ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

相似象

2017-07-03 15:32:09 | 日記・エッセイ・コラム
自由・平等・友愛はまあ良い言葉です。
友愛が自由・平等の囲い込みにならなければ。
友愛が博愛の入り口であるなら。
・・・・・
よく似た事象に華僑がある。
華僑は本国を出て流浪する華人のことだが、
いろんな説明があるがまあそんなとこです。
彼らは地縁や血縁で繋がっており、互いに助け合う。
これは必然である。
知らぬ土地にいけば誰でもそうするだろう。
結果世界各地に中華街ができる。
すべてが所謂華僑とは限らないだろうが。
ともかく彼らは固まる。
特に経済的に。
古の国「商」にちなんで商売する人を商人というが、
シナ人はすぐれて商人なのだ。
「金は天下の回りもの」とは彼らの言とも謂うが、
その場合の天下とはつまり仲間内のことである。
これは友愛と同じである。
自由とか平等という発想はなさそうだが、
とりわけ金においてはまさにそうである。
その点だけは相似象のようだ。
・・・・・
いつも言うことだが、シナには祈り(信仰)が無い。
だからである。
余人を交えず自分に向き合うことがない。
自分と同じように他人を見ようとしない。
他人は無視でどこまでも自分中心である。
それが中華思想なのだが。
だから人を信用しない。
すべて自分の都合で計るだけ。
そういう社会である。
それでも地縁・血縁は何とか信用できる。
だからその中で固まる。
シナ国内でもそうだが、異国ではなお更である。
それが華僑であり、華僑のネットワークとなる。
そうは言っても、時に信用できるとなれば外とも付き合う。
でなければ発展は覚束ないだろう。
まあ例外である。
昨今よく言われているが、
シナのアフリカなどに対する支援は多くを身の内で回し、
地元(支援国)にはほとんど益を落とさない、
などと。
まさに華僑的発想である。
自分の都合だけで、他人は顧みない。
そこはまったく同じだ。
・・・・・
日本人とは水と油だ。
日本人も移民先では日本街を作る。
そこは当然同じだ。
だが「郷に入れば郷に従え」である。
土地になじみ人になじめば同化する。
そして土地の人となる。
日本人の矜持を持ち続けたとしても。
だから多くの日本街はさびれていく。
それも良しである。
そこが中華街と違うところだ。
友愛は博愛に繋がるのだ。
中華街はどこまでも中華街たらんとする。
友愛を博愛にしようとはしない。
勿論例外はあるだろう。
韓国にはそもそも中華街が無いらしい。
シナ人も敬遠してるのか?
日本ではどうだろう。
神戸と横浜の中華街はなかなか有名である。
それに結構町に溶け込んでいる。
・・・・・
リベラルは明らかに誤魔化している。
友愛を博愛であるかのごとく。
多くの欧米人は勿論本気で博愛だと思っている。
たぶん嘘はないだろう。
でも支配者・権力者はそうは思えない。
自分たちの利益だけを求めている。
それが所謂1%と99%と言われる所以である。
ならそれは中華思想と変わらない。
得意の言葉で言いくるめているが。
だから戦前も今も、
欧米とシナは裏で繋がっている、
と私は思っている。
それにしても同床異夢である。
お互いの利害がぶつかれば必ず争うことになる。
現にぶつかっている。
だとしてもシナは負ける戦いはしない。
最後は得意の面従腹背だろう。
それにしても、これから世界はどう動く?
まことに興味深い。

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