Ma Vie Quotidienne

一歳に二度も来ぬ春なればいとなく今日は花をこそ見れ

冬の北リアスと盛岡へ ⑤ 2日目は盛岡で美術館と博物館へ

2013-02-17 23:55:22 | Art/Performance
日曜日。
朝3時まで飲んでて朝9時に起きました。

妹と合流しブランチした後、
美術館と博物館めぐりをしました。

どちらも震災関連の展示をしているというのでそれ狙いです。

わたくし、出身地でありながら、盛岡の美術館・博物館は初めてでございます。



まずは岩手県立美術館へ。




常設展の「救出された絵画たち」がお目当てだったんですが、
ついでに企画展の「横尾忠則ポスター展」も見ました。




「救出された絵画たち -陸前高田市立博物館コレクションからー」は、
東日本大震災で壊滅的な津波被害を受けた陸前高田市の
市立博物館に展示されていた美術品の展示です。

陸前高田の博物館は、1959年に東北地方の登録第一号公立博物館として開館したそうです。

すごい!
東北第一号なんて!

陸前高田市は、
豊かな自然景観や歴史的遺産を生かした芸術文化活動推進のため、
市民が鑑賞や学習・製作・発表を行う場を整備する市政構想、
すなわち「カルチャービレッジ構想」を推進していましたので、
小さな地方都市にもかかわらず、
約15万点に及ぶ所蔵資料(内、美術作品約150点)を同博物館に収蔵していました。

それらはすべて先の津波で冠水し、多くが流出してしまいましたが、
一部流出を逃れたものが関係者の懸命なレスキューによって
こうして展示されるに至りました。

絵画を中心にレスキューの様子の紹介や、実際の作品を見ることができます。


美術作品はもちろんですが、
今回は美術品の修復の過程にすごく興味を持ってこの展示を拝見しました。
汚れだけではなくカビとの戦い。
丁寧に丁寧にレスキューしてくださっている様子がわかり、
胸がぐっと熱くなりました。

それとともに、
流されてしまった多くの作品や資料、そして「カルチャービレッジ構想」と人々の想い・・・・
津波は本当に多くのものを奪ったんだとあらためて思いました。

陸前高田には多くの芸術家さんがアトリエを持っていたことも知りました。
海と山に囲まれた豊かな土地で創作活動に取り組んでした方がたくさんおられたのですね・・・。

素晴らしい街の復興を心から応援したいと思います。



他の常設展も見ました。
岩手出身の萬鐵五郎(画家)、松本竣介(画家)、舟越保武(彫刻家)の作品。
それぞれの時代で苦悩しながら自分の内なるものを強く表現した作品の数々に
とても感動しました。


あとは、企画展の横尾忠則ポスター展。



やっぱ60年代ってすごいなーって圧倒されました(笑)
ものすごい時間かけてゆっくり見ちゃいました。



すごい一生懸命見てまわったので、
ちょっとのどが渇いてティータイム。




それから盛岡の郊外にある県立博物館へ向かいました。



お目当てはこちら。



平成の大津波被害と博物館。


岩手の津波の歴史と、
先ほどの陸前高田市立博物館の美術品以外の歴史・科学資料そのレスキュー時の様子、
そして他の市町村のそれについて展示してありました。



各地の津波被害の様子。



各地での文化財レスキューの様子。


昆虫とか植物の標本の洗浄は
羽や足や葉が破れてしまわないようにって
大変だったでしょうね・・・・・。


三陸の生態系を後世に残す資料の流出は大変な痛手でしょう。







伝統や大衆文化を伝える資料も
たくさんダメージを受けたり流されたりしたのでしょう。


そして、歴史的な重要資料も。



陸前高田や大船渡の辺りは江戸時代、仙台藩下の気仙郡に属し、
その大肝入(庄屋とか名主の別名)だった吉田家の住宅とその所有古文書や絵図は、
仙台藩の郡村支配、特に気仙地方の歴史をひもとき、究明していく上で
欠くことのできない第一級の史料とされて、
岩手県有形文化財に指定されていました。

しかしその住宅も津波に流されてしまったのです。


(参考資料)

いくつかの資料は流出を免れ、レスキューされました。









他の街にも同様に資料がありました。



宮古 盛合家。


大槌 前川家。


津波は個人の命を奪ったり、生き残った人の歴史を奪ったばかりでなく、
その町の歴史や文化の証も奪って行ってしまったんですね。

今後、子供たちが育って、また後世にその町のことを伝えていく、
そんな町づくりが復興に求められるのであれば、
本当に大変な道のりになるだろうなあと
あらためて復興の意味を考えされられました。


美術館、博物館ともにすばらしい展示を見せていただきました。
と同時に、
あーこういうの、津波の前にちゃんと見て知りたかったなー・・・なんて思ってしまったり。
後悔先に立たず、ですね。


でも全国の皆様がこういった資料の復元に協力してくださっているそうで、
子どもたちが自分の町を誇りに思えるような復興のかたちが
見えてくるといいなあと思いました。


さて、今回の旅、
北リアスめぐりとミュージアムめぐりで、
イーハトーブ岩手についてたくさん学んだなー。

こうした学びは次の良い旅に繋がります。
またの東北の旅を楽しみしたいと思います。


さて夕方になりまして、
前日に誘われたワインのイベントにちょっと顔だそうかなーと。


つづく。

2泊2.5日 宮城の旅 その⑥ 日本一心!K2ライブ in 仙台

2011-11-28 21:14:44 | Art/Performance
「こんなにいろんなことやってもまだ楽しみが残ってるなんて凄いよね」
とは妹の言葉。

はい、盛りだくさんの今回の旅、
マラソン終わって鰻食べて仙台に向かいましたのは、
吉川晃司のライブに行くためです。

十代の頃からファンで、
まあ二十代後半から最近まではライブとかは行ってなかったんですが、
今年4月にコンプレックス再結成とYahoo!で見て、
「やべー。これ絶対行くから。」
と宣言して以来、
聴く音楽、視る動画ははほとんど
コンプレックスか吉川晃司となっております(笑)

「日本一心」と掲げた旗のもと、
震災復興のためにともに頑張ろうと言ってくれたCOMPLEX。
7月30,31日の日本一心ライブは素晴らしい2daysとなりました。

そして秋には日本一心!吉川晃司ソロライブツアー。

札幌でもライブあったんですが、
どうせなら仙台行って観たら東北での経済活動にもなるし、
彼は宮城にボランティアに行ってるので、
思いも強いかもしれないし盛り上がるかなーなんてことで、
妹も行きたいということで
仙台チケット二枚購入したわけです。

またまた前置き長くなりましたが

仙台に着いて広瀬通りのホテルでマラソンの汗を流し、
てくてく歩いて仙台市民会館へ。



やっぱ来てる人の年代がちょい高めだよねー。
あ、私も含めてね(笑)
そっくりさんとか真似っこさんとかもいるし。

さてー、5時スタート。
セトリはこちら。

1.1990
2.RAMBLING MAN
3.IMAGINE HEROES
4.恋をとめないで
5.VENUS~迷い子の未来
6.RAIN-DANCEがきこえる
7.ジェラシーを微笑みにかえて
8.終わらないSun Set
9.INNOCENT SKY
10.Cloudy Heart
11.Black Corvette '98
12.MODERN VISION 2007
13.TARZAN
14.サバンナの夜
15.ラ・ヴィアンローズ
16.SPEED
17.Mr.Body & Soul
18.Fame & Money
19.The Gundogs
20.Juicy Jungle
encore
1.KISSに撃たれて眠りたい
2.あの夏を忘れない

コンプレックスの時同様、
歌って踊りまくりましたー♪
汗が滴り落ちるくらい(爆)

アンコールで出てきて歌う前に、
ちょっと長めのMCありました。

震災のこと。

福島のこと。
次の世代に残さずに自分たちの世代でケリをつけよう。

復興支援のこと。
いろんなことがあって環境が整わなかったり
元気が出なかったりして働けない人がいるなら
その人たちがまた元気になるまで、
働けるものが働いてカバーすればいいじゃないか。

その他諸々。

泣けた。

なんとなく同じ感覚。

わたしはねー、
仕事柄かもしれないけど、
みんな大変な傷を負ったあとのリハビリ中だと思ってる。

はじめはみんな現実を受け入れられなくて
ひねくれたり閉じこもったり甘えたりするけど、
こっちがあきらめずに熱く接したり、
それによってちょっとずつ結果が出たりしてくると
みんなちょっと笑うようになってくれて、
よっしゃ、もちょっとがんばろか。
手伝っちゃるからねーって感じで。

いままで20年以上そういう仕事をしてきてるので、
今回の震災のことや復興支援のことも
なんとなくそんな感覚。

でも私なんて微力なんで
キッカワみたいな人がいてくれるとうれしい。

あ、でも、MCのなかでこんなこといってた。
「俺なんてほんとに微力なのにそんなんでも横槍入れてくるやつらがいる」
みたいな感じのこと・・・。
え~?
なんだろね、それ。

まあいいよ。
わかる人、やれる人が一緒にやればいい。

とにかく良いライブでした。



このライブツアーの収益の全額とグッズ販売収益の一部は、
東日本大震災の復興支援の義援金として寄付されます。

楽しみにしていた ゴッホ展  @ 国立新美術館

2010-12-20 15:56:14 | Art/Performance
たくさんお寿司を食べて
パンパンに膨らんだお腹を抱えてヒルズからてくてく歩き、
国立新美術館へ。



お目当てはこちら、
この日最終日だったゴッホ展です。



フィンセント・ファン・ゴッホ

自画像 1887

オランダ生まれの19世紀を代表する画家。

27歳で画家になることを決意したゴッホは、
基本的にはほぼ独学で成長した画家で、
同時代の画家たちやその作品からさまざまなものを吸収し、
自らの作品に反映させていきました。

この展示会では、
ゴッホの代表作に加え、ゴッホに影響を与えた画家たちの作品、
ゴッホ自身が集めたコレクションなどが展示してあります。

サブタイトルは
「こうして私はゴッホになった」・・・・

初期の作品から自殺で他界する37歳までの画家としての歩みが、
非常に分かりやすく説明されている展示会だったと思います。


展示物は6部に分けてあります。

第Ⅰ章 伝統―ファン・ゴッホに対する最初期の影響
ゴッホは若い頃から
バルビゾン派、フランスの写実主義、オランダのハーグ派といった
巨匠たちの作品に親しんでおり、
彼らの作品や
それに影響を受けたゴッホの初期オランダ時代の絵画の展示。


第Ⅱ章 若き芸術家の誕生
素描の重要性を強く意識していた彼は、
多くの時間を素描の訓練、特に人物の素描に費やしました。
彼が試したさまざまな素描の技法や彼が集めた雑誌の図版、
さらに「パースペクティヴ・フレーム」と呼ばれる
遠近法を実践するための道具のレプリカなども紹介されています。


第Ⅲ章 色彩理論と人体の研究、ニューネン
1883 年暮れにニューネンに移住した頃には
ドラクロワの色彩理論を学び、人物画の研究に取り組みました。
ここでは農婦などをモティーフに描いたファン・ゴッホの初期の油彩が、
彼が参照したさまざまな色彩理論の書籍や絵具の分析、
そして影響を受けた他の画家たちの作品とともに紹介されています。

ジャガイモを食べる人々1885


第Ⅳ章 パリのモダニズム
パリ到着後のゴッホは当時の前衛であった印象派の研究を始め、
このころ作風が大きく変化します。
それをモネ、ピサロ、シスレー、スーラなどの印象派の作品や、
モンティセリ、ロートレックらの作品と比較していきます。

マルメロ、レモン、梨、葡萄1887


第Ⅴ章 真のモダンアーティストの誕生、アルル
1888 年2月にアルルに移ったゴッホは、
この南仏の町であの誰もがゴッホと認める独自の様式に遂に到達します。
また、芸術家たちによる理想的な共同体の実現を夢見たのも
このアルルでした。
呼びかけに応じて共同生活を送ったゴーギャンとの関係が、
その後のゴッホの人生に大きく影響していきます。

アルルの寝室 1888


第Ⅵ章 さらなる探求と様式の展開
    ―サン=レミとオーヴェール=シュル=オワーズ
有名な「ゴッホの耳切り事件」については諸説あるようですが、
このころにゴーギャンとの関係が破綻し、ゴッホは精神を病みます。
サン=レミの療養所を経て
オーヴェール=シュル=オワーズにて自ら命を絶つまでの
晩年の作品が紹介されています。

サン=レミの療養院の庭1889


よく目にするゴッホの作品ってアルル時代のものだと思うんですが、
今回の展示では
サン=レミ=ド=プロヴァンス時代の作品に見入ってしまいました。

それでもやはり私が一番好きなゴッホの絵は
今回は展示されていなかった、
アルル時代のこの作品なんですがね。

夜のカフェテラス1888
ゴッホの青と黄、
暖かさと寂しさ、いろんな相反するものを感じる作品です。
いろんな美術館や展示会でゴッホ作品を見てますが、
まだコレの本物を見たことが無いんですよね。
いつかきっと・・・・。

ついに! 歌舞伎デビューしました。

2010-12-19 17:42:57 | Art/Performance
寿司友Mさんは、
歌舞伎を観るためだけに年に何度も上京してるお方・・・。

この度、ご一緒させていただくことになりました~♪

毎月演目が変わるみたいですが、
今月は日比谷の日生劇場にてコチラの演目ということで。



通し狂言 摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)

人形浄瑠璃初演、安永年2月。
菅専助・若竹笛躬合作。
歌舞伎、明治18年7月。
大詰めの「合邦庵室」の場は歌舞伎の人気演目として
現在でもよく上演される。

継子に恋心を抱く若い継母の思いと
お世継ぎ問題がからみあうベタなテーマではありましたが、
「見取り狂言」ではなく「通し狂言」(後述)で観ることができたお陰で
歌舞伎狂言の醍醐味を知ることができました。


歌舞伎舞踊 達陀(だったん)
昭和42年2月歌舞伎座にて初演。
作・萩原雪夫、監修・平岡定海、振付・藤間勘齋(二世松緑)。
振付師の松緑が「お水取りを舞踊化したい」と発案し、
作者の萩原が前後3回、お水取りに参籠して構想を練ったとのこと。

「お水取り」は奈良の東大寺二月堂の3月行事。
もとは旧暦の2月1日から行われ
二月に修する法会「修二会(しゅにえ)」といい
二月堂の名に由来している大切な行事である。
「達陀(だったん)」の行法は
修二会の期間中、3月12・13・14日の3日間二月堂の内陣で行われる。
達陀=梵語で「火の苦行」。


東大寺に言い伝えられる
「青衣の女人(しょうえのにょにん)」のお話と、
実際にも行われる達陀の行法がテーマ。
歌舞伎舞踏はとても迫力があって、
3月に東大寺で行われる本物の達陀も見てみたくなりました。


    


ここでちょっと歌舞伎についてお勉強 byウィキ

江戸時代の歌舞伎は成立の過程から
(1) 歌舞伎踊り
(2) 歌舞伎劇
に分けられるともいう。

(1) 歌舞伎踊りは若衆歌舞伎までを言い、
  流行の歌に合わせた踊り
  (若衆歌舞伎は曲芸なども見せていたといわれる)を指す。
  またその後に創作された踊り主体の演目(歌舞伎舞踊)も
 含める場合もある。
一方、
(2) 歌舞伎劇は自然に現代に見られるような
舞踊的要素を備えた演劇となった。
若衆歌舞伎が禁止される際に、
幕府より「物真似狂言づくし」を義務付けられたことも
その一因となった。
つまり幕府は舞踊主体の公演は売色などを伴い、
風紀上望ましくないと考えていたのである。
演劇の内容は史実や物語、事件などを題材にして演じる芝居であり、
歌舞伎狂言とも呼ばれる。

現在に伝わる江戸時代に創作された歌舞伎狂言の演目は、大きく分けて、
(1) 人形浄瑠璃(文楽)の演目を書き換えたものと、
(2) 歌舞伎狂言として創作されたものがある。

(1) 人形浄瑠璃の演目を書き換えたものは丸本物と呼ばれる

内容としては、
(1) 江戸時代より前の時代に起きた史実を下敷きとした時代物と、
(2) その当時の世相を描写した世話物
に分けられる。

歌舞伎は江戸っ子にとって一日がかりの娯楽であり、
そのためもあって当時書かれた演目には概ね長大なものが多い。
しかし江戸時代も後期になると、
このように一つの演目だけ通しての上演(通し狂言)は稀となり、
一日の中で二つ以上の演目の人気場面をつなぎ合わせて上演すること
(見取り狂言)が一般化した。
これが今日にも連なる歌舞伎独特の上演形態となっている。

歌舞伎音楽について
長唄 ;歌舞伎の伴奏音楽として発達した音楽。
    舞踊劇や舞踊で演奏される(例:『勧進帳』『連獅子』など)。
    また囃子方と共に下座音楽を担当する。
義太夫節 ;人形浄瑠璃は、義太夫節(浄瑠璃の一種)の演奏に
      合わせて劇が進行する構成であり、
      歌舞伎でも人形浄瑠璃から移入した演目
     (『義経千本桜』『仮名手本忠臣蔵』など)は同様に
      義太夫節が演奏される。
人形浄瑠璃では登場人物の台詞と状況説明を全て
義太夫節の太夫(語り手)が行うが、
歌舞伎での台詞は基本的に役者が担当し、
太夫は状況の説明のみを語ることになる。


確かに歌舞伎はある程度の基礎知識がないと
物語の背景や人物設定が分かりにくいところがある。
「見取り狂言」仕立ての興行で発達した歌舞伎では、
複数の演目から人気の場や幕をのみを拾って見せるのが通常である。
また仮に「通し狂言」を上演したとしても、
そもそも歌舞伎には一日のうちに時代物と世話物、
荒事と和事、狂言と舞踊といった相対する分野を
くまなく網羅するという決まり事があるため、
例えば江戸の遊郭の遊女たちが羨望する粋でいなせな美男の助六が
実は姿を変えて父の仇討ちの機会を待つ
武士の曾我五郎(鎌倉時代に実在した人物)だったりする必然性があった。
こうした歌舞伎を愛する者にとっては当たり前な設定も、
明治の洋行帰りの知識人にとっては奇妙奇天烈な展開にしか見えなかった。

こうしたことを受けて歌舞伎様式の改良運動が起こった。
この運動のひとつの成果として、現在につながる歌舞伎座の開場がある。
また新派と呼ばれる、日本の新しい演劇形式が成立した。


    


ふむ~。
こうしてお勉強してみると
俄然また行きたくなってきました。
演目はまだまだ分からないものが多いので、
「この役者みたい」系で来年何回か観劇できたらいいなと思ってます。
私、昔から歌舞伎よりは人形浄瑠璃のほうがなんとなく好きで、
そっちも観たくなっちゃいました。
それには関西に行かなきゃならないのかな

オルセー美術館展 @ 国立新美術館

2010-06-19 07:54:03 | Art/Performance
Mさんと二人、銀座をあとにして向かいましたのは六本木。
私はミッドタウン方面、国立新美術館へ。
Mさんは前日に国立新美術館に行ったそうで
この日は森美術館へ。
私が前日に行ったヤツですね。
偶然なんですが、二人とも狙いが一緒でした
上京まえから分かっていたんですが、
「一緒に行きましょー」ってならずに
お互い自分のペースで動く感じが心地好いですね。

で、美術館。


初めて来た。

ここではパリのオルセー美術館展と
ルーシー・リーと言う陶芸家の展示を観ました。


オルセー展

ポスト印象派というテーマで115点の絵画を10部に分けて展覧してます。

1章 1886年 最後の印象派
2章 スーラと新印象主義
3章 セザンヌとセザンヌ主義
4章 トゥールーズ=ロートレック
5章 ゴッホとゴーギャン
6章 ポン=タヴェン派
7章 ナビ派
8章 内面への眼差し
9章 アンリ・ルソー
10章 装飾の勝利

7章と8章はナビ派と象徴派だったのですが、
なかなか面白かったです。

象徴派が求めたものは、目にみえない思想や魂を絵にしていくこと。
写実主義のクールベが「目で見えるものしか描かない」と言ったのに対し、
象徴主義のモローが「目に見えないも、ただ感じるものだけを信じる」
と言ったとか。
両者の立場の違いがわかります。
感じるものを信じて描くってなんかすごい。

なかでも
宗教的、神秘的な世界観のナビ派は
精神世界の神秘性みたいなところに惹かれるし、
日常生活に題材を求めた親密派は
普段目にする身近な光景の中の、
もしかしたら自分にも生じうる思いみたいなのを
想像できるところが面白い。


木々の中の行列  モーリス・ドニ 1893年


オルフェウス ギュスターヴ・モロー 1865年


ベッドにて エドゥアール・ヴュイヤール 1891年


ベッドでまどろむ女 ピエール・ボナール 1899年


あとは、
後期印象派ってことでゴッホとゴーギャンの展示も見応えありました。


星降る夜 フィンセンエト・ファン・ゴッホ 1888年


黄色いキリストのある自画像 ポール・ゴーギャン 1891年



ルーシー・リー展

ウィーン生まれの陶芸家。
ユダヤ人だったので大戦時にロンドンに亡命して創作活動を続け、
1995年に93才でこの世を去りました。



たくさんの作品が展示してありました。







作品のほかに彼女の直筆の釉薬レシピみたいなのもあって、
陶芸やってたらこういうの見て楽しいんだろうなと
近い将来ちょっとやってみたい衝動
衝動でもないか・・・
結構前からいつか陶芸教室にと思ってますので

で、大変満喫しました。

ボストン美術館展 @ 森アートセンター

2010-06-18 01:17:15 | Art/Performance
蕎麦屋で一杯引っ掛けて気分よく向かいましたのは
六本木ヒルズ。
森美術館で開催中の「ボストン美術館展」を拝見しました。



1.多彩なる肖像画
2.宗教画の運命
3.オランダの室内
4.描かれた日常生活
5.風景画の系譜
6.モネの冒険
7.印象派の風景画
8.静物と近代絵画

といった構成でした。

写実や古典、宗教画から印象派、抽象画、
いろいろと見応えあります。
あんまり美術詳しくなくて、
でも見るのは好きなんですが、
見に行くたびに、
美術の歴史みたいなのとか宗教とかちゃんと勉強したいと思うのです。
宗教画ってやっぱりバイブルとか読んだほうが
絵も見応えあるのかしら・・・と。

この展示会で一番好きだったのは、
トマス・ゲインズボロというイギリスの肖像画家が描いた
「エドマンド・モートン・プレイデル婦人」

ネットから取った絵では分かりにくいですが、
金色に輝くドレスとレースの透明感が本当に綺麗で、
最後にもう一度見に戻ってしましました。

この日は日曜日だったこともあり相当込んでいて、
人気のある絵の前ではなかなか前に進まず、
やや寝不足気味だったことと
昼に酒を飲んだこともあいまって、
立ちながら眠って膝がガクッとなってしまうこと度々だったので
途中イスに座って10分ほど眠ってまた見て周りました

満喫満喫。

医学と芸術展 @ 森美術館

2010-02-15 21:44:50 | Art/Performance
築地から新橋まで、みぞれの中を歩いて、
新橋駅前の安ホテルにチェックイン。
すぐにヒルズに向かいました。
森美術館で「医学と芸術展」といアート・エキシビジョンを観るためです。


1000円だって思っていたのに、
受付で、ビルの上の展望台の入場料と合わせて1500円といわれて
「は?」
と思わず言ってしまいました・・・

せっかくだから52階展望スペースからパチリ。

東京タワーも凍えております。

で、53階の森美術館へ。

医学と芸術・・・
古くは15世紀の解剖のデッサンや古い医療機器から
新しいものはクローンやその他の最新技術を揶揄したモダンアートまで、
結構なボリュームの展示会でした。

私も短大時代は骨や脳のデッサンしました。
しかも結構得意でした。
そういえばあの解剖のデッサンはどこに行ったんだろうか。
捨てたっけ?
昔から絵は成績が良かったんです。
子供のころ「陸上競技マガジン」かなんかの
ランナーやハイジャンパーの写真の模写するの好きだったし。
浮き出る筋肉とか「美しい」と思ってました。
だから今の仕事に就いたんですが。

働き始めてからも、
手術見学とかで見た膝関節の中の軟骨の白さとかにうっとりしたし。

人間ってアートですよね~。

展示会の中で特にすばらしかったのは
死とか老いに関するブース。

あ、あと前から興味があった松井冬子さんの絵を観ることができて
よかった。
彼女は人間の脳とか内臓とかがはみ出した人物画で有名な画家です

最終的には1500円分満喫した展示会でした。
6時に予約していた晩ご飯のお店に電話して
1時間ずらしてしまうほどゆっくりじっくり見学しました。