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ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

我れ思うゆえ

2014-02-19 09:40:13 | 日記・エッセイ・コラム

いつも言うことだが、言葉より思いが先である。

デカルトも言っている。

「我れ思うゆえに我れ在り」と。

もの「思うゆえ」とは、

もの思う力を持っているということである。

人間以外の生き物も当然持っている。

それゆえ生きているのである。

ならば、人間と他の生き物を分けているのは何か。

それは言葉だと思う。

言葉こそ人間と他の生き物を分けている。

・・・・・

言葉とはいったい何なのか。

一般的には意思疎通の道具だと言われている。

その通りではある。

だが、他の生き物も意思疎通をしている。

言葉なしで。

鳴き声、叫び声あるいはある種の行動を通して。

信号、合図の類である。

言葉も意思疎通の道具としては信号、合図などと変わらない。

相当高度ではあるが。

では言葉と合図の境界は何なのか。

他に何があるのか。

・・・・・

思うに、

言葉が合図と決定的に違うのは、

自分に問うことができる、

という点にある。

これこそ言葉が言葉たる所以である。

自分の発見である。

明確な自分、自我の確立である。

だが、それはまた別の問題を持ち込む。

自分は何者か。

何の為に生まれてきたのか。

何をすれば良いのか。

答えのない問題と向き合うことになる。

人間の業である。