いつも言うことだが、言葉より思いが先である。
デカルトも言っている。
「我れ思うゆえに我れ在り」と。
もの「思うゆえ」とは、
もの思う力を持っているということである。
人間以外の生き物も当然持っている。
それゆえ生きているのである。
ならば、人間と他の生き物を分けているのは何か。
それは言葉だと思う。
言葉こそ人間と他の生き物を分けている。
・・・・・
言葉とはいったい何なのか。
一般的には意思疎通の道具だと言われている。
その通りではある。
だが、他の生き物も意思疎通をしている。
言葉なしで。
鳴き声、叫び声あるいはある種の行動を通して。
信号、合図の類である。
言葉も意思疎通の道具としては信号、合図などと変わらない。
相当高度ではあるが。
では言葉と合図の境界は何なのか。
他に何があるのか。
・・・・・
思うに、
言葉が合図と決定的に違うのは、
自分に問うことができる、
という点にある。
これこそ言葉が言葉たる所以である。
自分の発見である。
明確な自分、自我の確立である。
だが、それはまた別の問題を持ち込む。
自分は何者か。
何の為に生まれてきたのか。
何をすれば良いのか。
答えのない問題と向き合うことになる。
人間の業である。