Ma Vie Quotidienne

一歳に二度も来ぬ春なればいとなく今日は花をこそ見れ

映画  アレクセイと泉

2014-03-04 22:56:57 | Movie


アレクセイと泉
製作 2001年 日本


これ、ずっと前から見たかったんですがチャンスに恵まれず、
ようやく見ることができました。


すごーくステキな作品でした。






ベラルーシ共和国ゴメリ州、ロシアとの国境に接するブジシチェ村。



1986年4月26日、
180キロ離れたチェルノブイリ原子力発電所の爆発事故によって
放射能に汚染されたこの村には、
2001年現在、
55人の老人と小児麻痺の後遺症のあるアレクセイという1人の青年が暮らしている。


6千人いた住民は、政府の移動勧告によって村を去った。


何百年、何世代に渡って大地を糧に営みを続けてきた彼らの生活は昔と変わらない。


収穫の夏は1年で一番忙しい季節。
人間と家畜の1年分の食料を蓄えるためのジャガイモの収穫には、
町に出て行った息子たちも手伝いに帰って来る。

夏の終わりには収穫祭。

そして、厳寒の冬には川や池に張った氷を割って川魚漁も行われる。

農閑期には皆静かに屋内で過ごす。
自分で編んでカゴを作る。糸をつむいで機を織る。

大半が自給自足で賄われ、
隣の村に移動するときは、農耕馬に荷台をつけただけの馬車に乗る。

人々は森から木を切り、丸太を斧で整え薪にして、
飼っている鶏を絞めて、かまどで料理して食べる。
村にはガスなんてない。
電気も明かりを取る程度のごくわずかなもの。
水道もない。


村人は泉まで来てはバケツで水を汲んで天秤竿で家まで運ぶ。
その水で料理をしたり家畜のえさを作ったりする。
バケツに水が無くなればまた泉まで行く。
それを一日に何度も繰り返す。


村人たちの心の拠り所となっている泉。


村や周囲の森には今も放射能が検出されているのだが、
その泉は、
不思議なことに、事故以来一度も放射能が検出されることなく、
綺麗な水を混々と湧出している。


村人たちはその泉を「百年の泉」と呼ぶ。
老人たちは「この水を飲んでいれば大丈夫」という。


村人たちは、この泉の恩恵を受け、祈りを捧げながら、
命を全うするのでしょう。
電気とか原子力とかの遥か前から、ご先祖がそうしてきたように・・・・。


(以上、映画紹介サイトから一部抜粋)



牧歌的な四季折々の風景と、水、風、土、木などの自然の音、
村人の声、当たり前の生活が坦々と映し出され、
強く深く五感に染み渡ります。


村の人たちは、
高い線量の土地で育てたじゃかいもやりんご、森で獲れたキノコ、
その土地の草を食んだ家畜の肉や乳を食べて暮らしているんだけど、
この泉の水で洗った作物、その水を飲んでいる家畜は、
浄化されちゃって、
放射性物質なんて検出されないんじゃないか・・・なんて、
非科学的なことを考えてしまいます。


それくらいこの村の営みは、
自然と人々の心が一体化して、感謝と祈りに満ちている。


アレクセイは言います。

「僕の体にはこの泉の水が流れている。
 その水が僕や他の村人を泉のもとに留まらせている。 
 村を離れた人もいつも村を思っている」

「昔からの言い伝えで、
 自分が生まれた土地の役に立つ人になりなさい、
 というのがある。
 僕はこの村で生まれてそこの役に立つためにここにいる。」






ある日、
泉の隣に作られた洗濯場の木枠が修理されることになった。

70才を越える男たちが
森で木を伐りノコギリやナイフなどのシンプルな道具のみで
木枠をこしらえていく。

次に修理が必要になるときには
もう村には誰もいなくなるだろう・・・・、
そう思いながら老人たちの仕事を手伝うアレクセイ。


この村は居住を許されていない地域なので、
地図上には存在していません。

55名の老人たちが、
一人また一人と天命を全うし、村人がどんどん減って、
この村が地図だけではなく本当に無くなってしまうまで、
アレクセイは見守り続けるのでしょう。




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