ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

やっとである

2016-06-17 11:23:21 | 日記・エッセイ・コラム
東京都知事がやっと辞任表明をした。
マスコミは総バッシング状態であったが、
かくゆう私も同様であった。
普段はマスコミを批判的に見てるのだが、
今回ばかりは違った。
内心同調していたのである。
・・・・・
日本人には限らないが、
すぐれて日本人の特性だと思うのだが、
どうしても気に入らないことがあった。
それはである。
やっていることすべてに言えるのだが、
批判されてる問題も、
その問題への対応も、
すべからくそこに「おごり」や「傲慢」を見たのだ。
確かに、
出されていた問題は、
せこいことが多く、
法的にも問いにくいものであった、
ようである。
だが、
問題は金額の多寡ではない、
法律の問題でもない、
人間としての矜持である、
人間としての品格である。
政治は極めて泥臭いものである。
目の前にある世を仕切るものだから。
それは時に生臭く胡散臭いものになっても仕方ない。
きれいごとでは済まないのだ。
だからである。
根底には矜持・品格がなければならない。
それを保つのに一番の敵は「おごり」と「傲慢」である。
政治家の失脚は概ねそこにある。
否、政治家に限らない。
すべからくそうである。
・・・・・
唐突ながら言えば、
聖書はそれを語っている。
ひたすら謙虚であれと。
傲慢が支配したとき、人類は滅ぼされると。
大洪水やソドムとゴモラのように。
傲慢は滅びを惹起する。
神の怒りによって。
聖書はそう語っている。
世界最古の書物にして、
世界最大のベストセラーである。
そして今も厳として在る。
ちなみに、
その精神は日本の歴史・伝統・文化の中に生きている。
武士道はそれである。
茶道もそれである。
道と付くものすべてがそうである。