ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

日本国紀

2018-11-19 13:51:08 | 日記・エッセイ・コラム
これは今バカ売れしている本の表題である。
昨今日本で一番売れている作家百田氏の作品である。
早速購入した。
なお私は通販(特にアマゾン)嫌いなので書店で購入した。
特に本に関してはそうで、町の書店を応援しているのです。
なおなお、
アマゾンという固有名詞を記したが、
アマゾンが嫌いという訳ではないのです、
一人勝ちが嫌いなだけです。
念の為、
・・・・・
発売日の前々日の土曜日だったと思う。
平台に並んでいて目に付いたのである。
まあ書店にはよく行きます。
週に2~3回ぐらいですが。
まだ一行も読んでいない。
当分目を通さないと思う。
歴史にはもともと興味があり、
古事記・日本書紀から、
世間では偽書と言われるものや、
さらには荒唐無稽?なものまで、
もう様々な本を読んできた。
でも基本は学校で学んだ歴史です。
私の学んだ歴史は偏向していなかった。
でなければ嫌いになっていたかも。
それはともかく、
なぜすぐに読まないのかと言えば、
読むためと言うより、
応援するために購入したから。
その右寄り(本当は真中ですが)の姿勢に共感して、
・・・・・
勿論読むつもりです。
唯物史観というハッタリや誤魔化しではなく、
だから当然無味乾燥な記述の羅列等ではなく、
実に基づいた物語として書かれているようで、
すこぶる面白そうである。
手元に読む本がなくなったら、
ゆっくり読もうと思っている。
なお歴史は物語でなくてはならない。
以前にも言ったが、私にとって歴史とは「魂の軌跡」なのです。
人の思いが伝わらないようでは意味がない。
その思いを伝えるのが物語です。
それは無味乾燥な事象の羅列ではないのだ。
人の思いが乗っていてこそである。
物語こそ歴史の本体です。
勿論事実は事実である、およそ誰にとっても。
見る者によって視点は違えども、事実はもとより一つである。
それをどう捉え、どう行動したかは、人による。
思いは人それぞれなのだ。
それが物語となり、歴史となる。
・・・・・
戦後教育は物語を語らない。
無味乾燥な言葉を羅列するのみ。
自由とか平等とか平和とか人権とか…。
これでは心が乾く。
為になお一層無味乾燥な言葉を叫ぶ。
だから小学校が壊れる。
付き合ってられない。
しかも壊れていることに気が付かない。
それが典型的に現れるのが、いじめ問題である。
解決方法が分からないのか、見て見ぬ振りばかり。
哀れ!
ここに提示する、解決方法を。
小学校の前庭に二宮金治郎の銅像を戻すこと。
現代版教育勅語を立てること。
すなわち物語を取り戻すのだ。
物語を通して言葉を伝えるのです。
生きた言葉をです。
完全になくなるとは言わないが、
粗方は解決するだろう。