ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

芸能の国

2015-02-02 17:24:51 | 日記・エッセイ・コラム
日本の芸能は神事である。
神様に奉納するものである。
それが始まりである。
・・・・・
神社には本殿の前に舞台のようなものがある。
祭りの儀式を行なう場である。
儀式ではたいてい舞が奉納される。
笙などの演奏とともに。
それらは参拝者に見せるためではない。
神様に奉納するものである。
だから本来は祭主が自ら為すものである。
もちろん祭主の代理でもよいのだが。
ゆえに、祭主やその代理人は芸事にたけている。
そういう稽古事を小さい頃より積んでいるのだ。
もちろん、参拝者も皆それぞれ奉納すればよいのである。
だが、時間も場所も能力もない。
だから託すのである、それを為す者たちに。
自らの奉納に替えて。
それが日本の芸能である。
・・・・・
古く芸事は貴族のたしなみであった。
舞もそうだが和歌などの唄も。
すべては芸事である。
武家時代になっては武人のたしなみともなった。
舞はもちろんだが、
武人の本分である戦いも芸となる。
すなわち武芸である。
剣、槍、薙刀など皆武芸となった。
今でも普通に見ているものがある。
それは相撲である。
相撲は本来神事である。
神様に奉納するものである。
奉納相撲と銘打つものもあるが、
もともと奉納するものなのだ。
全国の祭りの中には、
相撲を奉納するものが幾らもある。
一人相撲というのもある。
正しくは一人一神である。
神様と相撲を取っているのだ。
定かではないが、
一人相撲こそ相撲奉納の始まりではないかと、
思う。
・・・・・
芸を極めるのが道である。
けだし道に終わりはない。
所詮極めるきることはできない。
でも極めようとする。
その極めようとする生こそ道である。
祈りの民である日本人は芸の民であり道の民である。
現今言われる「クールジャパン」は正にその芸能の発揮である。
日本は芸能の国なのである。












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