それはまた
人権ポン!
ん?じゃんけんじゃありません。
グー・チョキ・パーの話ではないのです。
大きな声では言えないが、
クルクルパーの話ですわ。
地政学でも言ったが、
旧大陸は根底に奴隷制度がある。
そも人権などはなかったのです。
人権は力とともにあるだけ。
力ある者にだけあるのです。
なのに今になって人権人権と煩いこと。
それでも本気なら、それも良しである。
でもそうではないだろう。
大方プロパガンダである。
さりながら、
プロパガンダとは言わずもがな宣伝であり、
それはそれを信じさせるのが目的、
結果信じる人が続出する。
言葉が武器とはこのことである。
クルクルパーは横に置いて、
問題は人権ポンを言い出した人間。
まあ人権という言葉だけではない、
それに類するリベラルチック言語、
それらはすべてがそれです。
・・・・・
ちなみに日本は違います。
米を大切につくる農業の国です。
天皇陛下も自ら田植えをし稲を育てる。
そんな国です。
でも大平原はない。
山間や河口付近の扇状地が主。
その土地は山また山で移動は厄介、
運搬はもっぱら船であった。
海洋国家だからそこは得意。
島や海岸伝いにそして河川を利用する。
海洋国家の面目躍如。
農業国だがもとより海洋国であり、
漁業国であるのだ。
そんな国。
地政学でも言ったが、
現に実際にもそうで、
指導者はいるがそれ以外は基本的に平等。
国をしらすひと、天皇陛下があり、
一君万民と言い、そのもとで平等。
もとより役割分担は当然で、
それに指示伝達もあるから、
そこに序列ができるも必然。
それが時に権威主義に陥る。
問題はどこにでもあるのだ。
でも根っこは明らかに平等。
だから人権という言葉は生まれなかった。
そんな抽象的な概念は必要なかったのだ。
そこは人間という言葉で十分であったと。
江戸時代中期の東北の医師安藤昌益は言った、
医術の前には武士も町人もないと。
ともに同じ人間なのだから。
そも身分とは階級ではない。
文字通り身を分けるもので、
各自の生き方の様式である。
それに家業を継ぐのが第一、
選択肢も余りなかったかと。
そこには過度な支配被支配の関係はなく、
それは奴隷がいないということで、
大方心魂では皆自由人あったか。
それがバラバラにならないで、
調和して社会を成してきた。
それは一君万民だからで、
中心があったからです。
だから人権など不要、
そも同じ人間には。
・・・・・
人権と人間の違い。
人権とは実のない脳内の幻想である。
人間とはまさに目の前の現実である。
これは決定的に違う。
かたや方便としては有用である。
だから本来悪くはないのだ。
だがとかく虚言となる。
かたや目の前の現実である。
言いも悪いもない。
どこまでも「真言」なのだ。
まことの国・日本では、
人権という言葉は実に必要ではない。
方便として利用しても、
むやみに振り回すものではなかろう。
だって、
僕らは人権ではない、
僕らは人間だもの、
だっちゅうの。
人権ポン!
ん?じゃんけんじゃありません。
グー・チョキ・パーの話ではないのです。
大きな声では言えないが、
クルクルパーの話ですわ。
地政学でも言ったが、
旧大陸は根底に奴隷制度がある。
そも人権などはなかったのです。
人権は力とともにあるだけ。
力ある者にだけあるのです。
なのに今になって人権人権と煩いこと。
それでも本気なら、それも良しである。
でもそうではないだろう。
大方プロパガンダである。
さりながら、
プロパガンダとは言わずもがな宣伝であり、
それはそれを信じさせるのが目的、
結果信じる人が続出する。
言葉が武器とはこのことである。
クルクルパーは横に置いて、
問題は人権ポンを言い出した人間。
まあ人権という言葉だけではない、
それに類するリベラルチック言語、
それらはすべてがそれです。
・・・・・
ちなみに日本は違います。
米を大切につくる農業の国です。
天皇陛下も自ら田植えをし稲を育てる。
そんな国です。
でも大平原はない。
山間や河口付近の扇状地が主。
その土地は山また山で移動は厄介、
運搬はもっぱら船であった。
海洋国家だからそこは得意。
島や海岸伝いにそして河川を利用する。
海洋国家の面目躍如。
農業国だがもとより海洋国であり、
漁業国であるのだ。
そんな国。
地政学でも言ったが、
現に実際にもそうで、
指導者はいるがそれ以外は基本的に平等。
国をしらすひと、天皇陛下があり、
一君万民と言い、そのもとで平等。
もとより役割分担は当然で、
それに指示伝達もあるから、
そこに序列ができるも必然。
それが時に権威主義に陥る。
問題はどこにでもあるのだ。
でも根っこは明らかに平等。
だから人権という言葉は生まれなかった。
そんな抽象的な概念は必要なかったのだ。
そこは人間という言葉で十分であったと。
江戸時代中期の東北の医師安藤昌益は言った、
医術の前には武士も町人もないと。
ともに同じ人間なのだから。
そも身分とは階級ではない。
文字通り身を分けるもので、
各自の生き方の様式である。
それに家業を継ぐのが第一、
選択肢も余りなかったかと。
そこには過度な支配被支配の関係はなく、
それは奴隷がいないということで、
大方心魂では皆自由人あったか。
それがバラバラにならないで、
調和して社会を成してきた。
それは一君万民だからで、
中心があったからです。
だから人権など不要、
そも同じ人間には。
・・・・・
人権と人間の違い。
人権とは実のない脳内の幻想である。
人間とはまさに目の前の現実である。
これは決定的に違う。
かたや方便としては有用である。
だから本来悪くはないのだ。
だがとかく虚言となる。
かたや目の前の現実である。
言いも悪いもない。
どこまでも「真言」なのだ。
まことの国・日本では、
人権という言葉は実に必要ではない。
方便として利用しても、
むやみに振り回すものではなかろう。
だって、
僕らは人権ではない、
僕らは人間だもの、
だっちゅうの。
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