ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

いやはや何んとも

2015-07-20 10:08:35 | 日記・エッセイ・コラム
何んとも情けない限りだ。
安保法制の論議である。
木を見て森を見ず、
瑣末な議論ばかりで重箱の端をつつくのみ、
まったく肚に伝わらない。
野党は勿論だが自民党もである。
とは言え、そこは政治である。
言えないことがあるのだろう。
本当に大事なことは表に出ない、
と思っておいた方がいい。
野党はそこを突いてくる。
そして議論はますます子供じみてくる。
現実に見せられているのは、
幼稚園児の遊戯である。
まあ、そんなとこだ。
・・・・・
民主主義は最終的に多数決だ。
議論の末、多数決で決するのである。
それは強行採決ではない。
それを強行採決と言うなら民主主義は無い。
野党が戦術として、強行採決だと訴えるのはやむを得ない。
そこは政治だから。
だが、マスコミがそれを言ってはダメである。
野党がそう言ってると伝えるのはいいとしても。
マスコミ自身が言えば、そのマスコミは報道機関ではなくなる。
ただの政治機関紙となる。
そういうことだが、気を付けなければならない。
やり口が巧妙なことが多いから。
見出しで「強行採決」とデカデカと表示し、
本文で野党が言ってると書くこともある。
そんな姑息なやり口も多い。
日本にはそんな報道機関が結構ある。
まことに戦後の言語空間は怪しい。
いろんなところで偏向してる。
特に政治的な問題になると極端になる。
もちろん歴史もである。
・・・・・
「平和」という言葉であるが、
日本人はその意味がよく分かってない。
「安全保障」という言葉についても同様である。
そもそも言葉とは、
人間の頭の中だけに在り、
現実には無いのである。
まことに取扱注意の代物である。
だからである。
現実を投影している言葉には実がある。
現実から離れた言葉は最後は嘘になる。
ということを、
胆に銘じよう。