これほど長い期間に渡って「デフレ経済の不安」にさらされながら、政府の経済対策が不調に終始している現状は、多くの責任はメディアの幹部にある。
1980年代までの経済成長時代の経済政策に対して、世界がグローバル経済化された1990年代には、従来の経済学が通用しなくなっている現実がある。
ところが、メディアの幹部たちは、従来の認識を変えることなく、自分たちの主張の一貫性を守りたいがために、従来の論調を転換することを嫌うのだ。
自由貿易の積極的な進展が、経済成長を促進する。
世界経済が一つの市場に向けて、自由な競争環境で進化するのは良いことだ。
そのなかで、つよい企業が生き残って、自由市場でのすぐれた商品が、他の企業を圧倒して「消費者に良い商品経済」が発展する。などなど。
しかし、このような理想論は、とうの昔に崩れ去って、「弱肉強食の世界経済」が浸透すれば、多くの弱い立場の労働者が、脱落して貧困化する。
それを、救済するには「新自由主義経済学者」たちは、「セーフティネットを構築」して、最低限の生活保障を与える社会保障政策で保管するのが妥当だ。
経済活動そのものには、政府の干渉は無くして、規制緩和を徹底的に行えば、経済活動の活性化には最低な環境が生まれる。
その経済活動の収益を政府が徴収して、再分配を計るのが政府の責任である。
貿易の自由化を徹底して進め、企業活動の制約を最小に抑えれば、すべての人が恩恵にあずかれる。
これが、1990年代の主流であった「新自由主義経済」の幻想的な楽観論であった。
2000年代に入って、この経済論は各地で破綻して、特に先進国での失業率の増大、貧富の格差の拡大が、社会不安を引き起こす原因となってしまった。
各国の政府は再分配政策の力を入れ流にしても、利益の大きい企業からの徴収は無理であり、タックスヘイブンもあって、軒並み財政赤字に陥っている。
ついに、イギリス、アメリカの両国は、財政赤字のママ、経済対策をするには「異次元の超金融緩和」のよって、デフレ経済に「金融政策による介入」を始めた。
お金の流通量を大幅に増大させることが、デフレ対策になるのか、壮大な実験をしている状況だ。
しかし、低所得者層に恩恵が回ることはなく、経済の回復は道半ばにある。
日本も遅ればせながら、「超金融緩和政策」に転換して、円安誘導と株高を実現して「デフレマインドの払拭には成功」したようだ。
「トリクルダウン効果」は、もはや期待できないとして、安倍政権は「低所得者層の収入増加に積極的な介入を進める政策に転換した。
メディアの幹部は、自己保存の本能に縛られて、一貫性を損なう政策転換には、未だに後ろ向の論調で、経済政策の転換にブレーキをかける姿勢だ。
日本はメディアの論調がデフレの最大原因となっている。(続)