安倍政権の基本姿勢をじっくりと分析すると、日本の長期的な展望を踏まえての「国作りビジョン」が、欠落していることが非常に気にかかる。
特にエネルギー政策に関連した動きでは、当面を、とにかくつないでおくことだけに終始して、「国民の希望を汲み取った安心できる社会」への道筋が見えない。
長期的には、化石燃料の使用はゼロを目指すことで、世界の合意は進んでいるというのに、相変わらずに【石炭火力発電の重視】をかかげているのは、無定見の姿勢の最たるものである。
原発業界がいくらあがいても、日本のように国土が狭くて、災害にあう危険性が多い国では、できるだけ早期に依存度をゼロにしていくのが本来である。
このエネルギーの将来依存をどうしていくかは、1970年代の石油ショックが起きた時代では、国作りの基本であるエネルギー依存度を石油から切り替えていく。
石油の輸入先を紛争地の中東依存を減らして、輸入先を分散していく。
石炭の依存度も一定レベルは維持して、燃料備蓄が有利で安価な電源としての「石炭火力発電の技術」を進化させていく。
そして、少量の「放射性燃料から大量の電力エネルギー」がえられる【原子力発電】の技術開発を国策として導入し、将来の電力エネルギー源として、日本の各地に「地元の経済活動に貢献する原子力発電所」を建設していく。
このエネルギー立国の方向性は、日本の国民の理科が得られて、政府は、国作りの「骨太の方針」を決めることができた。
しかし、世界の情勢と地球環境問題の急激な展開によって、大きく転換を迫られる段階になっている。
その上に、電力業界の長年の癒着構造の弊害が仇となって、2011年3月11日の大事故で、原発の安全性に決定的な疑問点が浮上して、国民の信用を失った。
原発の安全性には100%安全はあり得ず、日本のような災害の大きい国土には、最も不向きな電源である。
1970年代には、原発以外の将来エネルギー源はなかったが、40年間も経過した現在では、「再生可能エネルギー」の技術進化の可能性は、原発を必要としない。
人類が必要とするエネルギー源は、すべて「再生可能エネルギー」でまかなえる技術開発を進めることで実現できる。
この重要な将来展望が、日本の政治家にはできていないので、いつまでも1970代の技術認識に囚われた、エネルギー依存度にしがみついている。
このエネルギー立国の展望を曖昧にしたままでは、日本の豊かさと希望の将来を、国民に示せる「長期ビジョン」を描くことはできない。
経済成長戦略の構想も、基本認識が曖昧な段階では、現状の研究段階の課題を、羅列しているだけで終始する。
これでは国民も経済界も、現状の維持に追われて、活力喪失社会に向かう。(続)