ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

ミーとハー

2021-05-10 10:59:33 | 日記・エッセイ・コラム
つまりミーハーである。
これは私のことである。
テレビは見ないと言っているが、
それはニュースやニュースもどきのことです。
特にワイドショーである。
ドキュメンタリー番組も余り見ない。
あからさまな偏向もあるが、
こっそり入れてくるのもあって、
これが返ってむかつくのだ。
中にはバラエティーに潜り込ませるのもある。
それも気に入らないが、
好きなアイドルなどが出ていれば、
つい見てしまう。
ミー(私)はハー(彼女)を見たくなる。
ということです。
それを私はミーハーと言っている。
世間でもそのようです。
・・・・・
先の日曜日のことです、
チャンネルを回してたらローラさんが出ていた。
MCは林某でしたがそれでも見てしまいました。
「初耳学」という番組であった。
彼女は今アメリカに住んでいる。
久しぶりに見たが、相変わらず魅力的でした。
その時の話です。
スリランカで生まれ、そこで育ったが、
後に日本にきて、ときに日本の小学校に通った。
でもである、言葉が全然分からないのだ。
普通は落ち込むのだが、彼女が素晴らしいのはそこからです。
分からないなりに全神経で場を察知して、
それなりにコミュニケーションをしたと。
語彙はひとつ、オーケー(OK)である。
楽しいときは前向きにOKOKとジェスチャー交じりに。
悲しいときも前向きにかつ趣きをかえて。
ほとんどOKという言葉ひとつで。
後にテレビで活躍しているときも、
そのフレーズが大活躍したのです。
勿論彼女自身が持ってる性根があってのこと。
ここで言えるのは、
言葉がすべてではないということ、
言葉以前の思いこそ大事だと。
以前も言ったように、
言葉は印(しるし)導(しるべ)でしかなく、
それ以前に思いがあるのです。
圧倒的な魂の躍動として。
それを私は無私の想像力と言う。
ローラさんはそれを活用したのです。
OKという言葉ひとつで。
まことに素晴らしい。
・・・・・
それを聞いていた林某さんがぽつりとつぶやいた。
彼は確か東大出身でしかも国語の先生をしている。
語彙は豊富で言葉使いが巧みである。
これは現在のことだが、
たぶん小さい頃から頭がよかったのだろう。
その人の話である。
私は言葉に頼り、すべてを言葉で表そうとする。
ローラさんとは対極にあり、
そこは私に欠けているかと。
これは正確な言辞ではないだろう。
録画もしてないし…。
頭もボケているし…。
でもそのとき思ったのです。
この話は以前私が言ったことに沿っていると。
言葉は脳内につけた「しるし」であり、
それは事柄を表現するのに効力がある。
でも印は印だけで在るのではなく、
無私の想像力と伴にある。
無私の想像力の内にある。
無私の想像力こそが本体である。
印だけを見れば明瞭に思えるが、
本体を見失えば嘘になる。
だから気を付けなければならないと。
優秀な脳を持っていれば尚更。
だから言うのです、
分かるとは分かったような気になるだけ、
煎じ詰めれば結局分かってないことに気付く、
疑問はどこまでも残るのです。
そういうもんです。
ずっとそう言ってきた。
その思いは変わらない。
・・・・・
結論。
林某は典型的な東大脳かも。
自分から言ってたし。
これは誹謗しているのではない。
得てしてそう成り易いものだと。
ついでに言えば、
無私の想像力とは60兆個も在るという人間の細胞が、
眼前の世界(宇宙)に呼応して脳に伝えたものであり、
しかも時々刻々と流れており、これはもう無限大です。
日本の歴史伝統文化はそれを知っていた。
それを肝に銘じていた。
最近余り聞かなくなったが、
「身体に聞く」や
「腑に落ちる」というのがある。
これらの言がその証です。
日本はそれを持っていた。
たぶん今も。
これは流行りのポリコレとは対極にある。
こんな流行り物で日本を壊そうとしても、
それは無理でしょう。
そう言うことですが、
油断は禁物、
注意しましょう。