最近雑誌で読んだのだが、
中華世界には神の概念がない、
との記事があった。
その人はそういうことを記していたが、
なるほどと思いました。
神と謂う字はシナにもあるだろうに。
てか元々シナのものだろうに。
なのに概念がない?
とは…。
・・・・・
シナは祖先崇拝である。
今もそうである。
だから夫婦別姓なのだ。
夫婦別姓でなければ先祖には遡れない。
双系にすれば遡れないのです。
限りなく分散するから。
ちなみに今の皇室の問題はここにある。
皇室典範に記されている通り、
男系男子でこそ大古に遡れる、
それが皇室たる所以なのです。
であるのに…。
ちょっとそれたが、
彼の国の祖先崇拝は男系を軸に父祖に遡る、
そういう祖先崇拝である。
だから男尊女卑であり、
女は子を産む道具でしかなく、
それも男子を産まなければ疎まれる。
勿論子はすべて父方に属し父方の姓を名乗る。
この祖先崇拝は父祖には遡れるが、
どこまでいっても父祖でしかなく、
つまり人(それも父方の)なのだ。
そういう祖先崇拝である。
そこに神の影はない。
だから神を意識する機会がないのだ。
神概念がないと言われるのも頷ける。
大古にはあったのだろうが。
神話も残っているようだし。
孔子先生は言っていた「我鬼神を語らず」と。
これは合理的な思考だけで物事を語ろうとの、
そういうことらしい。
孔子先生自体は祈る人であったのに。
結果祈りから神を遠ざけてしまった。
そしてその教えが定着した。
しかも宗教化してしまった。
神仏という柱がないままに。
それが儒教である。
そんなこんなで、
自分中心は誰だってそうなのだが、
それがどこまでも自分中心となり、
今日見られるような、
他人を顧みない思想、
中華思想と相成った。
・・・・・
日本も祖先崇拝はある。
というか祖先崇拝は人類の基本だろう。
ちなみに女系で遡るのは基本的にできないと。
生理的に難しいのです。
女が子を産む数は限られる。
それに女系となれば女子でなければならない。
だから常に断絶の危機なのだ。
男ならその危険は少なくなる。
それでも世界は広いから女系社会もあるようだ。
それはライオンの群れに似ている。
雄はほとんど居候状態(部外者)。
ところが日本の皇室は大いに異なると。
男系男子だから父祖(初代天皇)に行きつくが、
それは血としては天照大神に繋がる。
なんとそれは女神である。
男系とはいえ女性なのです。
しかも人でありながら神です。
まことに霊妙なり。
だから日本に男尊女卑はない。
むしろ逆である。
宮中では陛下のことを「おかみ」と言うようだが、
それは「御上」と言うことらしい。
「上」を「神」としても構わない。
庶民は昔は家を仕切る女性を「かみさん」と言っていた。
男達の間では「やまのかみ(山神)」とも。
料亭や旅館では「おかみ(さん)」と言う。
庶民の間ではむしろ女性が上位なのだ。
今も変わっていない。
日本の女性運動が変なのも当然。
欧米の毒に侵されている。
それに最近は妙に夫婦別姓に拘っている。
シナの毒もほしいようだ。
・・・・・
ところで戦前の家制度とは、
実は素晴らしいものである。
これは皇室に倣って男系のようではあるが、
その実は双系なのです。
姓だけは皇室に倣っているが、
血としては双系である。
今更説明する必要はないだろう。
だから先祖は限りなく分散する、
そしてそれは最後に神にかえる。
それぞれの氏神にかえるのです。
氏神は家の象徴だが血としては分散しており、
結局すべての氏神はひとつに収斂する。
その中で皇室だけが血を守る。
そしてそれは母神(母であり神である)に至る。
ひとり血を守る皇室に姓がないのは、
ゆえに各氏神を束ねる総氏神となる、
の所以です。
まさに象徴(心柱)である。
ところでシナに神概念がないとしても、
ならこの日本にはあるのか。
いうまでもなくあるのです。
しかもそれは意識しようとしまいと、
まるで空気のように、
あまねく満ちている。
中華世界には神の概念がない、
との記事があった。
その人はそういうことを記していたが、
なるほどと思いました。
神と謂う字はシナにもあるだろうに。
てか元々シナのものだろうに。
なのに概念がない?
とは…。
・・・・・
シナは祖先崇拝である。
今もそうである。
だから夫婦別姓なのだ。
夫婦別姓でなければ先祖には遡れない。
双系にすれば遡れないのです。
限りなく分散するから。
ちなみに今の皇室の問題はここにある。
皇室典範に記されている通り、
男系男子でこそ大古に遡れる、
それが皇室たる所以なのです。
であるのに…。
ちょっとそれたが、
彼の国の祖先崇拝は男系を軸に父祖に遡る、
そういう祖先崇拝である。
だから男尊女卑であり、
女は子を産む道具でしかなく、
それも男子を産まなければ疎まれる。
勿論子はすべて父方に属し父方の姓を名乗る。
この祖先崇拝は父祖には遡れるが、
どこまでいっても父祖でしかなく、
つまり人(それも父方の)なのだ。
そういう祖先崇拝である。
そこに神の影はない。
だから神を意識する機会がないのだ。
神概念がないと言われるのも頷ける。
大古にはあったのだろうが。
神話も残っているようだし。
孔子先生は言っていた「我鬼神を語らず」と。
これは合理的な思考だけで物事を語ろうとの、
そういうことらしい。
孔子先生自体は祈る人であったのに。
結果祈りから神を遠ざけてしまった。
そしてその教えが定着した。
しかも宗教化してしまった。
神仏という柱がないままに。
それが儒教である。
そんなこんなで、
自分中心は誰だってそうなのだが、
それがどこまでも自分中心となり、
今日見られるような、
他人を顧みない思想、
中華思想と相成った。
・・・・・
日本も祖先崇拝はある。
というか祖先崇拝は人類の基本だろう。
ちなみに女系で遡るのは基本的にできないと。
生理的に難しいのです。
女が子を産む数は限られる。
それに女系となれば女子でなければならない。
だから常に断絶の危機なのだ。
男ならその危険は少なくなる。
それでも世界は広いから女系社会もあるようだ。
それはライオンの群れに似ている。
雄はほとんど居候状態(部外者)。
ところが日本の皇室は大いに異なると。
男系男子だから父祖(初代天皇)に行きつくが、
それは血としては天照大神に繋がる。
なんとそれは女神である。
男系とはいえ女性なのです。
しかも人でありながら神です。
まことに霊妙なり。
だから日本に男尊女卑はない。
むしろ逆である。
宮中では陛下のことを「おかみ」と言うようだが、
それは「御上」と言うことらしい。
「上」を「神」としても構わない。
庶民は昔は家を仕切る女性を「かみさん」と言っていた。
男達の間では「やまのかみ(山神)」とも。
料亭や旅館では「おかみ(さん)」と言う。
庶民の間ではむしろ女性が上位なのだ。
今も変わっていない。
日本の女性運動が変なのも当然。
欧米の毒に侵されている。
それに最近は妙に夫婦別姓に拘っている。
シナの毒もほしいようだ。
・・・・・
ところで戦前の家制度とは、
実は素晴らしいものである。
これは皇室に倣って男系のようではあるが、
その実は双系なのです。
姓だけは皇室に倣っているが、
血としては双系である。
今更説明する必要はないだろう。
だから先祖は限りなく分散する、
そしてそれは最後に神にかえる。
それぞれの氏神にかえるのです。
氏神は家の象徴だが血としては分散しており、
結局すべての氏神はひとつに収斂する。
その中で皇室だけが血を守る。
そしてそれは母神(母であり神である)に至る。
ひとり血を守る皇室に姓がないのは、
ゆえに各氏神を束ねる総氏神となる、
の所以です。
まさに象徴(心柱)である。
ところでシナに神概念がないとしても、
ならこの日本にはあるのか。
いうまでもなくあるのです。
しかもそれは意識しようとしまいと、
まるで空気のように、
あまねく満ちている。