ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

日本では

2016-06-27 15:38:06 | 日記・エッセイ・コラム
日本には祈りがある。
国の真ん中に天皇が在る。
祈り主である天皇が在る。
民草が忘れても、
なおそこには祈りがある。
それが日本だ。
・・・・・
日本は祈りに満たされている。
天皇の祈りに。
天皇は様々な宮中祭祀を為されると聞く。
ところで当方はもっぱらの不見識である。
内実はさっぱり分からない。
いわゆる祝詞のようなものがあるのかどうか、
それも知らない。
とはいえ祈りを捧げるのである。
祈りの所作とともに、
声に出す出さないはともかく、
言葉はあるだろう。
神に捧げる言葉が。
その言葉に嘘・偽りがあってはならない。
その言葉に邪心があってはならない。
言うまでもない。
まことに天皇の言葉は「まこと」なのである。
どこまでも「真言」なのである。
それが天皇の言葉である。
それが天皇の祈りである。
・・・・・
天皇は歌を詠まれる。
御製という。
幾つかは公開されている。
歌そのものは祭祀ではないのだろうが、
歌は祈りである。
天皇の御製は祈りでもあるのだ。
また時にお言葉を出されることがある。
例えば東日本大震災の時のように。
それも祈りである。
また行幸されて民草に声をかけられることもある。
それも祈りである。
祭祀だけではないのだ。
天皇の言葉はすべからく祈りなのである。
だからである。
天皇を政治利用してはいけないのだ。
下世話を仕切るのが政治である。
下世話では駆け引きがある。
方便もある。
社交辞令もある。
下世話には下世話の言葉があるのだ。
天皇の言葉は祈りである。
絶対に政治利用してはいけないのだ。
言葉を汚すことになる。
ただ言えることがある。
この日本においては言葉は呪具なのである。
祈りの呪具なのである。
それは「まこと」でなければならない。
それが根底にある。
だから下世話の言葉もその延長にある。
言葉はすべからく真言なるべしである。
・・・・・
ついでに言うが、
神に捧げる言葉は神に捧げるだけではない。
先ずは己に問うものである。
己に問うて「まこと」なるべしである。
だからこそ、
その上でこそ、
神に捧げるのである。
それが世界平和であれ、
自身の健康長寿であれ。