ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

厄介ではあるのだが

2016-06-10 10:17:05 | 日記・エッセイ・コラム
この世界は「もの」でできている。
生命体と生命体で無いものがあるが。
ともかく「もの」でできている。
それがすべてだ。
ならば唯物論的発想は的を射たものということになる。
そうなのかな。
どうも腑に落ちない。
・・・・・
「もの」は動いている。
すべてのものは動いてる。
一見動いてないように見える石でさえ。
そこに固有の振動がある。
さらに原子を見れば、
その周りを電子や陽子さらに他の素粒子が動いている。
その石を沢山集めれば星になる。
星は静止していない。
宇宙空間を動いている。
さらにその空間もどうも動いてるらしい。
・・・・・
もし「もの」が動いてないなら、
一億年前の宇宙も今もそして一億年後の宇宙もまったく同じなら、
そこに時はない。
時の意味がない。
動こそ時であり、そして時は事でもある。
事とは時の中の一局面なのだから。
動と時と事は親戚である。
それも近しい親戚である。
ここに「ことば」の深奥がある。
言葉とは書いて字のごとくだが、
言は事であり、
事の葉である。
言葉は一見「もの」にレッテルを貼ってるようだが、
それは「こと」を表現するためである。
「こと」こそ目的なのだ。
だから「ことのは」なのであり、
だから「もののは」ではないのだ。
もとより「ものごと」は一体で切り離せないのだが、
何より「こと」なのである。
・・・・・
英語では「ワード」と言うが、
その語源は知らない。
日本語で「ことば」と言うは、
これは日本人の思想であり、
これは日本人の骨肉である。
しかも「こと」を語るのにまがい物を嫌う。
それが「まこと」である。
さりながら、今の日本にはまがい物が氾濫している。
思うに、
日本人には唯物論は合わない。
リベラルはまったく合わない。