その時の描写、「私はあの赤い箱を買いに走った。お父さんはビスコが食べたい。病院から帰りたい、食べて生きたい。その数日後から病状は日ごとに坂を下り、点滴になった。最期に父が自分の意志で食べたのは、だからビスコなのだ。立て続けに三個、皺の目立つ指でわしづかみにしてぼりぼり齧る高らかな音が、父の歯のあいだで元気よく鳴っていた」。臨終間際の父が懐かしい「ビスコ」を元気よく齧る姿は、人間の根源的な欲望である「食欲」を具現化したもので、素晴らしい表現だ。また父に対する愛情もあふれており、そこに郷愁も込められている。かつて子供時代の著者に買い与えたビスコ、それを最後に所望したのはビスコを巡る様々の思い出が巡ったからであろう。

 しかし父との関係は著者の学生時代から「お互いに一定の距離を保ちながら当たり障りのない関係を保ってきた。だから、父の胸中にあるはずの感情のざらつきに触れることもなかったし、父の屈託を知ろうとはしてこなかった」が、「お互いに縮めてこなかった隔たりをいやおうなしに取り崩したのが、晩年の介護施設での生活だった」ことで、あの「ビスコ」の場面に繋がっていくのである。和解の象徴である「ビスコ」は1950年代に生まれた人間ならば誰でもしっているがゆえにその郷愁は一般性を帯びる。あの貧しかった時代に少しの贅沢の象徴としての「ビスコ」はそれぞれの家庭のありようを思い出させてくれる。

 本書は24篇のエッセイで構成されているが、最も印象的なものは「ミノムシ 蓑虫」だ。子供の頃、蓑虫が好きでよく観察していたが、二十代になって、清少納言『枕草子』を読んで、「ミノムシの子は蓑を着せられたまま、ひたすら親を待ち続ける。風の音が聞こえてくると、ミノムシは、父よ、父よと盛んに鳴きながら父を慕う」とあるのに著者は感動した。そのあとに小学生4年生時代にF君という同級生が、給食費を払えなくて昼食時になるとどこかへ行ってしまう。私は学校を休んだF君の家に宿題のプリントや学級通信を届けに行くのだが、その時の描写、「F君の家はがさがさに錆びたトタン屋根が今にも崩れ落ちそうだった。家というより、小屋に近い。木の引き戸を開けると、たまにF君のお父さんが胡坐をかいて煙草を吸っていた。裸にランニングシャツ、半ズボン、大きな酒瓶。『これF君に渡してください』おっかなびっくり言う、『お』ひと言だけ返ってきた。鋭い気配を浴びながら、学校を休んだF君はどこにいるんだろうと訝しんだ。土間のひんやりした空気のなかに浮き上がっていたランニングシャツや煙草の赤い光を、私はいまもくっきりと思い出すことができる。昭和四十年代に入ってすぐの頃の話だ」。貧しくて給食費が払えないF君と日雇い労務者と思われる父の姿。母はいないのだろう。F君はどこにいるのか。アルバイトさせられているのか。作者の境遇とは正反対の境遇のF君。果たしてミノムシのように父を慕っているのだろうか。

 この貧しさに耐えて生きる人々の姿も一つの郷愁になっている。いい思い出ばかりではない。著者はさりげなく時代の毒を盛り込んでいる。それがこの作品に幅を持たせていることは確かだ。

ルポ 死刑 佐藤大介 幻冬舎新書

2022-01-17 14:09:06 | Weblog
 副題は「法務省がひた隠す極刑のリアル」。先進国で死刑を実施しているのは、アメリカと日本だけ、全体主義国家では中国と北朝鮮が有名である。全体主義国家では人民統制の手段として死刑が実施されるが、公正な裁判がそもそも期待できないし、その実態は不明である。以前中国を旅行した時のガイドの話だと、麻薬犯と14歳以下の少女を凌辱した場合は即死刑だということだった。また死刑促進週間というのがあって、刑務所に入っている死刑囚を街中の公園に複数名連行して、一挙に銃殺するというのも週刊誌で見た。いわゆる見せしめだ。これぐらいやらないと治安維持ができないと当局は考えているのだろう。恐ろしい話である。

 一方、アメリカは州政府が権限を握っているが、死刑のない州もあるし、実施する州でも死刑執行の情報は開示されている。ところが日本は副題の通り、死刑の詳細は伏せられており、実態を知っている人は少ない。そのせいだろうか、世論調査では日本国民の八割が死刑制度に賛成という結果が出ている。死刑執行を命じた法務大臣が、遺族の被害感情を鑑みると執行もやむをえないというコメントを付けるのが通例になっている。法務大臣は霞が関の立派なオフイスでハンコを押すだけで自分の手を汚すことはない。しかしこの執行命令書を実施する拘置所の刑務官たちの苦労を知る人は少ないのではないだろうか。死刑制度は官僚機構のおかげで成り立っている。末端官僚の苦悩は並大抵ではない。何しろ国家による殺人を実施する要員なのだから。本書にもあるように、暴れて嫌がる囚人をどうやって刑場に連れていくのか?執行後の体が左右に揺れないように抱きかかえる刑務官はどんな思いか?絞首刑にこだわる理由は何か?等々、死刑囚、元死刑囚の遺族、被害者の遺族、刑務官、検察官、教誨師、元法相、法務官僚など異なる立場の人へのインタビューを通して日本の死刑制度の全貌と問題点を描いた力作である。

 死刑制度の問題点を描いたものとして私が最初に出会ったのは辺見庸氏の『いま語りえぬことのために(死刑と新しいフアシズム』(2013年刊 毎日新聞社)であった。次が小坂井敏晶氏の『増補 責任という虚構』(2020年刊 ちくま学芸文庫)であった。いずれも絞首刑の残虐さ、死刑囚の執行を待つ精神的ストレス、執行する末端官僚の苦悩をナチのジェノサイドを命じられたドイツ軍兵士の苦悩のアナロジーとして書かれており、説得力がある。まさに近代国家の官僚主義の成果としての死刑制度と言えるだろう。特に『増補 責任という虚構』の中で小坂井氏は、75歳の死刑囚が高齢と長年の独房生活で脚が弱り、車椅子生活だっのに執行された話を書いている。曰く、「あなたに想像してほしい。ひとりでは歩けない老人を絞首台まで連行し、車椅子から降ろしてロープに吊るすその光景を」と。死刑制度賛成多数の陰で行われている死刑の実態である。この辺のことに想像力を働かせる時代が来ているのだろう。

 本書には被害者の遺族の立場で死刑を望まないという人のことも書かれている。原田正治氏で、1983年にトラック運転手だった弟は、雇い主の男に保険金目的で殺された。被告は死刑になったが、10年後に面会して話すうちに、相手の真摯な反省態度に心を打たれ、許せないという気持ちは変わらないものの、このまま死刑にしていいのだろうか、もっと対話が必要ではないかと思っていた矢先に死刑が執行された。この話は最近朝日新聞でも報じられており、原田氏は「被害者は死刑を望むと決めつけないでほしい。まずは加害者と対話できる仕組みを作り、それから死刑制度の是非の議論はすべきではないか」と言っている。最もだと思う。「遺族感情に鑑み」の中身を精査・研究すべき時が来ているのではないか。ヨーロッパ諸国では日本の死刑制度に対する批判が大きいと言われている。もしアメリカが死刑を廃止したら、日本はどうするかを考えておかなければならない。日本も人権抑圧国家だというレッテルを張られかねないだろう。中国をウイグル人ジェノサイド国家だとどの顔さげて言ってんだいと逆に中国から反撃されることは必定。

習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐 遠藤誉 ビジネス社

2022-01-09 14:50:24 | Weblog
 長いタイトルだが、さらに小見出しがあって、それは「裏切りと陰謀の中国共産党建党00年史」というもの。表紙カバーの裏には本文からの引用で以下の記述がある。曰く、中国共産党の歴史は、血塗られた野望と怨念の歴史だ。それを正視するには、「鄧小平神話」を瓦解させなければならない。毛沢東から始まり、習仲勲によって支えられた革命の道。その「おいしいところだけ」をいただこうとした鄧小平の野望と陰謀。その背骨があってこその、習近平の国家戦略だと。週刊誌的な惹句のオンパレードで中身を読まなくても大体の内容がわかるトンデモ本かと思いきや、中身は結構学術的だ。以前遠藤氏の『チャーズ』という中国共産党による国民党統治下の長春を食糧封鎖したことで30万人民衆が餓死に追い込まれた事件の実録を読んだことがあり、彼女の履歴には関心を持っていた。
 
 著者は1941年、満州国新京市(吉林省長春市)生まれ。日中戦争終了後も、父親が技術者であったため共産党から中国に残って指導してくれと頼まれ、1953年に帰国するまで中国で教育を受けた。帰国後は東京都立大を経て中国社会科学院研究員や日本の大学教員を経て筑波大学名誉教授で終わった。現在は中国問題グローバル研究所長。中国の国内事情に精通しているので、書物だけで勉強した学者とは一線を画している。何といっても七歳の時に長春封鎖事件を体験したのだから。

 本書では習近平の父である習仲勲が鄧小平の陰謀で何度も失脚させられ、一家が塗炭の苦しみを味わった歴史が語られている。習仲勲は共産党創設以来の毛沢東の同志で、まじめな人柄と革命への情熱で周りの評価も高かった。ところが文革時に批判され一家は下放されて農村での厳しい労働に従事させられた。習仲勲は十年以上にわたって軟禁状態で、息子の習近平は当時中学生であったが、北京から陝西省の農村に下放され、ヤオトンという穴倉暮らしを余儀なくされた。習仲勲を粛清したのは毛沢東だと思っていたが、本書では鄧小平が陰謀を巡らせてライバルを追い落としたのだと書いてある。それは小説『劉志丹』事件というもので、かつて失脚した党の幹部の劉志丹という人物の名誉回復のために彼の自伝的小説を党の機関紙に掲載してはどうかという話になり、責任者の習仲勲に決済する話になった。彼は最初は反対だったが、その時の流れで承知してしまった。その後、鄧小平がその件でクレームをつけて毛沢東に密告して粛清された。

 鄧小平は中国を経済大国に導いた先駆者として党内では毛沢東に次ぐ地位を得ているが、実態は類を見ない策士であるようだ。彼も幾度となく失脚し、その都度這い上がってきた歴戦の勇士である。党内で生き抜くためには権謀術数を駆使せざるを得なかったのだろう。『白い猫でも黒い猫でもネズミを捕るのがよい猫だ』『まず豊かになれるところから豊かになれ』など、共産党員としては珍しい柔軟な発言をしている。この人物が習一家にとって悪魔のような存在だったのである。その後、習仲勲は1980年に名誉回復され党幹部に返り咲いたが、十年後に再び鄧小平によって失脚させられた。本書は習仲勲を中心に権力闘争の状況を丹念に記述していて、おもしろい。著者は党内に相当数情報提供者をを持っているのだろう。そして一貫して習仲勲をまともな政治家だったと好意的に描いている。

 さてその息子の習近平である。今彼は自分を毛沢東を擬して終生主席の座に座ろうとしている。その本意は何か。著者は鄧小平の負の遺産の解消だという。一、全国に蔓延した腐敗の解消。二、社会主義にあるまじき激しい貧富の解消。三、ソ連式軍事体制を引きずったままの軍事力の弱さの解消。四、中国共産党の権威の失墜の解消。五、経済成長のみを重視したことによるハイテク産業の遅れ。ざっくりこの五点があげられているが、最近の習近平の政策がこの通りに動いていることを考えると正しい指摘と言わざるを得ない。父の仇敵である鄧小平の政策をひっくり返して、その一派を駆逐してしまう。そして毛沢東の信頼が厚かった父の遺志を継ぐために自身は永久主席を目指す。この壮大な夢の実現は可能なのか。

歴史修正主義 武井彩佳 中公新書

2021-12-21 17:56:02 | Weblog
 副題は「ヒトラー賛美、ホロコースト否定法から法規制まで」で、主にナチスドイツのユダヤ人虐殺について、それを否定する言説を時系列に従って述べている。例えばあの有名なアウシュビッツ強制収容所で多くのユダヤ人がガス室に送られ殺されたことは多くの写真・証言から明らかだが、これに異を唱える発言が1973年にドイツであった。ティーズ・クリストフアーゼンという元親衛隊員が『アウシュヴィッツの嘘』という短いパンフレットを出し、そのような事実はなかったと述べたのだ。

 一般にアウシュヴィッツと呼ばれている場所には三つの強制収容所がある。他にも小規模な労働収容所がいくつもあり、親衛隊の工場やドイツ人管理者の宿舎も含めると、一帯は収容と強制労働のための巨大な複合体であった。クリストフアーゼンは1944年1月から1944年12月までアウシュヴィッツにいて、中心から3キロ離れたライスコという場所で親衛隊の農業関連企業で天然ゴムの開発要員として派遣されていた。彼は言う、「私はアウシュヴィッツでガスによる大量殺害をうかがわせるようなものは何も見たことがない。収容所に死体を焼く臭いが漂っていたなど、まったくの嘘である」と。これについて、ホロコースト否定論の一つの型が見出せると著者は言う。すなわち否定論者は自分が見聞きした限定された範囲の事実から全体を結論付けるのだと。故に彼の経験的な認識はアウシュビッツ全体の事実ではない。ちなみに彼は筋金入りのナチであり続け、ホロコースト否定が犯罪となるドイツにとどまることができず、デンマーク、イギリス、ベルギー、スイスと転々と死、最後は逮捕状が出ているドイツに戻って没したとある。

 ドイツはナチスのホロコーストの反省から、1960年に「民衆煽動罪」を制定し、ヘイトクライム、ヘイトスピーチを規制した。そして1994年「ホロコースト否定禁止」を制定した。それまでは先述の元親衛隊員のように自由にホロコースト否定を言い募っていた連中の口を封じたのだ。しかし、この件については言論の自由云々は通用しなくなった。「ホロコースト否定論」は表現の自由の保護の外にあるのだ。当然のことと言える。フランスでも1990年に「ゲソ法」(フランス共産党員のジャン=クロード・ゲソの法案提出)が成立し、すべての人種差別的、反ユダヤ主義的、外国人排斥的行為を抑制し、ホロコースト否認や人種差別的言動を禁止している。

 翻って我が国はどうか。著者はあとがきで日本国内でも1990年以降ホロコースト否定の言説が出始めており、1995年に雑誌『マルコポーロ』が「ナチのガス室はなかった」という記事を掲載し、国際的な抗議を受けて廃刊になったことを紹介している。私は当時たまたまこの雑誌を購入し、とんでもないことを書くものだなあと危惧を覚えたが、実際廃刊に追い込まれた。編集長の某氏は辞めさせられたことを覚えている。ところがその某氏が作る右派の雑誌が最近出回っている。このような歴史修正主義的な言説がどんどん増殖すれば、日本を誤った方向に向かわせかねない。ヘイトスピーチ規制法はできたが収まる気配はない。これは言論の自由の埒外であることをはっきりいうべきである。明白な歴史的事実を「~はなかった」というようなタイトルのトンデモ本を処罰すべきである。そしてこの流れをくむテレビのコメンテーターも同様である。本書の出版は最近の日本の状況を考えるとき、グッドタイミングだと思う。

ヒトラー(虚像の独裁者) 芝健介 岩波新書

2021-12-12 15:05:23 | Weblog
 作者の芝氏は元東京女子大教授でドイツ現代史専攻。夙にナチスの研究で有名だ。『武装SS ナチスのもう一つの暴力装置』(講談社選書メチエ 1995年)は私がナチスに関心を持つきっかけになった本である。今回は『ニュルンベルク裁判』(2015年)に続き岩波書店からの出版となる。ヒトラーの伝記は数多く出されている中で、本書が出される意味は何であろうかと考えてみた。このオーストリア生まれの、画家崩れの人間が、持ち前の弁舌力でドイツ第三帝国の独裁者となって、世界に厄災をもたらしたことは誠に遺憾で、世界はこれを肝に銘じて独裁者の専制を許してはならないのだが、世界情勢は今や危惧すべき状況になっている。

 いま世界は、習近平、プーチン、と全体主義国家のみならず民主主義を標榜するアメリカにおいてさえトランプのポピュリズムと権力の乱用によって国が危機に瀕したことを目の当たりにしたことは衝撃であった。民主主義の脆弱さを露呈してしまった。それを見透かしたように中国は、アメリカの民主主義は偽物で、中国の専制政治こそが民衆を守るという意味で、本当の民主主義と言えるのだという牽強付会の説を繰り返し述べて共産党を正当化している。トランプの後を任されたバイデンはトランプの負の遺産を帳消ししようと民主主義フオーラムを開いて、中国、ロシアに対抗する西側諸国の連帯を強めようとしている。北京冬季オリンピックに対して政治的ボイコットを呼びかけているが、日本はこれに唯々諾々と従ってはいけない。近隣国の中国とそう簡単に関係を悪化させることはできない以上ここは熟慮する必要があろう。その点今の首相はいささか頼りない。優柔不断であることが大変なリスクになる可能性がある。

 世界の政治指導者において今、ヒトラーがユダヤ人をジェノサイドしたようなとんでもない暴力肯定人間が権力行使している例は見いだせないが、その予備軍的な戦争を厭わない指導者はいる。それに対して市井の一庶民としてこれに抗うすべはないが、常に歴史に学び、政治に対する批判力は付けておかねばならない。一方でこれは国内問題についてはかなり有効に働くのではないか。ヒトラーの権力奪取のプロセスを見ると、参考になることが多い。今の日本を第一次世界大戦後のドイツと単純には比較できないが、弱小政党がポピュリズムを鼓吹して党首の演説力で、市民を引き付けた様子は、今度の選挙で日本維新の会が躍進したことと二重写しになった。「身を斬る改革」というキャッチフレーズと思想性の皆無な候補者の言動はある種の安心感を有権者に与えたことは確かだ。共産党や立憲民主党にはない非常に俗物的な臭いに引き付けられたのであろう。

 彼らを支持したのは貧困階級ではなく、中堅のサラリーマン層が多かったという大学教授の分析が、ネットで公開されていた。彼らは貧困層を憎悪する人々で、自助努力が足りないから貧困なのだと今の自分の生活に自信を持つ新自由主義者であるらしい。あの悪夢の小泉改革を思い出させる話題でぞっとした。あれで非正規雇用を拡大した大学教授は今人材派遣会社の会長で巨額の富を得ている。格差社会をなくすはずの政治が間違って格差を広げてしまった。その元凶が今もテレビに出ているのを見ると本当に腹が立つ。そして先述の政党の元党首は臆面もなくテレビのコメンテーターとして、新自由主義的言説をばらまいて、その広告塔となっている。どうしてこのような人間がテレビに出ることができるのか大いに疑問である。特に在阪のテレビ局と癒着がひどい。ナチのプロパガンダの様子を思い出させる。我々は本書を読んで、ナチスのやり方を学び、これら政治的チンピラに対抗する力をつける必要がある。

 最後に本書ではナチズムとシオニズムの関係が類書より詳しく書かれていた。ナチの弾圧によってユダヤ人のイスラエル帰還運動が促進されたというあの話である。また翻訳書ではないので読みやすいのも特長である。(内容が平易ということではない)巻末のヒトラー伝記の先行書の解説も参考になる。