神から言葉を預った者を預言者という。
聖書はその預言者のことを多く記している。
だから、そこには神の言葉が記されている。
その行動とともに。
旧約聖書で有名なのはノアやモーセである。
他にイザヤなどもいる。
新約聖書はイエスのことが記されている。
でもイエスは預言者なのか…。
イエスは神であり、人として扱ってはいないが。
よく分からない。
イスラム教最大の預言者はムハンマドである。
彼が遺したものをクルアーンという。
イスラム教の聖典である。
聖書とクルアーンとではどのような差異があるのだろう。
これもよく分からない。
どちらにしても神の言葉であり、ともに不磨の大典である。
人が勝手に変えることはできない。
・・・・・
でも疑問がある。
聖書やクルアーンを疑ってる訳ではないが、
素朴な疑問である。
本当に神の言葉なのか。
私には考えられないことである。
でも、そういうこともあるのだろう。
一般的には神の啓示とか謂われるようなものが。
それはそうかも知れない。
そういう特別な人がいても可笑しくない。
ともかく納得しておこう。
もう一つ疑問がある。
それが神の言葉としても、
神の言葉が神の言葉のまま提示されているのか、
ということである。
そんなことはないだろう。
それなら普通の者に分かる筈がない。
何しろ神の言葉なのだから。
人の言葉に直して提示されてるのだろう。
そういうことだと思う。
・・・・・
そこで次の疑問がある。
神の言葉は疑えない。
それが人の言葉ならどうだろう。
それなら嘘もあるかも知れない。
誤解や曲解なら尚更である。
直接聞いた預言者ならまだしも。
その後に続く凡人では…。
だから注意しなくてはならない。
よほど注意し、
謙虚に謙虚を重ね、
なお慎重に。
常に問い続けなければならない。
現下のようにその解釈でいろんな流派に分かれ、
その上、いがみ合ってる姿は論外である。
そこに、神の言葉などあるとは思えない。
聖書はその預言者のことを多く記している。
だから、そこには神の言葉が記されている。
その行動とともに。
旧約聖書で有名なのはノアやモーセである。
他にイザヤなどもいる。
新約聖書はイエスのことが記されている。
でもイエスは預言者なのか…。
イエスは神であり、人として扱ってはいないが。
よく分からない。
イスラム教最大の預言者はムハンマドである。
彼が遺したものをクルアーンという。
イスラム教の聖典である。
聖書とクルアーンとではどのような差異があるのだろう。
これもよく分からない。
どちらにしても神の言葉であり、ともに不磨の大典である。
人が勝手に変えることはできない。
・・・・・
でも疑問がある。
聖書やクルアーンを疑ってる訳ではないが、
素朴な疑問である。
本当に神の言葉なのか。
私には考えられないことである。
でも、そういうこともあるのだろう。
一般的には神の啓示とか謂われるようなものが。
それはそうかも知れない。
そういう特別な人がいても可笑しくない。
ともかく納得しておこう。
もう一つ疑問がある。
それが神の言葉としても、
神の言葉が神の言葉のまま提示されているのか、
ということである。
そんなことはないだろう。
それなら普通の者に分かる筈がない。
何しろ神の言葉なのだから。
人の言葉に直して提示されてるのだろう。
そういうことだと思う。
・・・・・
そこで次の疑問がある。
神の言葉は疑えない。
それが人の言葉ならどうだろう。
それなら嘘もあるかも知れない。
誤解や曲解なら尚更である。
直接聞いた預言者ならまだしも。
その後に続く凡人では…。
だから注意しなくてはならない。
よほど注意し、
謙虚に謙虚を重ね、
なお慎重に。
常に問い続けなければならない。
現下のようにその解釈でいろんな流派に分かれ、
その上、いがみ合ってる姿は論外である。
そこに、神の言葉などあるとは思えない。