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ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

瑞穂の国

2015-06-26 10:10:23 | 日記・エッセイ・コラム
日本列島は平和の島である。
力が支配する旧世界、
そういう世界を嫌い脱出してきた人々が住んでいる。
もちろん、その前から人はいただろう。
だが、それはもっと昔に来たのだろう。
更に、もっともっと昔にも来ただろう。
よく分からないのだが。
・・・・・
脱出して来た人々は偶然来たのではない。
その多くは日本列島を目指したのである。
周りを海に囲まれた要害であり、
海山の恵みに満ちている。
金銀財宝等はあまり望めないが、
生きていくには素晴らしい地である。
この地の情報をどう得たのか分からない。
あるいは既に同朋がいたのかもしれない。
どちらにしても目指したのである。
歴史にそういう痕跡が見られる。
国生神話である。
・・・・・
平和の島で主に稲作をして生きてきた。
とはいえ「コップの中の嵐」ではないが、
争いが無かった訳ではない。
弥生の争乱や戦国時代などというそれなりの戦いはあった。
「和をもって尊しとなす」とし、
一方的に力が支配するのを嫌ったのだが、
治めるには力もいる。
政治には権力が必要なのだ。
さりながら、
政治権力をそのまま存在の核心には置かない。
では存在の核心には何があるのか。
そこにあるのは天皇の祈りである。
祈りも力のひとつと言えなくもないが、
旧世界のごとき力ではない。
人をやみくもに縛らない。
ちなみに、
だからこそ奴隷制がなかったのである。
・・・・・
そういう国なのである。
そもそも外国を攻めるという発想がない。
江戸時代の鎖国もその一貫である。
力づくを好まない。
和の国である。
ただ、国を守るときは命を掛ける。
損得でなく命を掛ける。
でも普段はそうではない。
「実るほど首を垂れる稲穂かな」である。
力は秘めてこそ、
力は皆の為に使ってこそ、
の国、
瑞穂の国である。








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