つまりミーハーである。
これは私のことである。
テレビは見ないと言っているが、
それはニュースやニュースもどきのことです。
特にワイドショーである。
ドキュメンタリー番組も余り見ない。
あからさまな偏向もあるが、
こっそり入れてくるのもあって、
これが返ってむかつくのだ。
中にはバラエティーに潜り込ませるのもある。
それも気に入らないが、
好きなアイドルなどが出ていれば、
つい見てしまう。
ミー(私)はハー(彼女)を見たくなる。
ということです。
それを私はミーハーと言っている。
世間でもそのようです。
・・・・・
先の日曜日のことです、
チャンネルを回してたらローラさんが出ていた。
MCは林某でしたがそれでも見てしまいました。
「初耳学」という番組であった。
彼女は今アメリカに住んでいる。
久しぶりに見たが、相変わらず魅力的でした。
その時の話です。
スリランカで生まれ、そこで育ったが、
後に日本にきて、ときに日本の小学校に通った。
でもである、言葉が全然分からないのだ。
普通は落ち込むのだが、彼女が素晴らしいのはそこからです。
分からないなりに全神経で場を察知して、
それなりにコミュニケーションをしたと。
語彙はひとつ、オーケー(OK)である。
楽しいときは前向きにOKOKとジェスチャー交じりに。
悲しいときも前向きにかつ趣きをかえて。
ほとんどOKという言葉ひとつで。
後にテレビで活躍しているときも、
そのフレーズが大活躍したのです。
勿論彼女自身が持ってる性根があってのこと。
ここで言えるのは、
言葉がすべてではないということ、
言葉以前の思いこそ大事だと。
以前も言ったように、
言葉は印(しるし)導(しるべ)でしかなく、
それ以前に思いがあるのです。
圧倒的な魂の躍動として。
それを私は無私の想像力と言う。
ローラさんはそれを活用したのです。
OKという言葉ひとつで。
まことに素晴らしい。
・・・・・
それを聞いていた林某さんがぽつりとつぶやいた。
彼は確か東大出身でしかも国語の先生をしている。
語彙は豊富で言葉使いが巧みである。
これは現在のことだが、
たぶん小さい頃から頭がよかったのだろう。
その人の話である。
私は言葉に頼り、すべてを言葉で表そうとする。
ローラさんとは対極にあり、
そこは私に欠けているかと。
これは正確な言辞ではないだろう。
録画もしてないし…。
頭もボケているし…。
でもそのとき思ったのです。
この話は以前私が言ったことに沿っていると。
言葉は脳内につけた「しるし」であり、
それは事柄を表現するのに効力がある。
でも印は印だけで在るのではなく、
無私の想像力と伴にある。
無私の想像力の内にある。
無私の想像力こそが本体である。
印だけを見れば明瞭に思えるが、
本体を見失えば嘘になる。
だから気を付けなければならないと。
優秀な脳を持っていれば尚更。
だから言うのです、
分かるとは分かったような気になるだけ、
煎じ詰めれば結局分かってないことに気付く、
疑問はどこまでも残るのです。
そういうもんです。
ずっとそう言ってきた。
その思いは変わらない。
・・・・・
結論。
林某は典型的な東大脳かも。
自分から言ってたし。
これは誹謗しているのではない。
得てしてそう成り易いものだと。
ついでに言えば、
無私の想像力とは60兆個も在るという人間の細胞が、
眼前の世界(宇宙)に呼応して脳に伝えたものであり、
しかも時々刻々と流れており、これはもう無限大です。
日本の歴史伝統文化はそれを知っていた。
それを肝に銘じていた。
最近余り聞かなくなったが、
「身体に聞く」や
「腑に落ちる」というのがある。
これらの言がその証です。
日本はそれを持っていた。
たぶん今も。
これは流行りのポリコレとは対極にある。
こんな流行り物で日本を壊そうとしても、
それは無理でしょう。
そう言うことですが、
油断は禁物、
注意しましょう。
これは私のことである。
テレビは見ないと言っているが、
それはニュースやニュースもどきのことです。
特にワイドショーである。
ドキュメンタリー番組も余り見ない。
あからさまな偏向もあるが、
こっそり入れてくるのもあって、
これが返ってむかつくのだ。
中にはバラエティーに潜り込ませるのもある。
それも気に入らないが、
好きなアイドルなどが出ていれば、
つい見てしまう。
ミー(私)はハー(彼女)を見たくなる。
ということです。
それを私はミーハーと言っている。
世間でもそのようです。
・・・・・
先の日曜日のことです、
チャンネルを回してたらローラさんが出ていた。
MCは林某でしたがそれでも見てしまいました。
「初耳学」という番組であった。
彼女は今アメリカに住んでいる。
久しぶりに見たが、相変わらず魅力的でした。
その時の話です。
スリランカで生まれ、そこで育ったが、
後に日本にきて、ときに日本の小学校に通った。
でもである、言葉が全然分からないのだ。
普通は落ち込むのだが、彼女が素晴らしいのはそこからです。
分からないなりに全神経で場を察知して、
それなりにコミュニケーションをしたと。
語彙はひとつ、オーケー(OK)である。
楽しいときは前向きにOKOKとジェスチャー交じりに。
悲しいときも前向きにかつ趣きをかえて。
ほとんどOKという言葉ひとつで。
後にテレビで活躍しているときも、
そのフレーズが大活躍したのです。
勿論彼女自身が持ってる性根があってのこと。
ここで言えるのは、
言葉がすべてではないということ、
言葉以前の思いこそ大事だと。
以前も言ったように、
言葉は印(しるし)導(しるべ)でしかなく、
それ以前に思いがあるのです。
圧倒的な魂の躍動として。
それを私は無私の想像力と言う。
ローラさんはそれを活用したのです。
OKという言葉ひとつで。
まことに素晴らしい。
・・・・・
それを聞いていた林某さんがぽつりとつぶやいた。
彼は確か東大出身でしかも国語の先生をしている。
語彙は豊富で言葉使いが巧みである。
これは現在のことだが、
たぶん小さい頃から頭がよかったのだろう。
その人の話である。
私は言葉に頼り、すべてを言葉で表そうとする。
ローラさんとは対極にあり、
そこは私に欠けているかと。
これは正確な言辞ではないだろう。
録画もしてないし…。
頭もボケているし…。
でもそのとき思ったのです。
この話は以前私が言ったことに沿っていると。
言葉は脳内につけた「しるし」であり、
それは事柄を表現するのに効力がある。
でも印は印だけで在るのではなく、
無私の想像力と伴にある。
無私の想像力の内にある。
無私の想像力こそが本体である。
印だけを見れば明瞭に思えるが、
本体を見失えば嘘になる。
だから気を付けなければならないと。
優秀な脳を持っていれば尚更。
だから言うのです、
分かるとは分かったような気になるだけ、
煎じ詰めれば結局分かってないことに気付く、
疑問はどこまでも残るのです。
そういうもんです。
ずっとそう言ってきた。
その思いは変わらない。
・・・・・
結論。
林某は典型的な東大脳かも。
自分から言ってたし。
これは誹謗しているのではない。
得てしてそう成り易いものだと。
ついでに言えば、
無私の想像力とは60兆個も在るという人間の細胞が、
眼前の世界(宇宙)に呼応して脳に伝えたものであり、
しかも時々刻々と流れており、これはもう無限大です。
日本の歴史伝統文化はそれを知っていた。
それを肝に銘じていた。
最近余り聞かなくなったが、
「身体に聞く」や
「腑に落ちる」というのがある。
これらの言がその証です。
日本はそれを持っていた。
たぶん今も。
これは流行りのポリコレとは対極にある。
こんな流行り物で日本を壊そうとしても、
それは無理でしょう。
そう言うことですが、
油断は禁物、
注意しましょう。