欧米の個人主義は覇道に陥りやすい。
自分が在って世界が在る、のだから。
自分中心になりやすいのだ。
てか、自分中心である。
だからこそ、所謂近代革命が起こったとも謂える。
王侯貴族だけが特権を享受し、他は奴隷か奴隷のごとしなのだから。
一般市民が力を持ってくれば、疑問が出てくるのは必定である。
結果「自由・平等・友愛」や「人権」という言葉が出てきたのである。
キリスト教という宗教的風土もあって。
でも注意すべきは博愛ではなく友愛であるということだ。
あくまで仲間内だけである。
根が個人主義だから、そこが限界である。
・・・・・
だから、苛烈な植民地支配も意に介さない。
何しろ自分が在って、世界が在るのだから。
力があれば世界は自分の思いのままである。
征服したもの勝ちなのだ。
だから覇権争いが起きる。
力のない被植民地はもっぱら蹂躙されるまま。
力のある者同士では争いが絶えない。
時に妥協して適当に支配領域の線を引く。
個人主義の当然の帰結である。
何度でも言うが、自分が在って世界があるのだ。
世界は自分の為に在るのだ。
その意識から逃れられない。
・・・・・
シナ(や朝鮮)はもっと酷い。
彼らも個人主義であるのだが、その上に中華思想があるのだ。
自分中心の上に更に自分中心なのである。
まったき力の世界であり、力のない者はひたすら従うのみ。
事大主義も韜光養晦もそれであり、常に日和見なのである。
だから中央に力がある間は何とか治まるが、力がなくなれば泥沼となる。
それが彼らの歴史である。
もともとは彼らにも信仰があったのだろうが、
今や欧米のような信仰の根もなく、
自由や平等などという言葉は使っても、
そこに意味などまったくない。
あるのはもっぱら自分の都合だけ。
その点は欧米より始末が悪い。
・・・・・
日本は違う。
個人主義ではないのだ。
なら集団主義なのか。
そうとも言えるが、
それよりも、
場中心主義とでも言ったほうがいいだろう。
自分が在るのは自分の力によるのではない。
場があってこそである。
場から生まれ、場に生かされ、そして場に立つ。
自分と場は一体なのだ。
場とは世間や自然を含む、この世界のすべてである。
考えたら分かるだろう、
欧米やシナの発想こそ偏っているのであり、
日本の発想は現実であり真理である。
ゆえにこそ日本に覇道はない。
王道あるのみ。
その象徴(心柱)が天皇である。
・・・・・
先の戦争では欧米は誤解をしていた。
いやむしろ知ってて誤解したのかも。
日本には覇道がないのに。
大東亜共栄圏とは覇道による支配ではない。
棲み分けによる共生とその上での緩やかな連帯、
そんな王道の世界を目指したのである。
戦前の日本人はそれを理解していた。
だからこそ硫黄島や沖縄などで命を賭して戦ったのである。
自分(命)を守ると場(国)を守るとは同義であり、
そのことに殉じたのである。
祈念あるのみ。
自分が在って世界が在る、のだから。
自分中心になりやすいのだ。
てか、自分中心である。
だからこそ、所謂近代革命が起こったとも謂える。
王侯貴族だけが特権を享受し、他は奴隷か奴隷のごとしなのだから。
一般市民が力を持ってくれば、疑問が出てくるのは必定である。
結果「自由・平等・友愛」や「人権」という言葉が出てきたのである。
キリスト教という宗教的風土もあって。
でも注意すべきは博愛ではなく友愛であるということだ。
あくまで仲間内だけである。
根が個人主義だから、そこが限界である。
・・・・・
だから、苛烈な植民地支配も意に介さない。
何しろ自分が在って、世界が在るのだから。
力があれば世界は自分の思いのままである。
征服したもの勝ちなのだ。
だから覇権争いが起きる。
力のない被植民地はもっぱら蹂躙されるまま。
力のある者同士では争いが絶えない。
時に妥協して適当に支配領域の線を引く。
個人主義の当然の帰結である。
何度でも言うが、自分が在って世界があるのだ。
世界は自分の為に在るのだ。
その意識から逃れられない。
・・・・・
シナ(や朝鮮)はもっと酷い。
彼らも個人主義であるのだが、その上に中華思想があるのだ。
自分中心の上に更に自分中心なのである。
まったき力の世界であり、力のない者はひたすら従うのみ。
事大主義も韜光養晦もそれであり、常に日和見なのである。
だから中央に力がある間は何とか治まるが、力がなくなれば泥沼となる。
それが彼らの歴史である。
もともとは彼らにも信仰があったのだろうが、
今や欧米のような信仰の根もなく、
自由や平等などという言葉は使っても、
そこに意味などまったくない。
あるのはもっぱら自分の都合だけ。
その点は欧米より始末が悪い。
・・・・・
日本は違う。
個人主義ではないのだ。
なら集団主義なのか。
そうとも言えるが、
それよりも、
場中心主義とでも言ったほうがいいだろう。
自分が在るのは自分の力によるのではない。
場があってこそである。
場から生まれ、場に生かされ、そして場に立つ。
自分と場は一体なのだ。
場とは世間や自然を含む、この世界のすべてである。
考えたら分かるだろう、
欧米やシナの発想こそ偏っているのであり、
日本の発想は現実であり真理である。
ゆえにこそ日本に覇道はない。
王道あるのみ。
その象徴(心柱)が天皇である。
・・・・・
先の戦争では欧米は誤解をしていた。
いやむしろ知ってて誤解したのかも。
日本には覇道がないのに。
大東亜共栄圏とは覇道による支配ではない。
棲み分けによる共生とその上での緩やかな連帯、
そんな王道の世界を目指したのである。
戦前の日本人はそれを理解していた。
だからこそ硫黄島や沖縄などで命を賭して戦ったのである。
自分(命)を守ると場(国)を守るとは同義であり、
そのことに殉じたのである。
祈念あるのみ。
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