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読書日記

いろいろな本のレビュー

世界史の原理 茂木誠 宇山卓栄 ビジネス社

2024-10-04 08:37:19 | Weblog
 題の前に「日本人が知らない!」とあり、「異色の予備校講師が、タブーなしに語り合う」という惹句もある。そして腰巻に「なぜ日本文明は、独自性を保てたのか?」と著者の写真が載っている。装丁を見ると学術書ではなく「軽い読み物」の方に少し傾いた本だという予感がしたが、読んでみると確かにそうだった。「世界史の原理」とあるが、「原理」を辞書で引くと、「物事の根本にあって、それを成り立たせる理論・法則」とある。世界史にそんなものがあるのかと思って、「おわりに」を読むと、「危機の時代においてわれわれの祖先がいかに対応し、死に物狂いで独立を保ってきたか。諸外国との比較の中でそれを知れば、この国を守っていこうという気持ちになり、あなたの明日からの生き方も変わってくるでしょう」とあった。先日、自民党の総裁選挙の決選投票で敗れた女性候補が言いそうなせりふである。まあこれが本書のスタンスである。

 本書のエピソードは大体知っていたが、初見のものもあった。それは第二章の中の『「先住民」の世界史』で、アイヌは日本の先住民族ではなく、鎌倉時代に渡来してきた少数民族であるというものだ。アイヌはシベリア起源の北方民族と縄文系擦文文化人との混血だということをミトコンドリアのDNAを持ち出して結論づけている。あいにく証拠となる染色体の議論の詳しい出典が明示されていないので、ほんとかいなと思った読者も多かったのではないか。中でも私がおや?と思ったのは次の記述だ。『今日、人工的あるいは政治的都合でカテゴライズされた「アイヌ民族」は日本に約1万3000人いるとされます。こうした人工的「アイヌ民族」が自治権や自治区の獲得に向けて、今後、政治闘争を仕掛けてくることも予想されます』。(宇山)「仕掛けてくる」の主語は書かれていないが、いずれにせよ少し悪意を感じた。著者は知里真志保や姉の知里幸恵のことを思い浮かべただろうか。『知里真志保の生涯』(藤本英夫 新潮選書 1982年)を読んでみてほしい。アイヌの苦闘の歴史を知って共感をする立場に立てば、もう少し別の言い方ができたかもしれない。

 「アイヌ先住民説」を科学的に根拠が乏しいと一蹴しする一方、「アイヌの持つ文化を日本文化の民族的多様性を示す貴重な文化財として守っていくべきだと私もおもいます」(茂木)とバランスをとる発言をしている。しかし、2008年の「アイヌ先住民決議」について、この時の内閣総理大臣は福田康夫だと指摘したうえで、「これによって北海道を中心に莫大な公金投入が行われ、さまざまなハコモノが建てられ、様々な利権団体に公金がバラ撒かれました。同じことはLGBT理解増進法(2023)でも言えるでしょう」(宇山)「官僚・政治家が歴史を知らなこういうことになるのです」(茂木)と自民党右派もさもありぬべしという発言をしている。

 本書の最後に日中戦争が中国共産党の策略によって拡大し、結局共産党が日本軍と国民党に勝利して、中華人民共和国が成立したというエピソードが載っているが、そう直線的に言えるものではない。さらなる研究が必要だ。私としては今度の衆院選での自民党の議席数に本書がどれくらい寄与するのか注目している。まあ50万部売れたら、影響するかもしれないが、1~2万部では厳しいだろう。中身の評価は分かれるだろうが、気楽な読み物として割り切れば、まあまあ面白い本であった。ものを知るということは世界を広げるということを改めて実感させてもらった。まだまだ勉強すべきことは多い。

校歌斉唱! 渡辺 裕 新潮選書

2024-09-25 14:54:21 | Weblog
 副題は「日本人が育んだ学校文化の謎」で、校歌誕生のいきさつからその周辺の事情をつぶさに解説して、面白い読み物になっている。明治以降学制が敷かれ同時に小学校では「唱歌」指導が導入された。唱歌は近代国家たる日本の国民にふさわしい心身を作ってゆく「国民づくり」の道具であると意識されていたのである。例えば「われは海の子」のような唱歌も、今は歌われなくなった歌詞が第七節まであり、そこでは主人公の少年が後に立派な船乗りになり、最後は「いで軍艦に乗り組みて 我は護らん海の国」の結びになっている。(P36) これには国家主義的な思惑で子供を教育すべしという本音が見える。これが中等学校(義務教育ではない)になると、校歌によって教育勅語の精神を毎日の朝会や始業式、終業式、運動会等々の機会に繰り返し歌うことで血肉化することが期待された。

 本書に例示されている旧制中学の校歌を見ると、例えば静岡県立榛原中学校(現榛原高校)の校歌は、1915年(大正4年)に制定されたものだが歌詞の第一節から第四節までにそれぞれ「自治」「同情」「勇敢」「至誠」というタイトルがつけられているという。(p39)  具体的には、地元の大井川を題材に、それが自ら路を見出して海へと向かってゆくさまを「自治」の精神に結び付けている。このような校歌をことあるごとに歌うのだから、その精神はおのずと体に染み込んでいくだろう。ましてや旧制中学は地方のエリートだから歌うたんびに自尊心がくすぐられたことであろう。

 このように古い学校では校歌や応援歌等々、いろんな歌が作られいるが、岩手県立盛岡一高の校歌はなんと軍艦マーチの旋律だ。Uチューブで見たら確かにそうだった。これは驚きだった。著者によるとこういうメロディーを他から借りてくる「替え歌」は大変多いという。その一覧表も掲載されていて参考になる。多いのは旧制高等学校の寮歌で、例えば第一高等学校の「嗚呼玉杯に」や「春爛漫」などだ。旧制高校は中学生の憧れの的だったことも影響していると著者は指摘する。ところが国家有為の人材を教育する旗印となった校歌も戦後の民主化によって見直しを迫られることになる。その対応についてもいろんなパターンが紹介されている。

 また男女共学という大変革にそれぞれの中学生、女学生がどう反応したかについて、興味深い報告が、男女共学による「異文化接触」(P114) として述べられている。例えば、神戸一中と県一高女の合併ではそれぞれが培ってきた文化の違いが表面化し、なかなかお互い馴染めなかったようだ。神戸一中は質実剛健、生徒はゲートル巻きスタイルで、昼食はグランドで立って弁当箱をもって食べたというほどのスパルタ教育の学校。陸士や海兵に多くの生徒が進学した。以前作家の小松左京(神戸一中出身で京大卒)が戦争で優秀な人間がみんな死んでしまって、僕らのようなボンクラが生き残ってしまったと自嘲気味に語っていたのを思い出した。方や県立一女は女子のエリート校として音楽教育も充実しており校歌も二部合掌で行われていた。昭和23年初夏の対面式の様子が記念誌から引用されているが、そのぎこちなさがひしひしと伝わってくる。でも以来76年男女共学は何事もなかったように定着している。こうしてみると埼玉県で問題になっている伝統校の男女共学化そんなに難しいことではない。やる気があるかどうかだ。

 校歌と言えば甲子園球場で行われる高校野球を思い浮かべるが、普段聞く機会がないので貴重な場だと思うが、パターン化の極致で聞いていて面白くない。私見だがメロディーが魅力的でないのが最大の欠点だ。盛岡一高の軍艦マーチなんかノリが良くていいと思うのだが、もし出場して勝ったら面白いことになるだろう。伝統校は甲子園に出場できる確率は少ないが、出場すると文武両道という大きな横断幕を作って、応援団は校歌や種々の応援歌を笑顔で披露してまさに青春真っ最中。まさに自尊心の発露の場になる。メディアもそれを助長・鼓吹するので彼らにとってまさに晴れ舞台だ。でも校歌なんか歌いたくもないという生徒がいるのも確かだ。例えば不本意入学した学校の生徒に校歌指導するのは結構労力がいる。その辺の事情を知って高校野球を見るのも面白い。

聖書の同盟 船津 靖 KAWADE夢新書

2024-09-07 09:16:08 | Weblog
 副題は「アメリカはなぜユダヤ国家を支援するのか」。イスラエルとハマスの戦いは終わりが見えない。バイデン大統領はイスラエルに戦闘の中止を働きかけるが、ネタニヤフ首相は聞く耳を持たない風を装っている。これだけアメリカに傲慢な態度を取れるのはなぜかという疑問がわくが、それを説いたのが本書である。アメリカは世俗国家という感じで捉えられているが、実はキリスト教の支配する宗教国家であるということを押さえておくべきである。大統領の就任式の宣誓を見ればわかるように神に誓っているのだ。このような中でユダヤ人の聖地帰還・建国運動であるシオニズムを、聖書の解釈(神学)に基づいて支援するキリスト教徒の運動を「キリスト教シオニズム」というが、それを担う「キリスト教シオニスト」が積極的にかかわって、イスラエル建国に貢献した。これが今のアメリカとイスラエルの「特別な関係」「聖書の同盟」を支えていると著者は言う。

 この両者の「特別な関係」を支える主な要素を著者は5つ挙げている。① 「聖地、聖書の民への親近感」②「建国神話・物語の類似性」③「前千年王国終末論の黙示思想」④「イスラエル(ユダヤ)ロビー」⑤「反ユダヤ主義・ホロコーストの罪悪感」。それぞれについて著者の簡潔な説明があるので、詳しくはそれを見ていただきたいが、④について、「アメリカ・イスラエル広報委員会(AIPAC)」が有名だが、ロビーの政治的影響力は誇張される傾向があるとのこと。ユダヤ系アメリカ人は現在人口の2%を切っており、投票では親イスラエルのキリスト教徒の方が多く、ユダヤ系大富豪の政治献金がものをいうとある。因みに2007年に出版された『イスラエルロビーとアメリカの外交政策Ⅰ・Ⅱ』(ジョンJミアシャイマー スティーヴンMウオルト 講談社)はこれについて詳細な報告があり、親ユダヤ・イスラエルのロビー団体が、アメリカ社会で影響力を発揮するのを容易にする環境を作った経緯を知ることができる好著である。

 本書はイスラエル建国以後の両国の関係とアメリカのキリスト教の歴史を通時的にわかりやすくまとめたものだが、その中でキリスト教福音派(原理主義)の進化論裁判の話題が面白った。裁判の発端は、1925年ごろ南部テネシー州議会が進化論を公立校で教えることを禁じる州法を成立させたことだった。米市民自由連合(ACLU)は州法で訴追された被告人を弁護して争う機会を探していて、小都市デイトンの若い生物教師ジョン・スコースプがACLUの説得に応じて進化論を教え、逮捕された。この裁判で検察側の証人に立ったのが元国務長官のウイリアム・ジェニングス・ブライアンであった。結局裁判は原理主義派が勝利したが、ブライアンは被告側の弁護士に天地創造説の矛盾を鋭く突かれ、四苦八苦する様子がラジオで全米に中継され新聞紙上で笑いものにされ、メディアから「無教養」「時代遅れ」の烙印を押されてしまった。ブライアンは名誉挽回の機会をうかがっていたが、裁判の5日ご急死した。このブライアンが原理主義に接近したのは、世界大戦のすさまじい破壊で、楽観的な世界観が崩壊したからで、リベラル神学による世俗化、キリスト教倫理の喪失が危機をもたらしたと考えた。そして大戦の原因とされたドイツの軍国主義は社会進化論(社会的ダーウイニズム=ダーウインの自然選択と適者生存の概念を社会や歴史に応用した思想)の影響であるとみて、社会的ダーウイニズムを敵と考えた。著者は、これはヒトラーのナチスが社会進化論の優生思想にによる障碍者の「安楽死」殺人からホロコーストへ進んだ歴史を考えると鋭い問題意識であった評価している。適者生存の社会思想は、敵対心や闘争心を煽り、弱者への同情や共感を消し去ってしまうという側面を持つということだろう。

 競争社会で切磋琢磨して発展することが善だという思想には著者のいうようにリスクが伴うことも確かだ。競争はごめんだという人にも住み心地の良い社会を担保することも必要だと思う。アメリカは自己責任の国で、チャンスをつかめば夢を実現できると言われているが、成功する人の割合は非常に低い。アメリカの大リーグを見ればわかるように、大谷のように活躍できる人間はごくわずかだ。その中で生きる糧を求めて神の加護を求めるメンタリティーは理解できる。アメリカにおいてキリスト教の諸派が依然として力を持っている所以だ。

赤と青のガウン 彬子女王 PHP文庫

2024-08-21 10:59:14 | Weblog
 本書は女性皇族による英国留学記で、10年前の単行本を文庫化したもの。現在30万部を超えるベストセラーとなっている。SNSである女性が内容が面白いと絶賛したことがきっかけで人気が広まり、文庫化されることとなった。中身は三笠宮家の彬子女王が5年間オックスフオード大学に留学して、日本美術研究をテーマに大学院博士課程を修了するまでの生活を振り返ったもので、皇族の生活の一端が垣間見ることができて大変興味深いものであった。「赤と青のガウン」とは博士課程を修了した者が卒業式で身にまとうことができる、まことに名誉なものらしい。博士論文を英語で書いて、論文審査に通ったということは並大抵の努力ではなかったろうと推察する。実際本書で、彬子女王は博士論文性胃炎で七転八倒したとユーモアたっぷりに書いておられる。

 本書のポイントは故エリザベス女王にバッキンガム宮殿に招かれて約1時間に及ぶ女王陛下と二人きりでアフターヌーン・ティーをした場面だ。「何をお話ししたかはぼんやりとした記憶しかない。でも、女王陛下が本当にお話し上手で、緊張している私のためにいろいろな楽しいお話をしてくださったこと、そしてお孫さまのウイリアム王子やヘンリー王子のお話をなさるときは、本当に柔和なおばあちゃまのお顔になられることがとても印象に残っている」と回想されている。全編平易な語り口でイギリス生活のあれこれが書かれており、読者は大いに関心を持って読んだことだろう。私が個人的に興味深かったのは「理解できない英国のあれこれ」の項の、「水と熱湯」のくだりだ。英国の水道の蛇口は二つあって、それぞれ水とお湯が出る仕組みになっている。日本のように水とお湯が混ざって一つの蛇口から出てくる仕組みになっていないそうだ。よって食器を洗う場合シンクに栓をして、お湯と水を調整しながら溜め、食器用洗剤を溶かして、その中でスポンジを使って洗い、洗剤の泡が付いたまま水切り籠に置き、そのまま布巾で拭いてしまうとのこと。これが蛇口二つの理由らしい。日本のように洗剤をきっちり洗い流す習慣はないとのこと。著者は最初これを見て驚愕したと述べている。以前イギリス映画を見た時、洗った食器を家族が丁寧に布巾で拭いていてヘーと思った記憶があるが、これだったんだと合点がいった。

 彬子女王は三笠宮寛仁親王と信子妃の第一女子で、寛仁親王は三笠宮崇仁親王(昭和天皇の弟君)と百合子妃の第一男子である。三笠宮崇仁親王はオリエント学者としても有名で『帝王の墓と民衆 オリエントのあけぼの』(光文社1957年)の著書がある。たまたま我が家の古い本だなを整理していて見つけたものだが、奇遇である。寛仁親王は2012年6月6日、66歳で薨去された。本書の末尾に「父・寛仁親王の思い出」として特別寄稿されている。ずいぶんと破天荒なお方だったようだ。それだけに彬子女王のお悲しみも一入だったと推察申し上げる。でも今はこうして著書がベストセラーになり、最近は高校野球のフアンとして開場100周年を迎えた甲子園球場で朝日新聞の取材に応じられるなど活躍されている。皇室に関しては毀誉褒貶あるが、象徴天皇制の維持のためにも頑張っていただきたい。

「モディ化」するインド 湊一樹 中央公論新社

2024-08-07 09:20:59 | Weblog
副題は「大国幻想が生み出した権威主義」。インドについてはカースト制の話はいろいろ書籍化されているが、それに比べて政治についてのものは少ない。本書は現下のインドでモディ政権が行っている強権政治の実態をつまびらかにして、「大国インド」の実相を明らかにした好著である。

 まず著者の結論を言うと、冒頭の8ページに、「世界最大の民主主義国」であるインドが「超大国」への道をひた走っているという見方は、あまりにも現実離れしていると言わざるを得ない。インドが経済や外交・安全保障の分野で困難に直面しているのは、現政権の政策に根本的な原因があると多くの専門家が指摘しているとある。そうだったのか。日本のメディアはこのことに触れることは少なく、したがって国民もインドの現況についての知識がない。これは日本国の現政権のスタンスによるのだろうが、「IT大国インド」が喧伝されるばかりで、モディ政権の政策についての報告は聞いたことがない。そもそもナレンドラ・モディ首相とはいかなる人物か。

 彼はインド西部の北グジャラートのメサーナ地区にあるワタナガルで生まれた。貧しい紅茶売りの子で、上位カーストに比べて社会進出や教育水準で遅れているその他後進諸階級の生まれである。現在74歳。その彼が首相の地位を獲得することができたのは、若い頃からヒンドウー至上主義の中心的組織である民族奉仕団(RSS)で活動して認められたことに起因している。インドの宗教についていうと、ヒンドウー教79,8%、イスラム教14.2%、キリスト教2.3%、シク教1.7%、仏教0,7%、ジャイナ教0.4%という内訳になっており、ヒンドウー教は圧倒的多数派だ。その強い影響下にあるのがモディ首相で、ヒンドウー至上主義の主流化は必然的に民主主義の形骸化をもたらす。中でもイスラム教徒に対する弾圧は座視できないものであるが、現政権は平然と暴力をふるっている。一般的に言って宗教的対立は暴力を誘発しやすく、政治体制がこれをコントロールするのは難しい側面がある。民主主義の原則は「話し合い」だが、それを抜きにした暴力の行使は、この一点で「世界最大の民主主義国」の看板は下ろさざるを得ない。

 このインドを西側の「普遍的価値を共有」する国と認めてよいのかということについて、著者はそれは説得力がないという。なぜならインドはウクライナ戦争をめぐって、国連でのロシアに対する非難決議では棄権を繰り返しているし、西側諸国が主導する経済制裁に加わらないどころかロシア産原油を安い価格で大量に購入し続けているからだ。インドにしてみれば外交的には中国との軋轢、隣国パキスタンとバングラデシュとの関係等々、内政的には宗教・貧困問題と課題山積の中で、どう舵を取るか苦慮する中での対応で、批判は無用ということだろう。しかし本書に書かれている政権の強権的施策は、中国共産党のやり方と相通ずるものがあり、とても民主主義的とはいえない。

 最後に著者は、インドについての現実離れしたイメージが大手を振ってまかり通る現実を何とかしなければならないとしながらも、逆に本当のインドを知ることの困難さも指摘している。日本にとって遠い国なのかもしれない。しかし今後重要な国になることは確かだ。

大阪の生活史 岸政彦(編) 筑摩書房

2024-07-11 10:02:12 | Weblog
 『東京の生活史』(2021年)『沖縄の生活史』(2023年)に続く第三弾である。テーマはそこにゆかりのある人物150人の聞き取り調査で、社会学のメソッドの一つである。『沖縄の生活史』は未読だが、太平洋戦争の激戦の地であり、米軍基地の問題等に苦しんできた生活が語られるのだろうが、ぜひ機会があれば読みたいと思う。今回は大阪で生活する人間の個人史が語られるが、私自身大阪で26歳から45年間府立高校教員として仕事をしたので、自分の生活史とかぶる話題が多く、面白く読ませてもらった。私が感じた大阪の特徴は三つ、1在日韓国朝鮮人の問題に取り組む運動体の活動が活発であること、2同和問題に対する取り組みが盛んで、これも1同様学校現場では必ず取り上げられる。3,もう一つは感覚的なものだが、人と人の関係で、他人に対するハードルが低いということである。

 1と2については出自を隠すかさらすかという問題が大きい。1では本名を名乗るかどうか、2では部落民宣言をするかどうか、これらは非常にセンシティブな問題で、単に宣言をすればいいというものではない。その後の各自の人生がうまくいくかどうかを見極める視点も必要だ。(難しいことだが)しかし1970年代は運動体の力が強い時期でもあったので、そういう流れが教育現場にも押し寄せてきた。特に2については府立高校の中でも温度差があった。解放同盟が支配下に置く学校では、当時の社会党系の教員が同和問題を独占化し、自分たちの主張を具現化させていった。そこでは部落民宣言はごく普通に行われていたと思う。したがってその学校に赴任した場合、そのやり方に従うことが要求された。全員がその趣旨に賛同するわけではないので、3~4年は我慢して転勤を目指すということになる。当時の教職員組合は主流派(共産党系)と反主流派(社会党系)があって隆盛を誇っていた。(今では考えられないがストも打っていた)

 そんな中、組合の大会に出ると、代議員がいろんな問題について発言するのだが、ある時、件の解放同盟系の高校の若い教員が、私の妻は元生徒で部落民ですが云々と自分ではなく妻の出自を公にしたのを聞いて驚愕したのを覚えている。40年以上前のはなしである。あの若い教員はその後どうしただろう。運動体の犠牲になっていなかったらいいのだが。私はノンポリの組合員だったが、この時代は生徒急増期で学校現場はある種の熱気を帯びていた。その後、組合の分裂で、それぞれめいめいに活動したが、組合員は激減した。当然だろう。

 この同和問題について本書で、茨木市出身の大北喜句雄氏が述べられているのだが、元々全日本同和会というのがあって、それが解放同盟に吸収されて今に至っているとのこと。解放同盟は運動に際して資金を確保することが重要で、このために当局と折衝して金を持ってくるようにしなければということであったようだ。解放同盟と裏金という問題は、この流れで理解する必要があるという。この解放同盟の重要なタクティクスが部落民宣言だ。大北氏の独白、「ただ、高2の時に、部落民宣言せんとあかんと言われて,それをしたのだけは、頭が真っ白になったのは覚えているけどなあ」。「頭が真っ白」とはまさに実感という気がする。高2の多感な生徒にとっては重いテーマである。この宣言運動の総括はなされたのだろか。

 3については、こちらに住んだ人間ならすぐ実感できると思う。私は特に男女関係について言えると思う。本書に出てきた人々の男女関係は、例えば織田作之助の『夫婦善哉』をはじめとする小説を読むと理解できる。なんでこんなにめんどくさい関係を持つのか続けるのかと思うが、当人たちは一切意に介していないようだ。逆にそれを楽しんでいる風さえ感じられる。自分を含め状況を客観化して見るという発想がないのかもしれない。男に泣かされる、女で苦労する、それも人生と割り切ればそれでいいのかもしれない。島倉千代子じゃないが、人生いろいろである。


 

ハロルド・フライの思いもよらない巡礼の旅 レイチェル・ジョイス 講談社

2024-07-03 12:54:39 | Weblog
 本書は最近映画になった「ハロルド・フライのまさかの旅立ち」の原作で、2012年に発表されたが、著者としては小説デビュー作で、いきなり英国文学最高の賞であるマン・ブッカー賞にノミネートされて大きな反響を呼んだ。もとはBBCのテレビ・ラジオに二十本を超える作品を提供してきた脚本家であったようだが、読んでいて登場人物の描き方が粒だっており、その片鱗をうかがわせる。その点で映画にし易い作品だと言えよう。映画の方はまだ未見だが、早くしないと終わってしまいそうだ。

 主人公はハロルド・フライ、65歳、長年勤めたビール工場を定年退職して半年が経つ。内向的で人づきあいが苦手、家では結婚して45年になる妻のモーリーンとは昔から関係は冷えたままだ。秀才の息子はケンブリッジ大学に行っていたが精神を病んで自死してしまった。一般的に言うと、厳しい老後を送りつつあるという状況だ。そんな中、フライのもとに一通の手紙が届く。手紙の主はクウイニー・ヘネシーという女性で、ビール工場時代の同僚である。彼女は20年も前に突然彼の前から姿を消したのだが、がんで余命いくばくもないという内容だった。フライはこの女性に世話になったことがあり、返事をしたためて投函しようとしたが、それよりもこのまま歩いて彼女のもとに歩いていけば、彼女の命を救えるかもしれないと思うようになった。そこでフライが住んでいるキングスブリッジから彼女がいるベリックまで800キロの道のりを歩き始める。

 小説は目的地にたどり着くまでの87日間の旅行記だ。途中、メディアの知るところとなり、それぞれの悩みを抱えた人や思惑を持った人を引き寄せて集団が作られ、「二十一世紀の巡礼の旅」などともてはやされたりもする。その中で様々な人間と交流する様子が生き生きと描かれる。今まで家に閉じこもりがちだったフライにとって新しい世界が開けていく。歩くうちにハロルドの心が徐々に開かれ、今まで直視することを避けてきた家族との過去のあれこれがよみがえってくる。旅先から妻に出す手紙や電話によって、冷え切っていた妻の気持ちも次第にほぐれていく。息子の早世はこの家族にとって痛恨の出来事だったが、この無理筋とも思える巡礼の旅によってその悲しみが昇華される記述は見事というほかはない。もと同僚のクウイニー・ヘネシーの死は避けられないが、彼女を献身対象とすることで、自身の苦悩から解放されていくという構図はまさに巡礼の旅そのものだ。この巡礼に参加した人々もそれぞれの人生があり、読者はそれを読んで、自分の今の境遇を相対化することができる。ここら辺、映画はどう描いているのか見てみたいものだ。

 800キロ離れた女性のもとに歩いていくというのは悟りを開くための旅と言えないこともなく、その強固な意志は宗教心と言ってもいいかもしれない。この旅を終えたフライは神や仏との機縁を持ちえたという意味で宗教者である。聖である。晩年になってこれを体験できたことはなんと幸福なことか。

シニアになって、ひとり旅 下川裕治 朝日文庫

2024-06-19 09:22:47 | Weblog
 タイトルが何とも寂しい感じだが、著者は1954年生まれで今年70歳だ。私は1951年で彼より三歳年上。年上だからといって自慢できることはない。彼の作品は近年朝日文庫で読めるが、大抵のものは読んでいる。昔は海外旅行のレポが多かったが、コロナの影響で旅行記が書けなくなったと言っている。そうなればたちまち収入減となり、生活が厳しくなる。自営業の厳しいところだ。今回は国内旅行記で、著者の人生回顧が織り込まれているところがミソだ。七章建ての構成で、デパート大食堂、キハ車両、暗渠道、フエリー、高尾山登山、路線バス、小豆島でお遍路となっている。

 この中で一番懐かしさを覚えたのは、第一章の「デパート大食堂が花巻にあった」である。マルカン百貨店は花巻市の老舗で、昔は繁盛していたが昨今の不景気で食堂のみが残ったという。そのマルカンビルの6階に著者は向かう。そこにあったのはたくさんの料理サンプルだった。お子様ランチ、プリン、カレー、ハンバーグetc。そこで著者はカレーとラーメンを注文する。因みにカレーは500円と安めの設定。これはフアミリー向けの工夫らしい。実際ここにはこども連れの家族がたくさん来ていた。それを見て著者は寒気を覚える。その理由をこう述べる。シニア世代の僕は、百貨店の大食堂を知っている。その空間に放り込まれたとき、懐かしさを通り越して寒気を覚える。子供時代の日々は、それほど甘美ではない。絡み合った両親との関係や妹との軋轢が渦巻いている。その世界が堰を切ったように浮かび上がってしまう。「ここはヤバい」僕はそう思ったと。どうも下川家の百貨店大食堂行は、団らんの場所ではなかったようだ。

 著者は自分の家族と百貨店大食堂の思い出をこう述べる。「子供の頃、たまに家族で長野市の丸光百貨店の大食堂に行った。日曜日だった。父親はいつもいなかった。父親は高校の教師だったが、高校野球に染まった人生を歩んだ。日曜日は対外試合でいなかった。そんな父親を母はどう思っていたかはわからない。しかし日曜日の昼時、母は何を思ったのか、僕と四歳年下の妹と三人で百貨店の大食堂に向かった」。これが先述の「寒気を覚える」の要因だと思われるが、百貨店の大食堂に集う一見幸福そうに見える家族も抱えている問題は多様だ。当たり前の話だが。

 私の百貨店大食堂の思い出は著者ほど心理的に込み入っていない。夏の海水浴に和歌山市の磯ノ浦に母と行って、帰りに市内の丸正百貨店の大食堂でお子様ランチを食べて、母の知り合いのKさん宅を訪問して帰るという感じだった。二歳下の弟も一緒だったが父親は同行することはなかった。父は下川氏の父上と同じ高校教師だったが定時制に努めていた。だから昼間は家にいることが多く、一緒に紀ノ川に魚釣りに行ったことを覚えているが家族で出かけることを好まなかったようだ。それでも家族関係について苦悩することはなく至って平穏に過ごしていたことは両親に感謝しなければならない。

 人生70歳を過ぎると、身内や友人との別れが多くなるが、それを乗り越えて生きていかねばならない。若い頃に見た風景と今見る風景は同じ風景であっても見た時に回顧が伴うという意味で番って見える。本書にはそういう感じが横溢していて共感できた。次の旅行記を楽しみに待ちたいと思う。


カーストとは何か 鈴木真弥 中公新書

2024-06-08 08:23:30 | Weblog
 副題は、インド「不可触民」の実像 である。インドは今や中国に代わって大国の地位を獲得しつつあるが、国内に眼を向けるとカースト制度による混沌があるようだ。著者はフイールドワークによって、不可触民(ダリト)の実相を報告してくれている。フイールドワークは国情の把握に有力な方法だが、現地の協力者を探すのが大変な苦労だ。これは『中国農村の現在』(中公新書)でも同じだった。中国では国内の政治体制による困難さがあり、インドではカースト制度による差別問題の困難さがある。でもこれだけの本にまとめたのは賞賛に値する。

 著者によると、カーストとは、結婚、職業、食事などに関して様々な規制を持つ排他的な人口集団である。各カースト間の分業によって保たれる相互依存の関係と、ヒンズー教的価値観によって上下に序列化された身分関係が結び合わさった制度である。バラモン クシャトリア、ヴァイシャ、シュードラの下に位置付けられているのが不可触民(ダリト)で皮革加工、清掃など穢れとされる職業に従事する。この身分差別はヒンズー教と関わっているところがポイントで、仏教が衆生済度を旨としているところと大いに違っている。宗教が民衆を分断するというのはどういうことなのであろうか。私はこの問題には不案内だが、研究する価値はありそうだ。

 冒頭に二人の政治家の紹介がある。一人は非暴力主義不服従による独立運動を展開したM・F・ガーンディー。もう一人は不可触民廃止運動を強力に展開したB・R・アンベードカルである。ガーンディーはカーストについては肯定的で、職業の世襲を重視し、先祖伝来の職業を継承することは社会的義務と主張していた。一方アンベードカルは不可触民差別の元凶はヒンズー教と考え、死去二か月前に仏教に改宗した。二人の死後、それぞれ「ハリジャン運動」「ダリト運動」として継承されている。ガーンディーは不可触民制を差別する側の心の問題と捉え差別するカースト・ヒンズーの改心によって問題を克服しなければならないと説いた。それに対してアンベードカルは不可触民が非差別的状況から抜け出すにはカースト・ヒンズーの憐憫にすがるのではなく、不可触民自身が教育を受けて広い視野を持ち従属的状況を自覚し、自力で改革に取り組まなければならないことを主張し続けた。 個人的にはアンベードカルの主張の方がわかりやすくて正論だと思う。学歴によって差別を乗る超えるというのは日本でもあることだからだ。しかし、本書後半で不可触民出身の高学歴カップルの話題が載っているが、その出自を隠すことに精力を費やす苦労が語られる。また高等教育での差別によって自殺者が増加しているという話を聞くと差別意識を払拭することの難しさを思わざるを得ない。

 さて不可触民の生活実態はどうかという問題だが、第三章の「清掃カーストたちの現在」と第四章の「インド社会で垣間見られるとき」に詳しい。ここはフイールドワークの成果だと言える。指定カースト「清掃人」の中でも「屎尿処理」とそれ以外の「清掃人」の扱いは明確に区別されると書かれている。中でも汲み取り式便所を掃除する「屎尿処理」はヒンズー教で最も不浄視され過酷な労働を強いられている。汲み取り式便所は乾式便所と言われるが、これを手作業で掃除する女性の写真が載せられているが言葉を失う。これはヒンズー教の浄・不浄の観念のもとで発達した身分意識だが、人権侵害の何物でもない。同じページにムンバイの下水清掃人の写真もあるが、三人の男性の体は汚物まみれだ。このトイレ問題は社会の民度をはかるメルクマールになるので、国を挙げてキャンペーンを今以上に強力に展開する必要があるだろう。それにしても「屎尿処理人」のカーストが解放されない限り解決は難しそうだ。

 それと「清掃カースト」の住居のにおいと彼らの食事(豚食と飲酒)が感覚的に差別感情を引き起こしやすいという指摘だ。ヒンズー教ではイスラム教と同様豚は不浄の動物と考えられ忌避の対象である。このにおいと食事は日々の生活を構成する重要な要素であるので、この点から言っても、差別意識を助長することはあっても、払拭するのは困難だ。時間が解決するという問題でもないので、IT王国インドの行方はそれほどバラ色ではない。全体主義国家中国のように9億の農民を犠牲にするという政策を臆面もなくとれるならいいが、インドは一応民主主義国家を標榜している手前、不可触民(ダリト)問題はを放置できないだろう。アンベードカルが不可触民差別の元凶はヒンズー教と考えたのは正鵠を得ている。宗教に組み込まれた差別問題は難問である。日本の部落問題の比ではない。

河東碧梧桐 石川九楊 文春学藝ライブラリー

2024-05-25 08:00:28 | Weblog
 本書は正岡子規の弟子で自由律俳句の先駆者であった河東碧梧桐の伝記である。同じ子規の弟子であった高浜虚子との対比によって守旧派と革新派の確執が語られる。彼は俳句のみならず書にも数多くの傑作を残しており、これを書家である作者が紹介しているところが本書の眼目と言える。書家碧梧桐という側面は私も知らなかったので、非常に興味深い。作者によると、碧梧桐は俳句と書とを「文筆」として一連のものとして考えていたようだ。友人の中村不折所有の中国六朝時代の書の拓本を見せられて魅了され、六朝書と俳句革命が連動しており、俳句革新の旅は書の「六朝」への革新の旅でもあった。

 「赤い椿白い椿と越智にけり」  「思わずもヒヨコ生まれぬ冬薔薇(ふゆそうび)」 これらは碧梧桐の代表作だが、これを六朝風の書体で書くとまさに芸術作品の風格を帯びてくるから不思議だ。ただ読んで耳で音を聞くだけでは不十分で、きれいな書体で書かれたものを鑑賞するのが基本的なやり方だという作者の説明はなるほどと感心せざるを得ない。本書は俳句の書体を様々分析しているところが眼目で非常に新鮮だ。ライバルの高浜虚子は碧梧桐の新傾向俳句、六朝書への傾倒ぶりを冷ややかに見ていたようだが、その対決姿勢は 春風や闘志いだきて丘に佇つ(昭和33年)という句に表れている。著者は、「闘志いだきて」という生硬な語を中句に収めたところに新規さがあるといえ、感情むき出しゆえの醜さが露呈していると酷評している。余談になるが、以前ある県の高校入試の問題にこの虚子の俳句が出題されて、作者の心情を問う設問があったと記憶する。このストレートな表現が中学生にピッタリという判断だったと思うが、この時の虚子はライバルを蹴落としてやるという青春真っ最中の中学生の純真無垢さとは無縁の感情であったことを出題者は理解していなかったのだろう。俳句の解釈も年代史的にやらなければ本当の心情はつかめないのではないか。

 著者曰く、虚子は子規や碧梧桐の俳句革新を嗤うように、俳句を季題・季語と音律数からなる短詩という通俗的な定義に割り切ることによって、大衆的な俳壇を形成し、その首魁としての位置を定めたのであると。この二人の関係を著者は「たとふれば双曲線のごとくなり」と表現している。確かに世の中このような人間関係はざらにある。碧梧桐は63歳で亡くなるが、虚子は85歳まで生きた。この点から言っても革新者碧梧桐の悲劇性はいやがうえにも盛り上がる。

 俳句を手書きにしてその書体を味わうことが大事だという著者の主張は目からうろこであったが、さらに続けて著者はいう、パソコン作文をデジタル文学とでも呼ぶようにすれば、芥川賞といっても過去と何たる違いと思い悩むこともなくなる。現在の芥川賞も従来の手書きによる芥川賞と、近年のデジタル作文の「e芥川賞」と「D芥川賞」と区別するようになれば、ずいぶんとわかりやすくなる。(中略)文学は「書くこと」=筆触から生まれてくる、その化体であるからであると。手書きの醍醐味は書家としての矜持の表れであり、彼の主張を旧弊なものとして退けることはできないだろう。とにかく碧梧桐の巨大な足跡を掘り起こし、今文学が直面する課題を提起したという意味で大いに評価すべき一冊である。