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ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

もうひとつの混乱

2015-03-10 11:18:16 | 日記・エッセイ・コラム
世界の混乱のもうひとつは、
ウクライナ問題である。
中東が何よりそうなのだが、
コーカサスおよび黒海周辺も人類の十字路であり、
古来多くの人々が行き来してきた。
もともと紛争の起こりやすい場所である。
・・・・・
世界を混乱させるため、
そこに紛争の種を播いた者がおる。
もとより混乱が目的だが、
それはロシア潰しでもある。
ともかくも合法政権であったヤヌコビッチを追い落とし、
独裁政権打倒の名のもとにクーデターを起こした。
明らかに非合法なものである。
そしてウクライナをロシアから引き離した。
去年7月のマレーシア航空機墜落も胡散臭い。
ロシアのミサイルが撃ち落したというが、
それも信用できない。
本当なら有無を言わせぬ証拠を示し保証させるべきである。
なのに結局うやむやである。
ほんとうのところは?である。
昨今の原油価格の暴落もどうも怪しい。
中東産油国のシェールガス潰しだという説もあるが、
ロシアを追い込むためではないのか。
西側諸国から経済制裁を受けてるロシアにとっては、
原油価格低下は非常に厳しいところである。
今年2月のロシア野党指導者ネムツォフの暗殺も解せない。
プーチンがやったと言うが、それは信じられない。
あれはあまりにもあからさま過ぎる。
プーチンならもっと分からないようにやるだろう。
・・・・・
ことほど左様に不可解なのだ。
計画的になされているとしか思えない。
ロシアは追い込まれている。
戦争を始めさせようとでもいうのか。
今のところプーチンは堪えている。
なかなか辛抱強い。
しかしこの状況は、
太平洋戦争前の日本に似ている。
さて、
どうなるのか。







世界を混乱させようとする者

2015-03-09 10:21:43 | 日記・エッセイ・コラム
世界を混乱させようとしている者がいる。
ひとつ、中東パレスチナ問題。
これは戦後に創られたものだ。
・・・・・
もともとは、
アラブ人もユダヤ人も平和に暮らしていた。
そこに無理やりユダヤ国家イスラエルを造った。
争いの種を播いたのだ。
それでもなんとか安定を保っていたのだが、
それも完全に潰された。
自由と民主主義の名において。
独裁は悪だと言って時の政権を潰した。
曰く、
イラクのフセイン政権、
エジプトのムバラク政権、
リビアのカダフィ政権、
そして今や瀕死のシリア・アサド政権。
さらにISによって揺さぶられているヨルダン政権。
残るはサウジとペルシャ人のイラン。
そして最後はイスラエルとイランの衝突か。
それにしても良く分からないのはサウジの立ち位置。
いづれにしても、
世界を混乱させようとする者がいる。
そして現に混乱している。
・・・・・
日本も既に巻き込まれている。
さりながら、
日本は日本の立ち位置を守りながら、
慎重に対処しなければならない。
日本の立場は明快だ。
棲み分けによる共生である。
民族自決である。
戦前から何も変わっていない。
もとより戦争は覚悟しなければならない。
だが決してしてはいけないのだ。
だから難しい。
・・・・・
その為には、
軍隊を持たなければならない。
強い軍隊を。
何より必要なのは覚悟と軍備である。
それが平和の礎である。
日本が世界の平和を担保しなければならない。
葉隠れと日本刀で。





客観という嘘

2015-03-02 13:15:10 | 日記・エッセイ・コラム
客観という言葉と、
主観という言葉がある。
一般的には対地される。
対立的に示されるのである。
そして往々にして、
客観を上位に、
主観を下位に置く。
・・・・・
人は見たものを、
見たままに、
感じたままに捉える。
主観である。
それをいくら突き詰めても、
主観は主観である。
どこまでも主観である。
自分以外の目で見ることはできないのだから、
それは免れない。
つまり客観など無いのである。
・・・・・
客観とは見立てである。
無いものを在るもののように見るのである。
では、どのような見立てか。
人間は一人ではない。
多くの人がおり、多くの目があり、多くの主観がある。
そのなかには多数の人に認められるものがあるだろう。
それが客観である。
客観とはすなわち主観であり、
多数の人に認められた選りすぐりの主観なのである。
・・・・・
何を今更である。
当たり前のことだ。
言いたいのは、
客観という名で主観を否定するな、
客観という名でもなお謙虚であれ、
ということだ。
それを忘れたら客観は嘘になる。
しかしながらである。
自分の言(主観)を立てる人は相手の言も認めるが、
皆の言(客観)だと言う人は往々にして相手の言を認めない。
それが現実だ。
よくあることだが、
平和や人権等という言葉を盾に、
自分は正しいと思いこみ、
人の話を聞こうともしない人がいる。
いやはや。