私にとっては自明の理である。
言葉とは現実に対する後付のレッテル貼りである。
一人歩きすれば最後は嘘になる。
祈りの無い言葉は必ず嘘になる。
・・・・・
日本人にとって言葉は祈りである。
さりながら庶民はそのことに余り気付いていない。
まあ仕方ない。
日常は利害得失の世界だから。
でも時折に顔を出す。
ここ一番で。
まことは常に我らの傍らにある。
まことは常に言葉の内にある。
就中、天皇の言葉は「まこと」である。
常に「まこと」である。
世間の言葉とは違う。
利害得失とはまったき無縁である。
宮中では数多の祭祀が行なわれているが、
そこでの言葉は如何にあるのか。
口に出して詠まれるのか、
心の内で念じられるのか、
知るよしもない。
ともかく、神に捧げるのである。
まさに祈りである。
・・・・・
年の初めには、歌会始めというのがある。
広く国民から歌を集めて披露する。
一年の言祝ぎとして。
この時はもちろんだが、
天皇も多くの歌をお詠みになる。
御製と言う。
歌は理屈ではない。
心の内奥から発する思いであり祈りである。
歌でなく言葉を発せられることもある。
詔という。
最も印象深い詔は「終戦の詔」である。
戦争はちょっとしたきっかけで始まる。
だが、終わらせるのは難しい。
それは今のイラクやアフガニスタンなどを見ればよく分かる。
日本はそれをこともなく為した。
その様子を映したフイルムがある。
それを見れば分かる。
真に詔の力は大きい。
詔が無ければどうなったことやら。
・・・・・
天皇は理屈を言わない。
説明をしないのである。
説明は残念ながら嘘の始りになる。
そこにはどうしても自分の都合が入る。
そして弁解や説得に汲々となる。
そもそも、神様には弁解も説得も通用しない。
「まこと」の心で祈るのみ。
その祈る主、祭る主、それが天皇である。
天皇はまさにそのように在る。
それが日本であり、
それが日本の柱である。
言葉とは現実に対する後付のレッテル貼りである。
一人歩きすれば最後は嘘になる。
祈りの無い言葉は必ず嘘になる。
・・・・・
日本人にとって言葉は祈りである。
さりながら庶民はそのことに余り気付いていない。
まあ仕方ない。
日常は利害得失の世界だから。
でも時折に顔を出す。
ここ一番で。
まことは常に我らの傍らにある。
まことは常に言葉の内にある。
就中、天皇の言葉は「まこと」である。
常に「まこと」である。
世間の言葉とは違う。
利害得失とはまったき無縁である。
宮中では数多の祭祀が行なわれているが、
そこでの言葉は如何にあるのか。
口に出して詠まれるのか、
心の内で念じられるのか、
知るよしもない。
ともかく、神に捧げるのである。
まさに祈りである。
・・・・・
年の初めには、歌会始めというのがある。
広く国民から歌を集めて披露する。
一年の言祝ぎとして。
この時はもちろんだが、
天皇も多くの歌をお詠みになる。
御製と言う。
歌は理屈ではない。
心の内奥から発する思いであり祈りである。
歌でなく言葉を発せられることもある。
詔という。
最も印象深い詔は「終戦の詔」である。
戦争はちょっとしたきっかけで始まる。
だが、終わらせるのは難しい。
それは今のイラクやアフガニスタンなどを見ればよく分かる。
日本はそれをこともなく為した。
その様子を映したフイルムがある。
それを見れば分かる。
真に詔の力は大きい。
詔が無ければどうなったことやら。
・・・・・
天皇は理屈を言わない。
説明をしないのである。
説明は残念ながら嘘の始りになる。
そこにはどうしても自分の都合が入る。
そして弁解や説得に汲々となる。
そもそも、神様には弁解も説得も通用しない。
「まこと」の心で祈るのみ。
その祈る主、祭る主、それが天皇である。
天皇はまさにそのように在る。
それが日本であり、
それが日本の柱である。
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