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読書日記

いろいろな本のレビュー

荘園 伊藤俊一 中公新書

2021-11-30 09:45:37 | Weblog
 「荘園」というと、「墾田永年私財法」や「不輸不入の権」ぐらいしか思い浮かばないが、日本史学会では結構厄介なテーマであるそうだ。本書は墾田永年私財法から750年余りにわたる荘園の歴史を述べたもので、その時々の政治権力が行ってきた土地政策の諸相がリアルに浮かび上がってきて、大いに参考になった。

 荘園について、山川出版の『日本史B用語集』にはこう書かれている。「古代・中世における土地支配の一形態。成立事情からみて8~9世紀のいわゆる初期荘園と11世紀以後の本来的な荘園(中世荘園)とに分けられる。前者は中央権力者が律令体制の下で形成したもの。後者は地方豪族らが中央権力者と結合して成立した寄進系荘園(領域型荘園)が主で、他に雑役免(ぞうやくめん)系荘園もあると。本書はこれを270ページにわたって説明したものだ。

 以下私が興味を持った部分について紹介する。一つは「負名制」である。九世紀後半に天災が続き、律令制が基盤としていた古代村落が解体し、郡司を務めた古代豪族も力を失うと、摂関期の朝廷は国司に権限を委譲し新たな事態に対処させた。国司(受領)は国内の耕地を「名」(みよう)に分けて、それぞれの名の耕作と納税を負名(ふみょう)と呼ばれた農民に請け負わせた。この仕組みを負名制という。負名になった有力農民は田堵(たと)と呼ばれた。負名制の下では、国司や荘園領主が毎年春先に田地の耕作者を決める散田(さんでん)という作業を行った。決定した田地は耕作と納税を請け負った田堵の名前で呼ばれた。田堵は名を請け負う際に、実名ではなく屋号のような仮名(けみょう)を名乗った。仮名には稲吉・稲富・永富・益富・富永・久富・得冨・富田・豊田など、豊作と富貴を連想させる名前が好んで使われた。これが日本人の名字に使われている。お名前の歴史として一つ勉強になった。

 二つ目は「官省符荘」である。実は私の実家の近くに「官省符荘神社」(和歌山県伊都郡九度山町)というのがあって、なんか変わった名前だなあと思ってたが、本書に説明があった。国司の裁量で認可された荘園を国免荘というが、四年の任期で国司が交代すると、前任の国司が行った決定がいったん無効になるため新国司に対して今までの既得権益を継続することを願い出たが、新国司は自分の裁量を主張するということでいろいろ面倒なことが多かった。これに対して国免荘よりも安定した荘園があった。それは中央政府が特定の荘園について所有権と税の減免を決定したことである。この決定は太政官から民部省を経て国司に伝えられたため、この措置を受けた荘園を太政官と民部省の命令書である「符」があたえられた荘園という意味で官省符荘という。官省符があると、国司が交代しても命令を尊重するので、官省符荘は国免荘よりも強い権利を持った。官省符によって認められた官物の免除を不輸の権という。律令で寺田・社田は不輸租と定められていた伝統を受けて、官省符は寺社領荘園に与えられることが多い。1049年に高野山の麓に成立した金剛峯寺領の、その名も官省符荘(和歌山県橋本市)が有名だ。また官省符荘では国司の検田を免除することを命じた。これを不入の権というとある。これで長年の疑問が解けた。また近くに京都神護寺領のかせだ(笠田)の荘もあり、実家周辺は「荘園」と縁が深いことを改めて実感した。

 三つ目は、気候変動から荘園のありようが変わるということである。本書では13~15世紀の飢饉の様子を降水量と気温のデータをもとに説明しているところが類書にないところで、斬新だ。飢饉によって年貢が納められず逃げ出す農民。追い詰められて武家代官を排斥する一揆を起こす農民。この気候変動のリスクは現代も続いており、我々の生活の中の不確定要素として軽視できない。ともあれ本書によっていろんなことが学べた。

キリスト教とシャーマニズム 崔吉城 ちくま新書

2021-11-09 09:56:06 | Weblog
 サブタイトルは「なぜ韓国にはクリスチャンが多いのか」。ソウルなどを訪れると、夜など十字架のネオンサインがたくさん点灯して、まるでその手のホテルかと見紛うほどだ。なぜこれだけキリスト教が普及しているのか。本書によると、現在国民の三割ほどがクリスチャンであるという。従来、キリスト教は土着の宗教と結合して韓国独自のスタイルを築き上げたと言われている。土着の宗教とは何か。それは儒教ではない。シャーマニズムだ。シャーマニズムとは、意のままに神や精霊と直接的に接触・交流し、その間に神意を伝え、予言をし、病気治療を含むいろいろな儀式を行う呪術・宗教的職能者シャーマン(巫師・祈祷師)を中心とする宗教的形態を指す。

 韓国ではシャーマニズムが盛んでシャーマンの村というのがあり、代々職業として受け継がれている。著者は、研究のため国内のシャーマン村を実地調査をして、その諸相を明らかにしている。巫師は職業的には被差別階級に組み込まれていて、そこに差別問題が生じていると書いている。異界と交流する祈祷師はその能力の稀有なことがあがめられる反面、異端視されて差別されるというメカニズムが出現するのだろう。これは万国共通の現象と見てよい。本書にはこのシャーマンの儀式(クッ)の写真が載せられていて、韓国の原風景として読者に強く訴えてくる。ここで巫師はトランス状態になって、神意等を伝えるのだろう。著者は言う、キリスト教の宣教師たちはこのシャーマニズムについて研究し、キリスト教の宣教、土着化に努めたが、私はキリスト教が宣教によって土着化したとは思えない。そうではなくキリスト教がシャーマニズム化され、それが韓国のキリスト教を急成長させたのである。最近の教会のマンモス化を見れば、それがよくわかるだろうと。

 また韓国から日本に多くの宣教師が来ているが、宣教はほぼ在日同胞に限られ、多くは民族主義で行われているようだ。日本でキリスト教徒の数が増えないのは韓国のようなシャーマン的なものに対する親和性がないからだろう。具体的にいうと、日本人には「拍手とアーメン」という印象があり、抵抗感を持っている人が多いのだ。韓国の教会では「通声祈祷」や泣きながらの祈りも多く、日本人には馴染まない礼拝様式であるようだ。感情をストレートに声に出すというのは、パンソリなどを聞いてもわかる。いわゆる「恨」の文化である。韓国に比べると、日本人は静かに祈る。神社仏閣で大声を上げている人はいない。

 最近韓国関係のニュースが中国の陰に隠れて非常に少ない。これは文政権が末期になり、話題性が少ないことと関係があるだろう。元気なのは、ヒップホップグループのBTSぐらいか。彼らは今アメリカで活躍して世界的な人気を博している。このことについて著者は言う、シャーマニズムはキリスト教にだけではなく、酒飲や音楽、演劇、映画などまでも大きく影響している。例えば若者たちのリズム音楽も、一種のシャーマン的精神文化に通じるとみてよいと。さすれば、BTSの振り付けを一度見る必要がある。シャーマンのトランス状態のようなものがあるのかないのか。興味津々だ。

平等バカ 池田清彦 扶桑社新書

2021-10-28 17:35:57 | Weblog
 池田氏は生物学者で、山梨大学教授から早稲田大学教授を経て定年退職。最近はテレビのコメンテーターとして活躍している。前に『本当のことを言ってはいけない』(角川新書)を読んで、今回は二冊目。傾向としては、呉智英や菜摘収の系統に分類できる人物かなと思う。ただし池田氏は生物学の見地からコメントするのが、他の二人とは味わいが異なる。本書の副題は「原則平等に縛られる日本社会の異常を問う」で、横並び社会の欠点をあぶりだしている。

 先般ノーベル物理学賞を受賞されたプリンストン大学の真鍋淑郎氏は、日本に帰りたくない理由として、協調を求められる社会風土が嫌だからと述べておられた。ハーモニーを大事にする社会とは自分は相いれないという強烈なコメントだった。事程左様に自由人にとってこの国は息苦しいのであろう。私など市井の一庶民だが、テレビをつけるとどの局も同じような内容のものばかりで本当にあきれてしまう。これだけバカなことを垂れ流していたら権力に対する批判精神はなくなり、権力側の好都合な人間が大量生産されて、政府の思うつぼである。

 一読して著者の言うことは大筋で首肯できる。第一章の「コロナ禍と平等主義」では、全国一斉休校措置がやり玉にあげられている。休校の根拠に乏しい政治的判断の甘さがこの愚策に結実した。こうやっとけば不公平感が解消されて文句が言いにくいだろという判断だ。こうやって平等にやっておけば手間がかからないからだ。国や役人の仕事が軽減されるから都合がいい。

 第二章「見せかけの平等が不公平を生む」では、国立大学の授業料の高さが問題視されている。私立大学との差が大きいと公平感に欠けるというのが理由なのだろうが、著者曰く、「税金を使ってまで国立大学まで通わせて、それなりに教養がある知識人を増やしたところで、資本主義にはたいして役に立たないばかりか、政府の政策にいちいち文句をつける、反政府分子になる恐れのほうが強い。だったら授業料を高くして、貧乏人を遠ざけてしまおうという魂胆だったのだろう」と。これはまさに全共闘世代の著者ならではの発言と推察した。

 第三章「人間はもともと不平等」では、平等主義の教育が才能ある子供をつぶしているとか平準化は教育になじまない等々、教育現場に身を置いての経験則から発せられたものが多く、正鵠を得ている。ジェンダー平等の議論にしても、女性は平均値として、生まれながらにして料理や子育てに向く、何らかの能力を備えており、力仕事は身体的特性からして男性に向いているのは間違いないし、数学者や論理学者、あるいは哲学者に男が多いのも脳の仕組みと無関係ではないと述べ、ここを押さえておかないとなんのためのジェンダー平等かわからなくなると強調している。同感である。その他、第四章「平等より大事なのは多様性」、第五種『「平等バカ」からの脱却』と続くが、ネタばらしをすると読む楽しみが薄れるので、あとは読んでいただきたい。「目からうろこ」の話が面白い。

 原則平等の日本社会だが、格差は広がるばかり。これを解消するのが政治家の課題だが、時の首相は富裕層の課税を実行すると総裁選で公言したにも関わらず、衆院選の前にこれを翻した。新自由主義からの撤退と言うが、具体策は提示されていない。今度の選挙で国民はどのような審判を下すのだろうか。選挙権は国民に等しく与えられた権利であるが、この「平等」を放棄する国民が多いことを著者は憤っている。平等を言い募るだけでなく、実践することが必要だ。

アンゲラ・メルケル マリオン・ヴァン・ランテルゲム 東京書籍

2021-10-17 14:18:17 | Weblog
 副題は「東ドイツの物理学者がヨーロッパの母になるまで」で、著者は1964年、パリ生まれの女性ジャーナリスト。『ル・モンド』元記者。普通フランス人はドイツ人をほめないものだが、ここではメルケルを褒めている。同じ女性としてのしてのシンパシーがあるのかもしれない。メルケルは1954年生まれで、現在67歳。16年間ドイツ連邦の首相を務め、今年引退する。16年間首相の地位に座り続けるのは、独裁国家でも並大抵ではない。中国の習近平でもまだ10年だ。彼は終身主席の地位にいることを目指しているが、その苦労は並大抵ではない。いつ寝首を掻かれるかわからないからだ。毎日が恐怖の連続で、疑心暗鬼に陥り理不尽な粛清を繰り返すことになりかねない。ロシアのプーチン然り。民主国家のドイツでしかもEUの盟主としてこれだけの期間、首相を務めたことは、やはりリーダーとしての指導力があったからだ。一年で首相を辞めたどこかの国の御仁とは出来が違う。本書を読んで、リーダーとしての資質とは何かということを考えさせられた。本書によって日本の政治家の欠点が逆照射されるのが面白い。

 メルケルは1954年7月、西ドイツのハンブルグで生まれた。父親はプロテスタントの牧師で、メルケルが生まれた年に西ドイツから東ドイツに移住した。共産主義国家で牧師という仕事は困難を伴うにもかかわらず、宗教的信念で赴任したようだ。1973年ライプツィヒ大学(カール・マルクス大学)で物理学を専攻。1990年、東西ドイツ統一後、第四次コール内閣で女性・青少年相。2005年に歴代最年少で初の女性首相になった。彼女の政治手法は複雑な案件でも可能な限り詳細に検討して、話し合いで解決する。そこに強固な倫理観が一本筋として通っているというものだ。そして金銭に恬淡で地位名誉にこだわらないという性格がある。これは牧師の娘として東ドイツで育ち、物理学を専攻した経歴に負うところが多いと書かれている。これだけでも日本の政治家とは大違いであることがわかる。

 メルケルは福島原発事故の後、三か月の原子力モラトリアム、2022年末までのドイツの原発を停止した。また難民の受け入れも、強い反対があったにも関わらず、積極的に行った。その他毀誉褒貶があるものの自分の信念に従って進んで行った。ムッターと言われる所以である。そして最も印象的だったのは、2020年12月9日の連邦議会でのコロナ感染拡大抑制対策として、行動の抑制を国民に訴えた演説だ。「心の底から、誠に申し訳なく思います。しかし、私たちが払う代償が、一日590人の命だとすれば、私には受け入れられません」と述べ、詳細な説明を加えながら、感染予防のための行動制限を守るようにドイツ国民に呼びかけた。「いかにつらくともーーホットワインやワッフルの屋台を皆さんがどれほど楽しみにしているか、私にはわかっていますーー、飲食はテイクアウトにして家で味わうことのみにすることへの合意が何より大事なのです。この三日間に解決を見出すことができなかったなら、百年に一度の出来事を後世の人々が振り返ったときに何と言われるでしょうか?」と普段は見せない感情的なしぐさに国民は感動した。著者曰く、「この時の演説は政治家というより、牧師の者だった」と。私は「ホットワインやワッフル」という具体的な市民の愛するもの持ってきたのが非常にうまいと思う。そしてそこにドイツの豊かな市民生活が想像でき、やはりヨーロッパの先進国だなあと感心した。

 この演説に比べて我が国の首相の言葉はどうだったか。八百長の記者会見でもまともに記者の質問に答えられず、ぶら下がりの会見でも痛いところを突かれて、畳みかける同じ記者にいちいち名を名乗れとブチ切れて、後ろに控えていた女性の広報官に「きちんと注意してください」と色をなして𠮟りつけていた。見ちゃいられない場面だった。これを民放では流したが、NHKは流さなかった。けしからん話である。今回の総選挙でNHKをつぶす云々の党が出ているが、一定程度の支持を得られるのではないかと思う。権力側のプロパガンダになってしまっているからだ。そのようにしたのも「ワクチン百万回」の前首相である。権力の乱用を屁とも思わぬ首相が二代続いたことで、この国は三流国に転落しつつある。その詳細は『権力は腐敗する』(前川喜平 毎日新聞出版)参照されたい。

 この国の現状をメルケルの事跡と照合すれば、そのひどさがわかる。本書の刊行はその意味でタイムリーと言える。今回の衆議院選挙で、国民はどのような判断を下すのか、民度が問われる。


 

戦国の村を行く 藤木久志 朝日新書

2021-10-05 10:05:05 | Weblog
 本書は1997年刊の朝日選書の同題の書を改定したもの。解説・校訂は明治大学教授の清水克之氏。腰巻解説・惹句によると、戦国時代の戦場には、一般の雑兵の他、「濫妨衆・濫妨人・狼藉人」といったゲリラ戦や略奪・売買のプロたちが大名軍に雇われ、戦場を闊歩していた。戦場の惨禍の焦点は、身に迫る奴隷狩りにあったという。これに対して村の人々や領主は、どう対処したのか。したたかな生命維持装置としての村とは何かというのが本書のテーマで、誠に興味深い。

 「戦国の村」と言えば、黒澤明監督の「七人の侍」を思い出す。野武士に襲われる百姓たちが、それに対抗するために七人の武士を雇って村を守るという内容だった。最後の方で村の老婆が落馬した野武士を棒でしたたかに打ち付ける場面が印象的で、積年の恨みを晴らさではおくまいという執念を感じさせた。結局村人たちの勝利に終わるのだが、実は戦国の村では武士を雇うどころか、自分たちで武器を持って戦っていたようだ。戦国時代は人心が殺伐として人殺しは日常的に行われていた。村と村の対立抗争も頻繁に起きていた。その中で、村では城を作っており、いざ敵に襲われそうになると、村の屈強な若者たちは村の城に籠り、残った村人は家財を牛馬に積んで非難していた。また村の安全を守るために大金を払っていたということも指摘されている。和泉の国の日根野に根来寺の僧兵が乱入しようとしたとき、村役人たちは根来寺に乗り込んで折衝したが、この時大金を積んで乱入を食い止めたらしい。

 私たちは戦国時代というと、大名の動向や生活ぶりばかりに目を奪われているが、農民の側に視点を移すと彼らは大変な苦労をしていたことがわかる。村は村で強固な統治機構・官僚組織に似たものを作り上げていたようだ。例えば、村どうしの争いが起きたとき、敵方の村へ危険な交渉に行って、もし村の身代わりになって殺されたら、その者の跡取り息子には、雑税を村として長く肩代わりする。村が周到な補償システムを作り上げていたのだ。また村どうしの水争いで激しい戦闘になり、豊臣秀吉から、関係した八十三人がはりつけにされるという騒ぎになった。その時、それぞれの村を代表して処刑されたのは、村の庄屋ではなく、村に養われていた乞食たちが身代わりにされた。乞食たちは身代わりの代償に、村中での身分の扱いを高めて末代までの生活保障を要求したという。このように中世の村は、いざというときの身代わりのための「犠牲の子羊」を普段から村で養っていた。その多くは名字もなく、普段は村の集まりにも入れない、乞食などの身分の低い人々や、牢人と呼ばれた流れ者たちであったらしい。この背景を見ると「村八分」という言葉が非常にインパクトがあるように思えてくる。

 また興味深いのは、村で盗難が起こった時、これを投票によって決めていたという。これを「入れ札」というのだが、あの人が怪しいといって投票するのである。これは百姓のみならずその小作人も投票して、札が多く集まった者は村から追放されるというのだが、なんともすさまじい掟である。逆にいうと村を常に戦う集団として位置づけるための戦略であったのかもしれない。国の末端組織の村であるが、その生命維持装置はただものではない。

人生が変わる55のジャズ名盤入門 鈴木良雄 竹書房新書

2021-09-28 17:58:27 | Weblog
 本書は5年前の出版で、当時買おうか買うまいか逡巡していてそのままになっていた。今回図書館で見かけて借りて読んだが、素晴らしい内容だった。著者の鈴木氏は1946年生まれで、今年75歳のジャズベーシストだ。早稲田大学モダンジャズ研究会の出身で、渡辺貞夫カルテットでベーシストとして参加。1973年に渡米、ニューヨークで活動開始した。スタン・ゲッツのグループに参加後、アート・ブレイキーのバンドでレギュラーベーシストとなり、1985年帰国。その後、リーダーとしていくつかのバンドを結成して現在に至る。ジャズ界を生き抜いたまさに巨匠である。

 彼はチンさんの愛称で、1970年代から活躍していた。当時スイングジャーナルというジャズ雑誌が出ていたが、そこで彼の活躍が報じられていた。当時はLPレコードで、新譜の紹介記事が売り物だった。そこでよさそうなレコードをジャズ喫茶でリクエストして気に入ったら購入という感じだった。当時LPが2000円くらいしていて、学生にとっては貴重品だった。本書にリストアップされている作品は1950年代から60年代が中心で、学生時代に聴いた作品が多く懐かしさがこみあげてきた。

 55作品の選出方法は、鈴木氏のジャズ仲間50人に入門ベストアルバム20枚を答えてもらったアンケートを基にしている。第一位はマイルス・デイビスの「カインド・オブ・ブルー」だ。冒頭の「ソー・ホワット」は名演として名高い。今それを聞きながらこれを書いている。第二位はソニー・ロリンズの「サキソフオン・コロッサス」。第三位はキャノンボール・アダレイとマイルスの「サムシン・エルス」。そして第55位はケニー・ドーハムの「クワイエット・ケニー」だ。まさに名盤中の名盤が選ばれているので。ジャズに興味をお持ちの方はこれを基にコレクションを増やしていかれたらアルバム収集の喜びが味わえると思う。

 鈴木氏はこの55枚についてコメントを加えているのだが、それがまた素晴らしい。実際本場の有名ジャズマンと仕事をしているので、彼らのすばらしさを肌で感じた経験をもとにコメントしているので、非常に暖かい筆致で進めている。氏は多分人間としても素晴らしいのであろう。マイルスの「マイ・フアニー・ヴァレンタイン」(1964年リンカーンセンターでの実況録音)は私のフエイバリットアルバムだが、鈴木氏は「これはフオービート・ジャズの最高峰ですよね。いわゆるストレート・アヘッド・ジャズ、王道をまっすぐ進んでいるジャズです。音楽的にも素晴らしいし、音も素晴らしいし、録音も素晴らしい。ジャズがさらに次のレベルに到達した、という感じでしょうか」とマイルスバンドのレベルの高さを称賛している。私自身ジャズ鑑賞歴50年だが、まさに当を得たコメントと言えよう。また別のアルバムの「このアルバムのピアノのマッコイ・タイナーのバックがいいですねえ。素晴らしいです」などの賛辞は本当に演奏者としての目線から出されるもので、読んでいて気持ちがいい。このような鈴木節が至る所で炸裂する。本書を読めば、50年代から70年代のジャズ黄金期の歴史が俯瞰できるので、まさにジャズ入門としては最適の書と言えよう。

 

本当の翻訳の話をしよう 村上春樹・柴田元幸 新潮文庫

2021-09-14 09:34:02 | Weblog
 本書は表記の二人がアメリカの小説についての対談したのを集めたもの。村上氏は小説家として夙に有名で、ノーベル賞の候補に挙げられているが、なかなか受賞しない。その理由については後で私見を述べたい。英文の小説の翻訳家としても活躍している。柴田氏は元東大英文科の教授で翻訳家としても有名で、朝日新聞の夕刊に「ガリバー旅行記」を毎週金曜日に連載している。この連載は、挿絵を平松麻氏が描いているのだが、それが素晴らしい。翻訳は勿論だが、、、、。柴田氏の翻訳で最近読んだのが、マラマッドの小説で懐かしい名前だ。「アシスタント」という作品が有名だ。私は1970年初頭に大学に入学したが、当時はサリンジヤーが人気で、大学の一般教養の「アメリカ文学」の授業もサリンジャーだった。私は漢文学科だったが、興味半分で受講した。講師は利沢行夫先生で、アメリカ文学科の助教授だった。先生はサリンジャー以外に、アップダイクの「走れウサギ」なども紹介されて、アメリカ文学への興味を掻き立ててくださった。残念ながら、二年前87歳で亡くなった。

 本書によると二人は翻訳作業において30年来の知己で、その親しい関係が対談のそこかしこに窺われる。阿吽の呼吸みたいなものが横溢している。馴れ合いではなく。個人的には冒頭の「帰れ、あの翻訳」が面白かった。読むべき作品で、絶版になったのを復刻すべしというのを章末に挙げていて参考になる。まあ一種のアメリカ文学史のようなもので、作家と作品の注が詳細に書かれている。村上氏は高校時代からアメリカの小説を熱心に読んでいたそうで、英語(米語)の教養が小説家、翻訳家としての村上春樹を形成したと言える。彼は早大文学部入学後、ジャズ喫茶でアルバイトをした後、学生時代に結婚して二人でジャズ喫茶を経営したという異色の経歴を持っている。1970年代の東京はジャズ喫茶全盛時代で、商売として十分成り立った。中央線の吉祥寺には多くのジャズ喫茶があってはやっていた。そういう時代だった。でも、大学生が自分で経営するとなるとなかなか難しいことが多かったのではないか。一日中レコードかけてコーヒー淹れてという日常は、私の個人的見解だが、「儲からないし暇だ」ということではないか。そこである日小説を書こうということになって、作家に転身したということである。

 村上氏は文章の手本として日本の小説家をまねたことはない、評価しない断言している。彼のバックボーンはアメリカの小説なのだ。1979年に発表した「風の歌を聴け」で第22回群像新人文学賞を受賞、同年の芥川賞の候補にもなったが、受賞は逃した。この時の選評で、瀧井幸作は「外国の翻訳小説の読み過ぎで書いたような、ハイカラなバタくさい作だが、、、、、(中略)しかし、異色のある作家のようで、私は長い目で見たいと思った」と評価している。一方、大江健三郎は「今日のアメリカ小説を巧みに模倣した作品もあったが、それが作者をかれ独自の創造に向けて訓練する、そのような方向付けにないのが、作者自身にも読み手にも無益な試みのように感じられた」と手厳しく批判している。このように、村上の作品は評価が分かれる。

 私は村上の作品は何かまとまりがなく、わざとらしい繰り返しが多く、中身も軽いので評価していない。大江氏の評価がすべてを言い尽くしていると思う。ノーベル賞作家に評価されないということは、今後、村上氏がそれを獲得するのは難しいということではないか。翻訳小説風の浮き草的内容は一面グローバルだということも言えるが、一面民族性が希薄ということも言えるのだ。2015年にノーベル文学賞を獲得したベラルーシのスヴェトラーナ・アレクシェーヴィッチを見ればノーベル賞の獲得条件が見えてくるはずだ。彼女の『戦争は女の顔をしていない』『ボタン穴から見た戦争』『チェルノブイリの祈り』等の作品を読めばわかる。生きることの困難さ、それをどう克服するかというテーマが通奏低音として流れている必要があるのだ。民族性の表出という評価軸がある限り村上氏の受賞は苦しいかもしれない。それを弁証法的に解決した作品を発表すれば、また別の話になるが。

 

スターリン 独裁者の新たなる伝記 オレーク・V・フレヴニューク 白水社

2021-08-31 09:39:07 | Weblog
 著者は1930年代のソヴィエト・ロシア史を研究するロシア連邦の第一人者。ロシア連邦国立文書館に長く勤務し、現在モスクワ大学歴史学部教授。スターリンの伝記はたくさん出ているが、本書を読むと今まではっきりしなかったことが明確に書かれている。

 一つ目はスターリンの最期の様子だ。彼は1953年3月2日に脳卒中で倒れたが、側近の幹部は部屋に入ることをためらい、スターリンの病状を把握できなかった。なぜスターリンの部屋に入らなかったかというと無断で入ってスターリンの怒りを買うことを恐れたためであった。それほどスターリンは恐怖政治を敷いていたのだ。やっと医者を呼んだがすでに手遅れだった。幹部連中が臨終に立ち会ったが、「死の苦悶は恐ろしいものだった。まさに最後の一瞬のように思えたときに、彼は突然目を開き、部屋にいる全ての者たちを一瞥した。その一瞬の眼差しは恐ろしく、狂ったものなのか、あるいは怒った者なのか、いずれにせよ死への恐怖で満ち満ちていた。彼は突然左腕を上げて、何か上にあるものを指さしながらわれわれ全員に呪いをもたらしているかの楊だった。その動きは理解しがたく、脅迫に満ち溢れていた。(後略)」と娘のスヴェトラーナが回想している。彼女は最後の数日間を父の傍らで過ごしていた。事程左様にスターリンはデモーニッシュな存在なのであった。

 二つ目は農民に対する弾圧の模様だ。彼は集団農場コルホーズに農民を囲い込むために、クラーク(富農)を攻撃し、財産と農具を剥奪した。コルホーズは、農産物や他の資源を急速かつ効率的に農村から汲み上げ、工業へ送り込むための導管として役立つと考えた。農民は国の最大部分であるが、国家への重大な脅威にならないという考えで、彼らを弾圧して大飢饉へと導くことになった。これで500万人以上の餓死者が出た。毛沢東の大躍進運動と同じ構図である。このことは第3章「彼の革命」に詳しい。

 三つ目は「独ソ戦」開始前のスターリンの動揺の様子である。最初彼は、ナチスが攻め込んでくることは想定外であって、スパイのデマだと考えていた。この当時彼は共産党内の粛清を実行している矢先で、疑心暗鬼に陥っていたからである。しかし、ナチスの侵攻が現実のものとわかってからも、その対応が稚拙で赤軍と市民に大きな犠牲を強いることになった。

 四つ目は権力者としての在り方について、著者は言う、「彼はソ連の人々がどのような条件下で生活しているのか、彼らは何をどこで買い、どのような医療や教育を受けているのかとする関心を、一度も抱かなかった。彼のもとに届く普通の市民からの手紙や苦情をjほとんど読まなかった」と。自分の敵を粛清しそれが高じて国民を大虐殺する結果を招く。全体主義の通弊である。

 レーニンの陰に隠れながらトロッキーのような弁舌の才能もない元神学生が権力を奪取していく様は、どこかの小宰相と似ている。権力の乱用は本当に怖い。

チャリティの帝国 金澤周作 岩波新書

2021-08-22 14:09:23 | Weblog
 イギリスにおけるチャリティ(慈善事業)の歴史を綴ったもの。キリスト教国家として弱者(範囲は広い)への救済事業があった中で、本書は主に十七世紀以降のチャリティの変遷を俯瞰して述べる。慈善事業は少なくとも国家を標榜する上は大なり小なり存在するものだが、本書を読むとイギリスのそれは非常に伝統のあるものだということがわかる。これはキリスト教国家というだけでなく、大英帝国を築き上げたメンタリティーが関係していると思われる。

 著者はチャリティーを三つ心情の心情で説明しており、これが面白い。それは ① 困っている人に対して何かしたい。 ② 困っている時に何かしてもらえたらうれしい。 ③ 自分のことではなくても困っている人が助けられている光景には心が和む。というものだ。

 1 十八世紀までのイギリスにおいて、①は、文明国の頂点に君臨するイギリス帝国の国民としての優越感や誇りや責任が異国の民への保護者的な同情を掻き立てる。 ②は、苛烈な政治的・経済的な支配の支配や戦争の論理はあるが、宣教師や慈善家がもたらす医療や教育、食糧支援はイギリス帝国の「健全」な側面を示しており、受け入れられるのではないか。③は、さまざまな国の先住民が「保護」され、異教徒がキリスト教を信仰するようになり、いろんな面で外国人が病気や飢えから救われるのはいいことだ。

 2 十九~二十世紀において、①は、敵と戦う兵士や敵に蹂躙された味方の人々を救い、イギリスの道徳的優位を示し、同時に戦争の最終的勝利に向けてチャリティという形で貢献したい。②は、兵士にとっても、戦死者の孤児や未亡人にとっても、母国が自分を忘れないことを実感できる。③は、国外の連合国の人々への支援は、イギリスのリーダ-シップをイメージさせて満足感があり、自国民への支援は同胞を見捨てないやさしさが感じられる。(しかし第二次大戦中はチャリティーの環境はなかった)

 3 二十~二十一世紀において、①は、国家が問題を解決できないなら、ときに国境を越えて連帯する市民の手で対処するのが正義だ。②は、国家も国連も無力な時、チャリティによる救済は、短期的な生活を成り立たせてくれるだけでなく、命の危機を救い、教育の機会を与えてくれる。これは自分は見捨てられないのだという希望を与えてくれる。③は、地元のボランティア活動であれ、内戦で疲弊した外国の医療活動であれ、それらは人間の連帯が、どこまでも柔軟に、可能であることを思い出させてくれる。

 以上1~3のようにまとめてくれているわけだが、特に3はタリバンに侵攻されたアフガニスタンに当てはまるのではないか。脱出したい人々を西側は何とか協力して支援する必要がある。まさにチャリティの力の見せ所だ。それにしてもアメリカはなんと拙速に撤退してしまったのか。その責任は重いと言わざるを得ない。

 また十八~十九世紀において、支援する人々がその対象者を投票で選ぶという制度があったことが報告されているが、非常に面白い。一見不合理のように見えるが、実は国政選挙で選挙権が与えられなかった時代から、中産階級の男性と女性は、一種の模擬国政選挙を楽しんだということらしい。当選するために不断の工夫を要請される姿は営利企業の姿を髣髴とさせるもので、篤志協会型チャリティは株式会社と強い類似性を持つという指摘は興味深い。資本主義社会を生き抜く一つの知恵として位置づけられるので、ギブだけでなくテイクも期待できるのだ。

 いまアフガン情勢を見るにつけ混迷する世界状況を救うキイワードは「チャリティ」だという気がする。その矢先、日本ではあるユーチューバーが、生活保護者を助けるならうちの猫を助けてくれという発言をして問題になっている。人間を猫以下と断定しているわけだ。この御仁はメンタリストの肩書で発信して巨額の収入を得ているらしい(メンタリストという言葉はこの件で初めて知った)。最近は汗水たらして働かずブログで金もうけをするのがはやりらしい。「悪銭身に付かず」という格言はこの御仁には当てはまらないのか。これをちやほやして取り上げるマスコミも問題がある。本当に今の日本のテレビのレベルは低すぎて唖然とする。世界で何が起こっているかも知らず能天気にバラエティーとクイズと大食い・食レポ番組でゲラゲラ笑っているその姿を見るにつけ「日本は滅びるよ」という漱石の『三四郎』に出てくる先生の言葉が浮かんでくる。

 弱者を助ける、これは国家の基本だがそれが十分実行されないことが現実としてある。この時必要なのが、チャリティである。先述のメンタリストはこの発想がない。このような輩がはびこると国は亡ぶ。今の日本はこのような人間を成功者として英雄視する風潮があって、ひどい人権侵害を見過ごしてしまっている。今コメンテーターとして出ずっぱりの元首長もその流れの中にある。どうしてマスコミはこの人物を起用するのか。良識を持った人間がもっと表に出てきてほしい。


レストラン「ドイツ亭」 アネッテ・ヘス 河出書房新社

2021-08-10 07:21:54 | Weblog
 この小説は「アウシュヴィッツ裁判」と「恋愛問題」を融合させたもので、今結構読者を獲得している。この二つの要素はアンビバレントなもので、一つにまとめるのは難しいが、本編はそれに成功している。でも本流は恋愛小説で「アウシュビッツ裁判」は香辛料的要素が強い。

 「アウシュヴィッツ裁判」とはニュルンベルク国際軍事裁判以降、ドイツ人自身によるナチス関係者の裁判で、ヘッセン州の検事長のフリッツ・バウアーを中心に行われた。本書には「検事長」として登場する。彼は他州の検事とともに1958年にナチス犯罪追及センターを設立し、ユダヤ人移送の責任者アドルフ・アイヒマンの居場所を突き止め、イスラエルの諜報機関と連携して1961年、アイヒマンをエルサレムの法廷に立たせるのに成功する(アイヒマンは絞首刑)。この裁判を傍聴した哲学者ハンナ・アーレントの『イスラエルのアイヒマン』は有名だ。そしてこの二年後に実現したのが、フランクフルト・アウシュヴィッツ裁判(正式名称 ムルカ等に対する裁判)だった。300人を超える証人が集められ、ガス室におけるチクロンBによる大量虐殺や、親衛隊員による拷問や虐待を詳細に語ったことで、ドイツ人は初めて強制収容所の実態を知った。数年後に迫っていた時効は撤廃された。今でも時々高齢の元看守が起訴されたりする。

 一方「ドイツ亭」とは主人公の女性エーフアの父親が自宅兼用で営むレストランだ。エーフアはフランクフルトに住む24歳の女性で父母と弟の四人暮らし。目下の関心は恋人ユルゲンとの結婚というごく平凡な女性だ。ドイツ語とポーランド語の通訳を仕事としていたが、たまたまホロコーストの被害者(ポーランドのユダヤ人)の証言の通訳を依頼されて裁判を目の当たりにするうちに、その世界に徐々に引き込まれ運命が変わっていくというストーリーだ。

 この一家が裁判に引き込まれる原因となるのは父親の経歴なのだが、ここでは書かないことにする。平和な家庭が歴史の大きな流れの中に巻き込まれていく様が象徴的に描かれている。結局エーフアの縁談はなしになるが、裁判を経ていろんな世間の問題に触れるようになって新しい視野を獲得する。これを成長と言っていいのかどうかわからないが、とにかくエーフアは前とは変わったのだ。その時点で一旦わかれたユルゲンとよりを戻す可能性を暗示して小説は終わる。

 個人の恋愛問題と人間抹殺のホロコースト問題、この落差を埋めることは非常に難しいが、登場人物のありふれた日常生活と、証人たちの過酷な経験を丹念に描くことによって一人の女性の人間的成長が浮かびあがる仕組みはなかなかうまい。