ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

神という概念

2021-05-24 10:02:45 | 日記・エッセイ・コラム
最近雑誌で読んだのだが、
中華世界には神の概念がない、
との記事があった。
その人はそういうことを記していたが、
なるほどと思いました。
神と謂う字はシナにもあるだろうに。
てか元々シナのものだろうに。
なのに概念がない?
とは…。
・・・・・
シナは祖先崇拝である。
今もそうである。
だから夫婦別姓なのだ。
夫婦別姓でなければ先祖には遡れない。
双系にすれば遡れないのです。
限りなく分散するから。
ちなみに今の皇室の問題はここにある。
皇室典範に記されている通り、
男系男子でこそ大古に遡れる、
それが皇室たる所以なのです。
であるのに…。
ちょっとそれたが、
彼の国の祖先崇拝は男系を軸に父祖に遡る、
そういう祖先崇拝である。
だから男尊女卑であり、
女は子を産む道具でしかなく、
それも男子を産まなければ疎まれる。
勿論子はすべて父方に属し父方の姓を名乗る。
この祖先崇拝は父祖には遡れるが、
どこまでいっても父祖でしかなく、
つまり人(それも父方の)なのだ。
そういう祖先崇拝である。
そこに神の影はない。
だから神を意識する機会がないのだ。
神概念がないと言われるのも頷ける。
大古にはあったのだろうが。
神話も残っているようだし。
孔子先生は言っていた「我鬼神を語らず」と。
これは合理的な思考だけで物事を語ろうとの、
そういうことらしい。
孔子先生自体は祈る人であったのに。
結果祈りから神を遠ざけてしまった。
そしてその教えが定着した。
しかも宗教化してしまった。
神仏という柱がないままに。
それが儒教である。
そんなこんなで、
自分中心は誰だってそうなのだが、
それがどこまでも自分中心となり、
今日見られるような、
他人を顧みない思想、
中華思想と相成った。
・・・・・
日本も祖先崇拝はある。
というか祖先崇拝は人類の基本だろう。
ちなみに女系で遡るのは基本的にできないと。
生理的に難しいのです。
女が子を産む数は限られる。
それに女系となれば女子でなければならない。
だから常に断絶の危機なのだ。
男ならその危険は少なくなる。
それでも世界は広いから女系社会もあるようだ。
それはライオンの群れに似ている。
雄はほとんど居候状態(部外者)。
ところが日本の皇室は大いに異なると。
男系男子だから父祖(初代天皇)に行きつくが、
それは血としては天照大神に繋がる。
なんとそれは女神である。
男系とはいえ女性なのです。
しかも人でありながら神です。
まことに霊妙なり。
だから日本に男尊女卑はない。
むしろ逆である。
宮中では陛下のことを「おかみ」と言うようだが、
それは「御上」と言うことらしい。
「上」を「神」としても構わない。
庶民は昔は家を仕切る女性を「かみさん」と言っていた。
男達の間では「やまのかみ(山神)」とも。
料亭や旅館では「おかみ(さん)」と言う。
庶民の間ではむしろ女性が上位なのだ。
今も変わっていない。
日本の女性運動が変なのも当然。
欧米の毒に侵されている。
それに最近は妙に夫婦別姓に拘っている。
シナの毒もほしいようだ。
・・・・・
ところで戦前の家制度とは、
実は素晴らしいものである。
これは皇室に倣って男系のようではあるが、
その実は双系なのです。
姓だけは皇室に倣っているが、
血としては双系である。
今更説明する必要はないだろう。
だから先祖は限りなく分散する、
そしてそれは最後に神にかえる。
それぞれの氏神にかえるのです。
氏神は家の象徴だが血としては分散しており、
結局すべての氏神はひとつに収斂する。
その中で皇室だけが血を守る。
そしてそれは母神(母であり神である)に至る。
ひとり血を守る皇室に姓がないのは、
ゆえに各氏神を束ねる総氏神となる、
の所以です。
まさに象徴(心柱)である。
ところでシナに神概念がないとしても、
ならこの日本にはあるのか。
いうまでもなくあるのです。
しかもそれは意識しようとしまいと、
まるで空気のように、
あまねく満ちている。