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ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

始まりを想う

2023-01-23 09:06:36 | 日記・エッセイ・コラム
何の始まりかと言うと、
人間の始まりである。
それはつまり言葉の始まりである。
そのことを聖書は、
ものがたりとして記している。
アダムとイヴのものがたりで、
楽園追放のものがたり、
として。
ヒトは人間になったのだが、
ときに楽園を追放されたと。
示唆に富んだものがたりである。
まことに、
まことに。
・・・・・
それは禁断の木の実を食べたことから始まる。
であるが、
これは宗教でもなく勿論科学でもない。
分かりようのないものを説明する為の、
苦肉の策であり、
それを日本では方便という。
方便とは嘘ではない、
やむを得ぬの生活の知恵であり、
必要なものなのです。
そしてここから宗教や哲学が起こり、
やがて科学が生まれるのである。
それらすべての基となって。
それがものがたりです、
総じて神話と言う。
神話は世界の始まりや人間のゆえんを語るもの、
すべては神話に始まるのです。
にしても私は神話に通じてる訳ではない。
知ってるのはほんの少し。
その中では言葉の起源は語らない。
てか言葉を持ったから語るのだが、
言葉は言葉を語らない。
唯一聖書はそれを遠まわしに言及する。
冒頭で言ったようなものがたりとして。
それをヨハネは、
新約聖書の中で、
初めから在ったと言い、
それは神そのものだと。
それを手に入れたのです人は。
にしても言葉はさておき、
こういう話は神なしでは語れないのか。
在るものを在るというだけなのに。
ともかくも、
始まりの始まりは困惑ばかり。
それを想う。
・・・・・
言葉の始まりは脳にある。
ときに全身全霊で感応した「いまのおもい」を、
音として発する。
ときにおもいが音に張り付く。
ときの「いまのおもい」がである。
それが念である。
それが脳内に留まる。
それが始まりだと。
一過性なら只の合図であり言葉にはならない。
にしても、そこには音(声)が関わる。
留まるには音が必要なのだ。
それも人の口から出る音が。
それが人が言葉を覚える初めだと。
現に赤ちゃんはそうしているのだろう。
なら耳の不自由な子は?
そこは微妙だが、
そこにも音の特性があろうと。
目は瞑れば見えない。
耳は24時間365日開かれている。
それに音は耳だけではない、
身体の全細胞に届いている。
眠っているときにもだ。
音(の波動)は常に届いている。
それが音の特性である。
そこで音を想う。
音には母音と子音がある。
母音は長く発せ続けられるが、
子音は破裂音であり瞬時で消える。
子音だけでは念にはならない。
それに言葉の初めは単音(短音)だろうと。
複雑な発音から始まるとは思えない。
ならそれは母音であったろう。
ちなみに母音の数は決まってる訳ではない。
日本では五つだが、
世界では四つや六つ七つのところも?
日本でも五つ以上あったことも。
その始まりが母音だったとして、
それでは余りに数が少なすぎる。
さりながら解決できるのである。
それは母音の前に子音を置けばいいと。
それだけで聞き分けられるオトの数は、
飛躍的に増える。
それが今の日本の50音図である。
ここに妙がある。
日本語は母音と子音+母音、
この2種のオトを重視する。
それを音の単位とする。
そして一文字をあてる。
それが先記の50音図。
これが言われるところの「一音一意」である。
オトの一つひとつに一つの意味があると謂う。
想えばこれこそ言葉の初めのような気がする。
日本語はそれを残している。
なんとも興味深いことです。
・・・・・
ところで、
一音一意である日本語は同時に一字一意である。
それが50音図であるがその本体はオトである。
でも日本には漢字もあるのです。
その起源は横に置いて、
もはや歴とした日本語、
これこそまさに一字一意である。
漢字はその主体はオトではない、それは絵である。
見ただけで意味が取れるのです。
そこが凄いところ。
一音一意かつ一字一意の日本語は、
音と絵を駆使するスーパー言語。
そんな言葉を平然と使い回す。
これが日本人の特典である。
こんな稀有なことはない。
ハイ!